第6話どっちが強い?

「えい、やあ!」

「ふん! なんの!」


 那古野城近くの河原で槍の訓練をしている犬千代。相手は同じ小姓の毛利新介だ。訓練用の槍とはいえ、当たり所によっては気絶どころでは済まない。危険な行ないだが、実際の戦はもっと危険だ。だからこそこうして鍛えていた。


「内蔵助。あの者は凄いな」

「……犬千代ですか? あんなの大したことありません」


 大勢の少年が各々戦っている中、離れたところで見物しているのは、人質の竹千代だった。信長がしっかりと監視する条件で、父の信秀に許可をもらって、外に出ていた。信秀も竹千代に何か思うところがあるらしい。彼の父親の広忠は息子を見捨てて、今川家に味方し続けていることも理由になるだろう。


 その不憫な竹千代の傍にいるのは、すっかり仲良くなった内蔵助である。というより、竹千代が懐いたというのが正しい。内蔵助も竹千代に槍を教えたりといろいろ便宜を図っていた。


「ふうん。そなたとどっちが強い?」

「……ややこちらが上ですが、運が悪ければ負けもありえるでしょう」


 内蔵助は自己と犬千代を冷静に推し量って、竹千代にそう答えた。自尊心はもちろん彼の中にあるが、なるべく見栄は張りたくなかった。


「おーい、内蔵助。俺と組んでくれよ」


 そう声をかけてきたのは、服部小平太だった。小柄ながらがっちりした体格で信長の小姓の中でも上位の実力を持っている。童顔だが戦いにおいて油断ならない相手だと内蔵助は思っていた。


「よし、いいだろう。竹千代様、よろしいですか?」

「ああ、構わぬ」


 内蔵助は自分の槍を持って小平太の元へ向かう。各々構えて、互いに鋭い突きや殴打で応戦する。竹千代はわくわくしながらそれを見ていた。そんな彼の隣に信長は座った。そして持っていた瓢箪から水を飲んで、それを竹千代に渡す。


「喉が渇いただろう? 飲め」

「あ、ありがとう」


 ごくごくと飲みつつ信長のことを考える竹千代。この人は今まで出会ったどんな人よりも奇妙だった。人質の自分に構ってくれるし、こうして外に出してくれる。遊び相手にもなってくれる。この前一緒の部屋で昼寝もした。


 内蔵助が誰にも言ってはなりませんと念を押して、竹千代に言ってくれたことがあった。織田家と松平家の交渉が決裂したとき、信長が自分の処刑に反対したらしい。生かしておけば役立つと信秀と重臣たちを説得したとも聞く。


「あ、あの、信長殿」

「うん? なんだ竹千代」

「どうして、あなたは――私に優しくしてくれるのだ?」


 そう。慈悲でもなく憐憫でもなく、ただただ優しくしてくれるのが、竹千代にしてみればとても奇妙だったのだ。むしろ敵方の息子だから邪険にしても良いと思う。

 すると信長は「お前とつるんだら面白いと思ったからだ」と欠伸しながら答えた。


「お、面白い……?」

「その歳で自分の置かれた立場を理解している。聡明だ。人の上に立つ器だ」


 褒めているというよりは当たり前のことを言っているという感じだった。竹千代は黙って信長の次の言葉を待った。


「いずれ、俺の右腕になるか、好敵手になるかは判然としないが、成長したら何かが変わりそうな気がするのだ」

「それは……何か根拠があるのか?」

「ない。勘だ」


 竹千代は信長の言っていることが常人の思慮の外だと気づいた。ただの勘で親切にする? その発想は子供の自分にはない。大人になったとしてもないだろう。だが、目の前の半裸のかぶき者は、勘というあやふやで曖昧なもので判断している。


 しかし一概にうつけだとかおかしいとかでくくれない凄みも感じた。自分のものさしでは計れない、大きな大きな何かで構成されている、途方も無い人――信長。


「し、しかし。織田家と松平家の関係を考えれば、好敵手になる可能性が――」

「それはそれで面白い」


 信長はそう言って立ち上がった。そして訓練の最中の小姓たちに「今日はここまでだ!」と大声で終わりを告げた。唖然とする竹千代をちらりと見る信長。その顔は悪戯小僧のようなしてやったり感を醸し出していた。


「今日もご苦労であった! 城下町で団子を馳走してやろう!」


 その言葉を聞いて次々と喜びの声が上がった。


「流石、若様だ!」

「一所懸命、ついて行きます!」


 満足そうに頷いた後、信長は竹千代に「お前も行くぞ」と告げた。竹千代は信長の顔をじっと見つめて、それから「お汁粉も付くか?」と笑顔で返した。


「ふははは! 厚かましいやつめ! 良かろう! 皆の者、竹千代の手柄で汁粉がつくことが決定したぞ!」


 それを聞いた小姓たちはお汁粉も食べられることに歓喜した。そして口々に「竹千代様、感謝します!」と頭を下げた。皆、竹千代に対して悪感情を抱いていない様子だった。


 信長率いる小姓の集団は、那古野城の城下町で一番の甘味屋へと入店した。城主が来たと聞いて、店主が「いつもご贔屓、ありがとうございます」と平伏した。


「団子と汁粉を人数分頼む。皆、大盛りでな」

「へえ、ありがとうございます」


 信長から商品以上の勘定を貰って恐縮しつつ「団子と汁粉! 大急ぎで大盛り、たくさん作ってくれ!」と店主は大声で言う。店中から「かしこまりました!」と声が返ってくる。この活気の良さも信長が店を贔屓する理由だ。


「犬千代。結構腕上げたじゃねえか」

「あ? まあな……」


 犬千代が運ばれてきた団子を食べていると、彼と同席している毛利新介が話しかけてきた。汁粉をすすりつつ犬千代に「相手をしてて分かるぜ」と彼は言った。


「もしかすると、小姓の中で一番強いんじゃないか?」

「おい、新介。馬鹿言っちゃあならねえよ」


 口を挟んできたのは、同じく一緒の席に座っている服部小平太だった。彼は別席の内蔵助を指差して「内蔵助のほうが上だな」と物言いをしてきた。


「さっき組んだけどよ。最近、ますます強くなってらあ」

「うーん、まあそれは認めるけどよ。それでも犬千代には敵わねえ」


 すると周りの小姓も次々と犬千代が上だ、内蔵助のほうが上だと声が上がる。そんな声を聞いている話題の二人も、次第とその気になってくる。そもそも仲が悪い犬千代と内蔵助だ。相手より上回っていたい気持ちはある。


「で、あるか。ならば犬千代が上だと思う者、内蔵助が上だと思う者。それぞれ分かれろ。おい、店主。紙あるか?」


 この話に乗ってしまった信長は、小姓に二人のどっちが強いか票を取った。それから信長は「犬千代と内蔵助。勝負しろ」と命じた。


「……若様? ご冗談を」

「内蔵助。冗談ではない。そうだな、そこの往来で相撲でも取れ」


 そして信長は「勝ったほうに賭けた者には褒美を与える!」と宣言した。


「負けたほうに賭けた者は罰として城の仕事を増やす!」

「おお! そいつは面白い!」

「やれ、犬千代! 内蔵助!」


 事の発端となった新介と小平太が、二人の勝負を煽る。それにつられて単純な犬千代はやる気になってきた。


「おっしゃ! やってやるぜ!」


 しかし一方の内蔵助は面倒だと思っていた。勝つ自信はあるが、万が一ということもある。竹千代に言ったとおりだ。だが主君の命令ならば聞かねばならない。


「内蔵助……」


 内蔵助が腕を組んで悩んでいると、賭けをまとめた紙を竹千代が見せてきた。よく見ると自分のほうが多い。それを見てやる気を出せと言うことだろうか?


「それを見せられても、やる気には――」

「違う。私もそなたに賭けた」


 よく見てみると、自分のところの最後に大きく綺麗な字で『竹千代』と書かれていた。


「…………」

「が、頑張れ! 内蔵助!」


 そこまで期待されてしまって、やらないのは男がすたる。それにやる気も出てきた。


「分かりました。頑張ります!」


 竹千代に力強く頷いた内蔵助は、犬千代に向かってこう言った。


「貴様ごときには負けん」

「ふん。珍しく気合入ってるじゃねえか!」


 犬千代は信長に良いところを見せようと張り切っていた。このところ訓練に精を出しているのは、信長の目的を知ったからでもある。


「外で土俵を描いてこい」


 信長の命令で小姓たちは外へと向かう。残った竹千代は信長に「どちらに賭けるんだ?」と紙を差し出す。


「俺は胴元みたいなものだぞ?」

「信長殿の予想が知りたいのだ」


 信長は速筆で紙に予想を書いた。その内容に竹千代は驚く。


「の、信長殿……? 正気か?」

「ふふふ。まあ見ておけ」


 信長は竹千代に笑ってみせた。楽しくて仕方ないようだった。

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