魔王が教える勇者入門

すかいはい

第1話

 魔王城の最奥部。玉座の間の扉の前。


 勇者は荒い呼吸を整えると、鉄の剣についた血を払った。顔の前で構えた剣に、自身の顔が映る。凛々しい面立ちにも血がべっとりとこびりついていた。


 溜め息をつくと、頬の血を拭う。もののついでに乱れた長髪を結い直した。艶やかだったピンク髪は長旅のせいかボサボサだ。


 11時間53分。――実に長い旅(魔王注:どう考えても短すぎる)だった。


 この扉の向こうにいる魔王を倒せば長かった旅(魔王注:長くはない)も全て終わりだ。


 鉄の剣を握り直すと、勇者は重い扉を開け放つ。

 

 かつてないほどの禍々しさを感じる部屋だった。空気がよどんでいる。空間に邪気がただよっているのだ。燭台の灯が揺れ、絢爛けんらんな玉座を浮かび上がらせた。

 

 玉座に座した人物が顔を上げる。黒いローブを纏った男。あれが魔王だ。その頭部は闇に覆われており、表情を窺い知ることはできない。

 

 魔王は厳かで神秘的な声を発した。


「よくぞここまでたどり着いた。勇者よ」


 勇者はその問いには答えず、剣を構えて駈け出した! 凄まじい速度だ!


「よくぞ……エッ!?」


 魔王は困惑した。剣の切っ先は魔王の左胸に狙いを定めている!


 雄叫びをあげた勇者は魔王の心の臓に剣を突き立てようとする!


「ウオーッ! ウオーッ!」


「待て待て! 待って!」


 魔王は咄嗟とっさに片手をかざし、火炎魔法を放った!


 赤い火球によって勇者の体が吹き飛ばされ、禍々しい壁に叩きつけられる。


「ウギャーッ!?」


 床に転がった勇者はゆっくり立ち上がると魔王を睨みつけた。


「……何のつもりだ」


「いや、お前が何のつもりだよ!? さっきの何あれ!?」


「不意打ちだ」


「不意打ち!? 魔王に不意打ちしてきた奴、いまだかつてないよ!?」


「その方が――」


 勇者は剣を構え、魔王を見据みすえる。勇者の周りに集中線が現れた。


「――その方が、効率が良いからだ!」


 魔王は厳かで神秘的な声でツッコんだ。


「格好付けて言うことじゃねーよ! 勇者が効率を求めるな!」


「何……。ならば、どうしろと言うんだ!」


「とりあえず戦いを始める前にちょっと会話しようよ。入ってくるところからもう一回やり直そう?」


「むう、仕方あるまい。じゃあ、一度外に出るから。これでも飲んで待ってて」


 勇者は革の水筒を差し出す。


「あっ、悪いね」


 鉄の剣を鞘にしまうと、勇者はいそいそと部屋の外に出た。


「フーッ、疲れるわ。何だ、あの勇者」


 魔王は革水筒の水で喉を潤す。

 

 だが、その瞬間、魔王は派手に吐血した! 猛毒だ!


「ポイズンじゃねーか!? バッドステータスに耐性あって良かったわ!!」


 魔王は革水筒を禍々しい床に叩きつける!


「おい、入ってこい! 何だよ、これ!」


 勇者が不服そうな顔で玉座の間に戻ってくる。


「出ろと言ったり、入ってこいと言ったり何なんだ。ワガママなやつ」


「毒入りだったからだよ! めっちゃ毒! 吐血した瞬間に分かったわ! もう何考えてんの!?」


「毒殺だ!」


「魔王を毒殺しようとする勇者、前代未聞だろ!」


「その方が――」


 勇者は剣を構えると、魔王を見据える。勇者の周りに集中線が現れた。


「――その方が、効率が良いからだ!」


「だから、格好付けて言うんじゃねーよ! 普通に出て普通に戻ってこい!」


「注文が多いなぁ」


 鉄の剣を鞘に納めた勇者は玉座の周りにいそいそと火薬を撒き、いそいそと点火装置をセットした。点火装置の動作を確かめ、勇者はガッツポーズをする。


 一仕事終えた勇者は溜め息をついて汗を拭った。


「よし。じゃあ、あたしは一回外に出るんで」


「おう」


 勇者はいそいそと外に出ようとし――。


「じゃねーよ! お前、何してんの!?」


「……バレたか」


 気まずそうな顔をする勇者。なるべく魔王の顔を見ないようにしている。


「なんでバレないと思ったの!? あからさまに爆殺しようとしてるだろ!」


「その方が――」


 勇者は剣を構えると、魔王を見据える。勇者の周りに集中線が現れた。


「――その方が、効率が良いからだ!」


「その変な線、やめろ!」


 魔王は慌てて杖で集中線を叩き壊す。


「もう入り直さなくてもいいから、入口のところ立て。戦う前の会話からやるぞ」


「仕様のない奴だなぁ」


「お前だ! はよやれ!」


 勇者は渋々といった様子で玉座の間の入口に立つ。


「この辺?」


「もうちょっと近く。あんまり遠いと声が聞こえにくいのだ」


 魔王は厳かで神秘的な声で微調整を促した。勇者は数歩前に出る。


「ここ?」


「オッケー」


 魔王は何度か咳払いをした。


「よくぞここまでたどり着いた。勇者よ」


 黒いローブを纏った男が顔を上げる。その頭部は闇に覆われており、表情を窺い知ることはできない。


「いったい何が望みだ?」


「貴様を倒すことだ!」


 勇者は剣を抜き放つ。魔王は節くれだった指でその剣を指差す。


「――その剣、封印されていた退魔の剣か」


「いや、違う」


「何……?」


「この剣は――」


 勇者は剣を構えると、魔王を見据える。勇者の周りに集中線が現れた。


「最初の町の武器屋で500Gで買った鉄の剣だ!」


「もうお前、無理だよ! 私を倒すの無理!」


 魔王は思わず厳かで神秘的な声で叫んだ。


「お前、ちょっと座れ」


「はい」


 勇者はその場で正座する。


「最初の町の武器屋で500Gで買った鉄の剣って何だ?」


「旅に出る前に色々調べた。この武器が一番コストパフォーマンスがいい」


「勇者がコストパフォーマンスとか考えるなよ! 退魔の剣は!? 私を倒せるやつ!」


「いや、退魔の剣って何……? コスパ悪そうな名前」


 勇者は鼻で笑った。


「伝説の剣にコスパとかはないの!」


 魔王は厳かで神秘的で口調を保ちつつ声を荒げる。


「というかお前、仲間は?」


「いや、いない。1人だが」


「仲間を作れよ! 友情を育んでこい!」


「お言葉だが」


 正座姿勢の勇者は挙手する。


「発言を許可しよう」


「あたしの目的は魔王を倒すことなんですけど。友達作りじゃないし」


「そうかもしれないけどさぁ! 旅してれば自然とチャンスあるだろ!?」


「あたしは一刻も早く魔王を倒さなければいけないんだ! そんなことにうつつを抜かしている暇はない!」


 勇者は足の痺れを直しながらゆっくりと立ち上がった。


「何立ってんだ」


「これはあたしの持論だが」


「何語り始めてんの」


「人間は一つのことに全ての力を注いだ時が最も強い。剣士は剣の技術を磨くことだけに全てを費やした者が最も強く、魔法使いは人生の全てを探求に費やした者が最も真理に近付く。それが全て!」


「そうかなぁ」


「魔王討伐以外の全てを切り捨て、最速でこの世界に平和をもたらす! それが真の勇者!」


「ウーン」


「そして、国王から報奨金をもらい、資産運用と個人年金で残りの人生を豊かに過ごす!」


「勇者が余生のこととか考えんな!」


「今は自分の人生は自分で考える時代だ。国なんか当てにしてちゃダメ」


「勇者の言うことじゃない!」


「今時、世界を平和にするために勇者になる人なんていないですよ」


 勇者は鼻で笑った。


「お前もうダメだよ! 再び座れ!」


 魔王は節くれだった手で勇者を強引に座らせる。


「お前もう……なんか全部がダメ。勇者としてダメすぎる」


「そんなことを言われても……」


「今のままじゃあ私には勝てないし」


「やってみなければ分からないだろう!」


 勇者は最初の町の武器屋で500Gで買った鉄の剣の柄に手をかける。


 魔王はおもむろに片手をかざして、火炎魔法を放った。


 赤い火球によって勇者の体が吹き飛ばされ、禍々しい壁に叩きつけられる!


「ウギャーッ!?」


 床に転がった勇者は立ち上がると魔王を睨みつけた。


「……何のつもりだ」


「学習しろよ! 勝てないんだって! レベルも圧倒的に足りてないし、装備も貧弱だし、仲間もいないし……」


「そういう言い方はやめろ。あたしの旅が間違っていたみたいじゃないか。傷付く」


「いや……間違っていたんじゃないか……?」


「全否定かよ……」


 勇者は項垂れた。


「魔王を倒せないなら、あたしの人生には何の意味もない。ただ空っぽなだけ……」


 号泣!


「ウグーッ!」


「おい、何も泣かなくても……」


「ウウーッ! だって、魔王を倒すことだけがあたしの生きる意味だったから……!」


 魔王は節くれだった手で勇者の背をさする。


「ええっ、どうしよう。どうすればいいんだ?」


「ウグーッ!」


 号泣!


「泣くなって。なあ、もう一回やり直そう。魔王城の近くの敵でレベル上げて、稼いだ金で装備を整えればいいじゃん?」


「そんなことが許されるのか……?」


 勇者は涙で潤んだ瞳で魔王を見上げる。黒いローブは闇を帯びてフワフワしている。


「大丈夫だって。自分のペースでやろうよ。それまでここで待ってるからさ」


「そんなことが……」

 

勇者は懐の短刀を取り出すと、魔王の首をかっ斬ろうとする! 不意打ちだ!


「そんなの効率悪いから嫌だ!ここで今死ね!」


「クソ野郎が!!」


 魔王は咄嗟に片手をかざして、火炎魔法を放った!


 赤い火球によって勇者の体が吹き飛ばされ、禍々しい壁に叩きつけられる!


「ウギャーッ!?」


 勇者は床に突っ伏した。


「あかんわ! 性根が腐り切ってるのか、お前は!」


 怒りに燃える魔王は勇者のそばに立つと杖を構えた。


「もうダメだ! 何もかもがダメ! 最初からやり直せ!」


 魔王が何やら呪文を唱える。勇者の体を囲むようにして魔法陣が現れた。


「待て……何をするつもりだ……」


「私が使える中でも禁呪きんじゅとされている最大魔法だ。貴様の時間を巻き戻す。旅の始まりまでな」


「やめろ! こんなことで禁忌を犯すな!」


「お前のせいだよ! 私だって使いたくないわ! だが、お前の腐った性根は叩き直す必要がある!」


「嫌だー! 長かった旅が無駄になってしまう!」


「……ちなみに、どれくらいの長さ?」


「約12時間」


「たった半日!!」


 激昂げっこうした魔王は杖を振りかざす!


 魔法陣からおびただしい光が放たれる。


 魔王城の玉座の間は光に満たされ、二人の姿がき消えた。

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