第三章 面倒くさい……

3-1 彼女の身分はなんなのだ?

 いろいろ詮索されるのはつらい。

「だからさぁ、ちょっとだけでいいのよ、ちょっとだけ! MECの臨床試験で何があったのか、教えてくれないかなぁ、キョンタン」

 水曜日に初めてMECをつけてから、来海は狩科からなんとしても試験内容を聞き出そうとする。とにかくしつこい。二日経った金曜日の今日も、午前の講義の合間に空き講義室で休んでいた狩科をつかまえて、お願いお願いと、おねだりする女の子のフリをして聞き出そうとする。

 二人して講義室の椅子に座っているのだが、かわいらしく首をやや右にかしげて曇りのなさそうな目で女の子に見つめられると、狩科は少し罪悪感を覚える。

「来海さん、どうしてそんなに聞きたいの?」

 狩科が問うと、来海の目に少しだけ曇りがさす。

「理由、言っても、いいかな?」

 来海が声のトーンを落として問いかける。会話のボールは狩科に投げられた。狩科はそのボールを転がすように相手に返すことしかできない。

「どうしてそんなことを聞くの?」

「だってキョンタン、試験が終わってからずっと思い詰めてるから」

 来海は首を右にかしげたまま、狩科の両目を真正面に見る。会話のボールが二人の中間で止まる。数秒の間が、心の陰鬱を意識させるようで狩科には重い。

 狩科は目線を逸らした。

「やっぱり、言えないよ。ほら、色々、守秘義務とか、あるから」

 最後にとって付けた理由を言うときには声がうわずっていた。拒絶を見て取った来海は身体を後ろに引く。

「そっかぁ。言えないかぁ。それってさぁ、多分キョンタンによくないことなんだよ」

 来海は裏もなく心配しているように見えて、狩科には心苦しい。重い空気を紛らわそうと、狩科が話題を変える。

「そうだ、お昼を買ってこようか。学食は混みそうだから、コンビニで買ってくるよ。何がいい?」

「サンドイッチと唐揚げ!」

 来海の声のトーンはさっきまでとはうって変わって明るい。その明るさに、狩科は救われた気がした。

「じゃぁ、買ってくるよ」

「いってらっしゃ~い」

 手を振り来海に見送られ、狩科は席を立ってコンビニへと向かった。

 コンビニのキャンパス内出張店舗はさっきまでいた講義棟の二つ先の講義棟の一階。お昼ともなれば店内は学生で埋まる。

 来海の注文はあったが狩科自身がなにを買うのか決めていない。菓子パンのコーナーをチラ見したが、カッコつかないなぁと思った。こういうときは他人を参考にするに限るとレジを見た。三台の無人レジに学生がならび、商品をスキャナーかごに置きスマホで決済していく。

 チラチラ見ていたそのとき、時が止まったかと思った。

 一番手前のレジで決済しているのは佐上優希だった。

 佐上優希はMEC臨床試験の架空の人物である。実在するのは合成CG映像の素材となった被験者で、つまり水曜日に会ったAさん。

 彼女が買ったのがおにぎりとサラダで、あの人も普通に食事をするのかと安心した。しかし彼女がこの場にいることの不可思議がじわじわと狩科の心に染み込む。

 MEC臨床試験の、スタッフで、被験者で、実験がない日に東城大学工学部のキャンパスにいる? 彼女の身分はなんなのだ? 狩科は頭を回転させるも、にわかには信じられない。

 この場から逃げようとして、狩科は思わず後ろも見ず後ろ歩きする。混んでいるコンビニ店内で、当然、人とぶつかる。女性学生が声を上げる。

「ちょっと!」

「ごめんなさい」

 狩科は後ろでぶつかった女子学生にとっさに謝った。

 ちょっとした騒ぎが起きたのを、決済を終えたAさんが見た。謝り終えて正面を見た狩科の顔を見た。なにが起きたのか分からなかった彼女が、次の瞬間驚く。

「千波伊里弥さん……!?」

 そして狩科との距離を詰める。

「って、あなた、どうして東城大学にいるんですか? 今日は試験日でもありませんし、臨床試験は場所が違います」

 Aさんがいきおいで狩科にかなり近づいた。狩科はうろたえる。

「それはこちらの台詞です。僕は大学の学生です」

「学生が被験者だなんて……そうですよね、あなたから見たら、私も他人のことを言えた義理ではないですよね」

 Aさんは一瞬だけ驚いたが、すぐに納得したようだ。言葉の端に狩科は複雑な事情を感じた。

 Aさんはさっさとコンビニの出口に向かう。

「ここではなんです。いったん店を出ましょう」

 キビキビと店を出て行くAさんの後をついて行かざるを得ないと狩科は感じた。

 コンビニを出て扉から脇に出たところで、Aさんは狩科がついてきたのを見てとると、手持ちのポーチから学生証(いまだに紙だ)を取り出して狩科に見せる。

「私も学生です」

 Aさんが在学しているのは大学院修士課程一年生。写真の下には「深津 瑠璃」とある。

「ふかつさん、ですか?」

「深津と書いて『みつ』と読みます。みつ、るり、です」

 深津はきっぱりと答えると学生証を引いた。ポーチに学生証をしまうと狩科に問うた。

「あなたはどの研究室の所属ですか?」

 研究室所属なんて先だと思っている狩科は不意を突かれた。

「研究室に所属してません……」

「じゃあ、身分は?」

「ええっと……」

 狩科はしどろもどろになりながら、ジーパンの右ポケットに入れた財布を取り出し、中から学生証を取りだす。折り目を開いて生年月日も読めるようにして深津の目の前に差し出した。深津は狩科の学生証をのぞき込む。

「二十歳って、学部三年生ですか!? 臨床試験は二十歳以上が条件ですけど、下限ギリギリじゃないですか。かり……? かっ……?」

「かりしな、と読みます…… 下の名前はきょうがです……」

 深津は狩科の苗字を読めなかったが、彼は自分の苗字を読み間違えられるのに慣れているので、別に深津の知的水準を疑ったりしなかった。

 学生証から目を上げた深津の表情は明るい。美人の笑顔に狩科は心が明るくなる。

 期待する狩科に深津は言葉をかける。

「いろいろな事情があると思われますが、MEC研究にこれだけ前向きに希望を持っている学生がいることは私も心強く思います。今から、研究について意見交換しませんか?」

 狩科は意表を突かれた。

「研究について、ですか?」

「はい。MECについてです」

 いやあねぇ、こんな美人が自分に一目惚れすることはないと知ってはいる訳だけれど、興味を持たれたら何らかの期待はしてしまう。それが研究についての意見交換とは。狩科の夢はまた破れた。

「分かりました……」

 狩科は落胆したつもりではあるのだけれど、深津の表情はそんなこと関係ないかのように前向き。

「立ち話もなんですし、ゆっくりできる場所に行きましょうか?」

 誘いかける深津に、狩科は思った。この人、他人の話を聞いてない。

「分かりました……」

 狩科は仕方なくついていくことにした。先をどんどん歩いて行く深津の後ろで狩科はスマホを取り出し来海にメッセージを送る。


                    ごめん。人に掴まった。お昼は一人で食べて


 その後に来海から


  こら! 逃げるな!


 とのメッセージが入るのだが、狩科は自分のスマホを見る余裕がなかった。

 深津はどんどん歩いて行き、キャンパスの門を出て、キャンバス近くの街路を歩き、外資系のコーヒーチェーン店の前で止まった。

「ここにしましょうか」

 狩科は、いつも飲んでいる缶コーヒーよりずっと高くなることを気にかけた。なにか別の場所に変える手はないかと思ったとき、深津が手に持っている、コンビニの買い物が入った袋に目がいった。

「深津さん、コーヒーショップにコンビニおにぎりを持ち込んでいいんですか?」

「買い物帰りだと思えばいいでしょう。行きましょう」

 深津は自分で自分にOKを出してコーヒーショップに入っていく。これはついて行くしかない。狩科は観念した。

 店に入ると、今では珍しくなった有人レジの奥にメニューがかかっている。カタカナでとても長い、まるで魔法の薬の名前ように見えるメニュー表の意味を狩科は理解できない。深津は唱え慣れた呪文を唱えるようにスムースに注文をすませると後ろの狩科を見た。

「私が誘ったんだから、一杯ごちそうします」

 狩科はありがたく思った。

 一瞬だけ。

 すぐに、男性が女性におごってもらう情けなさがこみ上げてくる。

「いや、自分で払います」

「いいんですか?」

「いいです」

「そうですか……」

 引き下がった深津の寂しそうな様子に、狩科は心の中でごめんと謝る。レジの女性店員の前に進み出て、一言。

「ホットコーヒー……トールサイズ……」

 一番無難なメニューを頼んだとき、ふと、先日のMECの実験で千波伊里弥が飲んでいたものと似たチョイスになったことに気づく。でも、彼と自分では気持ちの余裕が天と地ほど差があるとも思った。

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