第二章 旅立ち
交渉成立
シェーラは大きく息を吸って、あらためて眼鏡をかけた自称世界一の魔石機械の専門家をまっすぐ見据えながら口を開いた。
「昨夜、王都に行くって言ったよね」
「うん、冤罪を晴らしに王宮に行かなきゃいけないんだ」
正直、王都に行くと言ったかどうか、スウォンははっきり覚えていなかった。けれども、ここで嘘をついてもしかたない。
「あたしがあんたたちを王都に逃がしてあげる」
「え?」
「あたしの条件を飲んでくれてからじゃないと詳しいことは言えないけど、あんたたちを王都に逃がしてあげられる。もちろん、あのムカつく連中に見つからない方法で」
「……」
彼女が何を言っているのか理解するのに、しばし時間がかかった。理解したところで、到底信じられる話ではなかった。
「とりあえず、君の条件を聞かせてもらってもいいかな」
「あたしも一緒に王都に連れて行くこと。それから、報酬に王都で住む家とお金……そうね、一年くらい生活できるくらいのお金ね。これが、あたしの条件」
田舎者のシェーラでも、〈青〉のクラウド家くらい知っている。その当主が国王の次に偉い人だとも、聞いたことがある。
一生涯関わることのないはずの雲の上の人たちのことなど、彼女にとってばあちゃんの昔話のようなものだった。
一夜の宿にとんでもない額の謝礼を出すのだから、お金持ちなのだろうと察していた。まさか、あの〈青〉のクラウド家だったとは。これほど嬉しい誤算はない。
(いつかは、山を下りなきゃ行けなかったんだし)
そのいつかが、今だという話だ。それも、今を逃したらこれ以上の好機は二度とないほどの。
クラウド家がどれほどの権力を持っているのか漠然としかわからないけれども、自分のような小娘一人どうとでもなるだろう。
なにがなんでも、今ここで交渉を成立させたい。
幸い、彼女は密かに王都に導く伝手がある。スウォンのような者相手に、これ以上ないほどの好カードとなるはずだ。
それまで眉間にシワを寄せて聞いていたロクロが口を開いた。
「ずいぶん大きく出たな。まったくののデタラメってわけじゃなさそうだが、お前の言ってることが本当だという保証はこれっぽっちもないだろ」
「ロクロ、ちょっと……」
「ま、お前が決めることだからな。俺は黙る」
スウォンには、ラーマの捜査当局とキッフェ博士の祖国から高額の懸賞金がかけられている。当然、シェーラは捜索隊から懸賞金の額を聞いている。予期せぬ客人のの素性を知る由もなかったのだから、一夜の宿を提供した彼女が咎められることはまずない。さっさと二人を突き出して懸賞金をいただくほうがデメリットもリスクもない。それなのに、彼女は取り引きを持ちかけている。すべてが嘘ではないだろうが、モルグの前で男たちにはったりをかました後では、信用できるはずがない。
言いたいことは全部言ったロクロは、壁にもたれて成り行きを見守ることにした。
シェーラは思わず軽く目を見開いた。一本角の鬼人は自分のことをよく思っていないと感じていたので、スウォンよりも手強い交渉相手だとばかり。どうやら誤解していたようだ。
(意外と現実的で冷静な人なんだ。そういえば、タツミってもしかして……)
傲慢なやつばかりだと聞いていたシェーラは、鬼人族の認識を改めてスウォンに視線を戻す。
「もし、僕が断ったら?」
「さっさと出ていって、あたしが匿ったことだけは黙ってて欲しい。あたしも、あんたらを連中に引き渡すつもりはないから」
「え、でも、懸賞金が……」
「懸賞金? そんなもの……」
フンと鼻を鳴らして忌々しそうにシェーラは続けた。
「ろくでなしの次男に全部横取りされるだけ。考えただけでムカつく」
先ほどの粘着質な声の主のことだと察したスウォンは、それ以上懸賞金について触れないことにした。声だけで嫌悪感を抱かせるような輩だ。おそらく、育ちの良いスウォンには想像もつかないような悪どい手段でも使って彼女の権利を奪うこともあるのだろう。
(きっと、今までもなにかあったんだろうな)
シェーラが蛇蝎のごとく村長の次男を嫌うには相応の理由があった。
じいちゃんが亡くなって天涯孤独の身になってからは、特にひどかった。日々の生活を切り詰めてなんとか月々の税を納めている彼女に、体を売るように言ってきたのもその頃。妻子がいるにもかかわらずにだ。村中が、次男が村で一番若い彼女を狙っているのを知っている。もともとシェーラを敵視していた奴の妻は、分別のない夫を諌めるどころか、わざわざ嫌味を言うためにモルグに足を運ぶ始末だ。奴が実力行使しないのは、いよいよ困窮を極めた生意気な小娘が惨めに泣きついてくるのを楽しみにしているからだ。彼女がエンバーマーでなかったら、積極的に仕事を妨害していたに違いない。
村人たちは悪い人ではないけれども、表立ってシェーラを力になってくれることはない。今現在、他の集落や麓も含めて周辺一帯で唯一のエンバーマーが彼女だ。火葬場の少ない地域では、なくてはならない存在だ。おかげで、邪険に扱われることもなければ、積極的に関わってくれることもない。それは、じいちゃんが生きていた頃からだけれども。村人が関わりたくないのは、横暴な次男も同じだというのは、なんとも皮肉なことだ。
そんな村との関係も、シェーラがいつかは山を下りると決めた大きな一因となっていた。
「それで、どうするの? あまり時間ないと思うけど」
「わかった。僕たちを王都に連れて行ってほしい。君の条件も必ず叶える」
それを聞いて、シェーラは胸をなでおろし、ロクロはやっぱりなと肩をすくめた。
彼女の突拍子もない提案に、スウォンが迷うはずがなかった。亡き父が制作した甲冑を所有する彼女との縁をこれっきりにしたくなかった彼にとって、まさに願ったりかなったりなのだから。いや、甲冑のことがなくても、深く澄んだ青い瞳を持つ彼女と一緒に王都に行けることに、なぜか胸が弾んでいる。
「交渉成立ね」
「よろしくお願いします。マークスさん」
スウォンが差し出した手を、シェーラは安堵の笑みを浮かべて握り返す。
「シェーラって呼んで。クラウド博士」
「じゃあ、僕もスウォンで」
「俺はロクロな」
ちゃっかりとロクロも改めて軽く名乗る。
昨夜の無愛想で嫌われているのではという印象は、ただ単に警戒されていただけだったらしい。これから王都までともに旅する仲間が嫌なやつでなくてよかったと、内心ほっとしていた。
今日初めてなごんだ雰囲気になったところで、そういえばとスウォンは訪ねる。
「あ、そういえば、おじいさんは、その……」
「ああ、それね」
バツが悪そうに、シェーラはうなじに手をやる。
「じいちゃんはもういないの。一年前に死んじゃって、ここにはあたし一人だけ」
「そっか」
先ほどの外でのやり取りから察していたけれども、あらためて彼女の口から聞くと、なんとも言えない気分だ。
気まずそうにするスウォンに、シェーラは何を思ったのか痩せた体で胸を叩いた。
「だから、報酬はあたし一人分でいいから、安心して」
「わかった、君一人分の王都での衣食住を保証すればいいんだね」
「一年分ね」
機転が利いて聡明だけど、どこかズレている。そんなシェーラのことが、スウォンはますます好ましくなった。
「それで、交渉は成立したし、これからどうすればいいんだ?」
昼にはこのモルグの捜索が始まってしまう。悠長にしていられないと、ロクロはシェーラをうながす。
「まずは急いで山を下りたいところだけど、ご遺体を引き渡さないといけないし、他にもやらなきゃいけないことがあるの」
そう言いながら、彼女は物置部屋のもう一つの扉に向かった。昨夜、スウォンが安置室に繋がっているのだろうと思った扉だけれども、不意に違和感を覚えた。
(そう言えば、安置室には扉は二つしかなかったんじゃ……)
モルグの半分以上を占める奥の安置室に通じているのは、スウォンたちが寝泊まりした前室と処置室だけだ。嵐の中ではっきり把握しているわけではないけれども、他に部屋があるとは思いつかず、安置室だと勝手に思いこんでしまったようだ。
扉の取手に手をかけてシェーラは、振り返った。
「昨夜のランタン、まだ使える?」
「もちろん」
ベルトに引っ掛けた魔石ランタンを見せると、彼女は今つけるように言ってきた。
明るいのにと戸惑いつつ灯りをつけると、シェーラは扉を開けた。ランタンを片手に覗き込んだスウォンとロクロは思わず目を見開いた。
「下まで降りたら、右に。突き当りの部屋で待ってて」
物置部屋の先は、地下に向かう階段があった。先まで光が届かないほど深いそれは、明らかにただのよくある地下貯蔵庫などではない。
ポカンとする二人に、シェーラはポケットからビスケットの包みを取り出した。
「あたしはご遺体を引き渡してやることやってから行くから。これでも食べて」
「あ、どうも」
やることのために彼女が出ていった後で、スウォンとロクロは顔を見合わせる。黙ったままだったけれども、お互いの顔には、シェーラ・マークスはいったい何者なんだと書いてあった。
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