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 それは遠い過去の記憶。“わたし”ではない、“俺”という記憶の中にある大切な思い出の断片。





 ・・・・・・・・・・・・





「なあ、彼方。夏休み海にでもいかない?」





 そう言うのは目の前に座っている少年。名前は霧崎裕二。俺の幼馴染みだ。



「なんだよ突然」



「いや、彼方のことだからまたバイト三昧なのかと思ってさ」



「そっちは部活三昧だろ。人のこと言えないじゃん」



「痛いとこ突くね」



 はは…と困ったように笑う彼は空になったお弁当箱を綺麗に包み直しながら話を続ける。



「来年はさ。俺たちもう三年生だし、忙しくなると思うんだ。だから今のうちに思い出作りしたいなって思ってね」


「そうは言っても…。なんで海なんだよ。この辺に海なんかないぞ」


「プールでもいいよ?」


「いや待て。おまえ誰を誘おうとしてる? なにか裏があるだろ」


「バレちゃったか。流石に何年も一緒だと隠し事はできないね」



 なぜか少し嬉しそうに笑みを見せる彼。



「遥ちゃんを誘おうかと」



「おまえ…その兄貴の前でよく言えたもんだな」



 そう呆れたように返すが彼は意に返さず、尚の事自分を仲間に入れようと提案してくる。



「遥ちゃんを誘えば必然的に仲のいい女の子たちも来てくれるよ? その中には彼方の想い人もいるし、一石二鳥じゃない?」



「ぶっ!? おまっ。なにいって!!?」



「それに女の子だけを誘うわけじゃないから安心して。彼方は女の子とちゃんと喋れないもんね?」



「おまえ…馬鹿にしてんな?? それにしてもだな…――――っておいっ!」




 むむむ…と考え込む俺だったが、彼は返答を待つまでもなく席を立ち背中を見せる。




「じゃ、遥ちゃんを誘うのは任せたよ親友」




 と、軽くウインクしてから颯爽と食堂から立ち去る。俺ははぁ…と一つため息をついてからヤケクソ気味にパンに齧りついた。






 その放課後―――――




「お兄ちゃんっ!一緒に帰ろっ」



 

 彼女は元気よく黒髪を靡かせて俺の目の前に現れた。



「遥…。もう少し声量落としてくれ。うるさい」



「ええーっ。…こ、こんなかんじ?」



 わざわざ耳元で囁くように返す彼女に自覚がないのか、それはそれで心臓に悪かった。血が繋がっていないとしても妹に取り乱すのはマズイ。



「あれ…お兄ちゃん顔赤いよ?大丈夫?」



「大丈夫だ問題ない!帰るぞ!」



 と、居た堪れなくなった俺はさっさと教室から出る。そんな俺に遥は慌てて後ろから着いてきた。




「お兄ちゃん。今日は家に帰るんだよね?」



「ああそのつもりだ。気は進まないが…」



「お母さんが今日は朝から張り切っててねっ。晩御飯は期待しててねって言ってたよっ」



「そうか…。義母さんにはいつも悪いことしてるよな…」



「そ、そんなことないよ! お母さんはいつもお兄ちゃんが帰ってくるのを楽しみにしてるんだから!そんなこと言わないでっ」



 遥はにっこりと笑顔を見せ、俺を慰めようとしてくれる。そんな妹に俺は申し訳なくなりながらも、暗い話を変えるため昼に聞いたことを話し始めた。



「遥。海…いかないか?」



「え?海??」



「あ。えっと。裕二のやつがさ。夏休みに海かプールに行きたいって言っててな! 遥もどうかな〜ってさ!」



 なんだか言動が言い訳じみた説明になってしまったが、概ねそんなところである。突然言われたからか遥は大きな目を丸くして固まり沈黙する。これはダメか…?と、諦めようとしたところで――――



「行きたい!!! ううん! わたしも行く!!!」



「うおおうっ!?」



 突然詰め寄ってきた彼女は目を輝かせてそう言った。



「あ、ごめんっ。ちょっとテンション上がっちゃってっ」



 すぐに我に返った彼女はささっと後退して恥ずかしそうに言う。



「そんなに行きたかったのか…?」



「えっと…それは…。うん…。ずっとお兄ちゃんと行きたいと思ってた」



 逡巡していた彼女は少し間を開け、なにかを決めたような瞳を向けてそう言った。



「俺…と?」



「へ、変かな…??」



 はにかんで言う彼女に俺は―――――どう答えたのだろう。

 あまり覚えていない。いや…何も言わなかったのかもしれない。




 父親とはうまく行っていなかった。だから、俺は逃げるようにして高校では寮のある学校を選んだ。


 幼い頃に母親が亡くなり、その悲しみから立ち直る前に再婚が決まった。遥はその再婚相手の連れ子だった。


 血は繋がっていない。だけど、昔からこいつは明るく元気でよく俺に飽きもせず話しかけてきた。

 その理由すらも俺は知らない。知ろうともしなかった。高校生にもなってようやく俺は最低な兄貴だったことを…自覚したのだ。




『楽しみだねっ!』




 そういう彼女を俺は眩しいものを見るようにして目を細めた。口からはぽつりと…そうだな。という、簡素な言葉が漏れるのみ。


 なぜ何もいえなかったんだろう。なぜもっと気の利いた言葉が言えなかったんだろう。


 そんな後悔は今尚、心の内側に…燻っている。



 


 

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