第36話引き寄せる
利家と成政が信長によって、美濃のまむしに引き合わされたとき、二人ともなんで自分たちが呼ばれたのか、まるで理解できなかった。
二人だけで会見したせいか、すっかり打ち解けた――いや、親しくなったと言える――様子で話をしているのを見て、やはり二人の相性は良かったのかと成政は思った。
出自が怪しい身で美濃国の守護代に成り上がった利政。
家格が低い大名で尾張国を支配しようとしている信長。
下克上を成し遂げた者と成し遂げようとする者。似た者同士と言えるだろう。
「ここにいる二人の若者。前田利家と佐々成政はなかなか優秀な男だ」
この場にいるのは信長たち四人だけではない。
織田家方は森可成と丹羽長秀ら数名。斉藤家方からも数名同席している。その中には明智もいた。
「いずれ一軍を任せたいと思っている」
「ほう。それほどの器量があるのか」
利政はそう言いながらも自身の目で見定めなければいけないなと感じた。
利家という若者は、一見大雑把で頭より力を重視するが繊細だ。
成政という若者は、丁寧な物腰をしているが野心がありそうだ。
そう判断した利政は「その方たちに訊ねたい」と言う。
「わしは先ほどの会話で婿殿を高く評価した。その婿殿がお前たちを評価していると紹介している。そこで訊ねたいのは、お前たちがわしをどう評価するのかだ」
これは不味いと可成と丹羽は瞬時に考えた。下手に評価を言ってしまえば二人の首が飛ぶどころか、利政の織田家に対する心証が悪くなる。無論、同盟が破綻するほどではないが、援軍は期待できなくなる。
しかしここで『評価はできません』などと言ってしまえば、逆に信長の面子が潰される。相手が望んだものを望んだように言えぬ者は度胸のない意気地なしと見なされるからだ。
この考えを成政は悟れるだろうが、察しの悪い利家は少しも気づけないだろう。はたしてどうなるか。固唾を飲んで見守る可成と丹羽。全て分かっていて悪そうに笑う利政。何も気にしていないような信長。いろんな思惑の中、最初に口を開いたのは――
「斉藤様の評価? 俺は――」
何も考えていない利家だった。彼は利政の意図を気にせずに自分の思ったことを言う。
「富士の山のように大きなお方だと思っております。しかし俺は富士の山を知らないように、斉藤様のことを知りません。こうして目の前にしても、斉藤様の大きさを計りかねています」
可成と丹羽は内心ほっとした。例え話を交えて言外に高く評価していると言えば、目上の者に対して無礼にならない。
利政はこいつ意外と計算していて、油断ならないなと利家を評価し直した。
しかし成政は横目で利家を見て、こいつ適当に言ったなと看破していた。これまでの付き合いでそれが分かっていた。
利家は、美濃のまむしは合っていると言えば良かったかなとぼんやり考えていた。
「ふむ。まあいいだろう。そこの者――佐々成政か。お前はどう見る?」
指名された成政は、姿勢を正して深呼吸して言う。
「どんな敵にも打ち勝ち、どんな大敵でも飲み込んでしまうお方と、僭越ながら考えております」
これは無難な答えだった。敢えて敵という言葉を用いて同盟している織田家を除外しているのは上手いが、内容は平凡だった。表面的と言ってもいい。
それはすなわち、成政は利政をさほど評価していないとも言える。
実際、未来の知識を知っている成政は利政の末路を知っている。数年後に死ぬことも当然押さえている。自分が松平家に仕えるとしても、美濃国は織田家が手中に収めておいてもらったほうがいいと考えているため、史実を曲げようとは考えなかった。
「敵には、と言ったが……敵以外には負けるということか?」
利政が鋭く指摘した。眉間に皺を寄せてあからさまに不機嫌になっていた。
場が緊張感に包まれる――
「何か、心当たりでもございますか?」
「…………」
わざと成政がとぼけて訊ねる。これには利政も言葉が出ない。
利政が息子の高政と不仲であることは周知の事実である。しかし同盟しているとはいえ、身内の問題を晒すなど恥である。
成政は自分や利家を試そうとする利政を逆に困らせようとしていた。確かに相手は歴史に名を刻んだ男である。美濃のまむしとして世に名を轟かせている大名である。そんな彼を困らせてみたいという暗い感情から言ったのだった。
「成政。言葉が過ぎるぞ」
利政が何かを言う前に信長が静かに制した。
成政の心情を全て理解しているわけではないが、心を許した舅を困らせるのは面白くないと感じたし、主君の自分がそう言えば双方の面目も立つと分かっていた。
「……申し訳ございませんでした」
声が震えていたのは歓喜ではなかった。
怯えていると見せることで斉藤家への敬意を表すためだった。
「なるほど。婿殿が二人を評価する理由が分かった」
利政は改めて二人を見た。
まるで対照的な二人だった。光と影、日輪と月輪。そういえば適当だろうか。
しかし成政の底が見えなかったのは不気味だった。
利政は信長に気をつけるように言おうか迷ったが、結局は言わなかった。
これは利政が信長を過大評価していたからでもあった。
だからこそ、信長は最期まで気づくことは無かったのだ。
◆◇◆◇
正徳寺の会見終わり、利政が信長にいつでも援軍を送ると約束を交わしていた頃。
成政は明智光秀と話していた。
「明智殿はご主君をどう思われますか?」
「御立派な方だと思っております」
寺内の隅で二人だけで話していた。誘ったのは成政のほうだった。
「あなたは、織田殿をどう思いますか?」
「いずれ天下を狙うほどのお方になると思います」
断言した成政を穴が開くまで見た明智。尾張国の半分も満たない勢力しかない信長がそこまでの器量かと驚いたのだった。
「私が言ったことが信じられませんか?」
「……途方も無いことですので、なんとも」
「いずれ分かりますよ」
すると明智は「そんな話をするために、呼び出したわけではないでしょう?」と言う。
「先ほどの殿とのやりとりから、あなたが賢いことは分かります」
「単刀直入に言いましょう。いずれ起こす計画に加担してほしいのです」
「……計画? 加担?」
何を言っているのか分からない明智。
成政は考える間も置かせずに「今はまだ言えません」と含みを持たせた。
「私の考えだと二十年か三十年後の計画になります。無論、今の段階では明かすことはできません」
「かなり遠大な計画ですね」
「ええ。ですから腹積もりをしてもらいたいのです」
成政は明智をじっと見つめた。
いずれ史実に刻まれるほどの謀叛を起こす男。
しかし今は純朴な顔をしている。
「よく分かりませんが、覚えておきます」
「助かります。それでは」
そう言い残して、成政はその場を去った。
成政の背中を明智は不思議そうな顔で見つめていた。
「成政。お前どこに行ってたんだ?」
「厠だ」
利家の問いに適当に答えつつ、成政は槍を肩に担いだ。
成政の計画。それは今の段階ではほとんど形になっていなかった。
ここで明智に言っておけば、事前にあの変事を知ることができるとしか考えなかった。
この段階では変事を止める方向で動いていた。
成政は知らない。自分が今後どんな選択をするのか。
成政は知らない。自分が選んだことで悲劇が起こるのを。
成政は知らない。その選択で自分自身の心を痛めることを。
たとえ未来の知識を知っていたとしても、自分の心境の変化を知ることなどできない。
成政はそんな簡単なことも知らなかった。考えなかった。
利政と信長の関係のように、教えてくれる人なんて成政にはいなかった。
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