第18話 ……いくら払った?

 ざわめきの中に感じるかすかな緊張感。クラスメイトたちは今朝から流れるこの噂を肴にランチを過ごす腹づもりらしい。


 全員が、俺の返答を待っている。


 そんな中、俺は喉に絡みたく唾液をグッと呑み込みつつ、答えた。


「……まあ、マジだな」


 仲睦まじく、というのは知らないが。


 俺が言うと、教室のざわめきが一気に増した気がする。


 そして次の瞬間、遠野とおのはフッと瞳を伏せたかと思うと俺の肩をポンと叩いた。


「……いくら払った?」


「払ってねえよ!?」


「そうだよな北見は純愛厨だもんな。そんなこと、表立って言えないよな。でも、暴発することだってたまにはあるよな。わかるぜ」


 さもおまえのことは分かってるからと言ったふうにポンポンと肩を叩いてくる遠野。この上なくうざい。


 まあ、暴発はしたから今の状況があるのかもしれないが。


 遠野のリアクションから、生徒が瑞菜みずなに抱く印象というものを改めて認識した。


「……で、何枚だ。どれだけ貢げばヤらせてもらえるんだ。DT捨てられるならオレはどれだけでも積むぞ!?」


「だからちげえつってんだろ」


 食い気味に迫ってくる遠野の顔を引きはがす。


 しかし遠野は納得いかない様子で、それならなぜ瀬川瑞菜と一緒にいたんだと答えを求めてくる。


 クラスメイトの注目も、やはり衰えない。


 俺と瑞菜がまったく目立たない人間同士なら、そもそもこんなことにはならない。誰も注目しない。しかし俺は転校生で、瑞菜は美少女エセビッチ。話題性が抜群すぎるのだ。


 この追及を完全に逃れることは難しい。逃れようとすればするほど、追及の目は厳しくなる。だったら、することは一つだ。


「……幼馴染なんだよ」


「は?」


 遠野は理解ができないと言うように素っ頓狂な声を上げる。


「俺と瑞菜は幼馴染なんだ。だからまあ、一緒に登校くらいいいだろ」


「……ふんふん、なるほどなるほど。北見と瀬川瑞菜が幼馴染で、毎朝起こしてもらえるのはもちろん朝ごはんのあーんもイチャラブ登校もふつう……って、はあああああああああああああああああああああああ!?」


 教室には遠野の大げさな叫び声が響き渡った。


 叫ぶな。そしてかなり思考が飛んでるぞ……。妄想たくましいなおい。




「で、だ。遠野、おまえにひとつ頼みがあるんだが。いいか?」


 教室から退散して人気のない渡り廊下にやってくると、俺は遠野にそう切り出した。


「幼馴染の美少女に再会して勝ち組人生まっしぐらの北見さんがオレに頼みだとぅ?!」


「妬み僻み籠りすぎだろ……。てか瑞菜とはただの幼馴染だ。……今んところは」


「今んところぉ!?」


「いや、それはだから……ってかおまえ知ってんだろ。俺には好きな子がいるって」


 面倒なことに遠野には俺の片想いを知られてしまっているのだが、今回はそれが都合よく働くだろう。


 瑞菜との関係については俺自身も説明できるだけの言葉を持ち合わせていないし、勝手に話すには幾分込み入った話だ。言葉を濁すしかない。


 俺が片想い中であること、そして純愛厨であることも重々承知している遠野は未だ妬みを覗かせながらも渋々納得してくれた。


「で、頼みって? オレにできることなんてあんまないぞ?」


「おまえ、それなりに顔広いよな?」


「まあ、それなりに? みんな同志だけどな!」


 遠野はニカッと笑って「おまえも同志の一員だぜ?」とサムズアップしてくる。非常に鬱陶しい。


 同志というのはつまり、陰キャオタクということだろう。


「それでいい。それでいいから、そいつらを通して噂の上塗りを頼みたい」


「上塗り? そりゃあ今朝のか? さすがにそれはタイムリーすぎだろぉ」


「いや、今朝のはいい。幼馴染であるっていう情報がすでに流れてるだろ。とりあえずはそれでいいよ」


 そう、途中まで教室で堂々と話していたのはそのためだ。俺にとっては緊張で死にたくなるような行いだったものの、俺と瑞菜が幼馴染であるという情報を流すことには成功した。


 それでも下種の勘繰りはあるだろうが、あることないこと言われるよりはずっといい。


 そしてここからが本題。昨日、瑞菜の事情を知ってからある程度は考えていたことだ。


「俺が流してほしい噂ってのは、瀬川瑞菜個人についてのものだ」


「瀬川瑞菜の噂ってーと……やっぱビッチっつーのか?」


「ああ。それで間違いない。その噂をどうにかしたい」


「なーるへそ」


 遠野は得心がいったように頷く。


「頼めるか?」


「ま、その上塗りのために流す噂の内容によるとしか」


「ああ。俺が流してほしい噂っていうのが――――」


 俺は声を潜めて、その内容を遠野に告げる。


 どうせこれから広げる噂。誰かに聞かれても問題ないのだろうが、こういうのは気分だ。


「どうだ? いけそうか?」


「なるほど? おーけーおーけー。聞いて喜ぶっつーか妄想捗るやつもいるだろうし、十分拡散できると思うぜ?」


「そうか。それなら、頼む」


 俺は目の前の友人に対して、少し大げさに、深く頭を下げる。


 すると遠野は気分よさげに笑った。


「へっ。随分真摯に頼むじゃねえかよ。純愛厨の北見くん的には、幼馴染がビッチだとか言われるのがそんなに気に入らなかったか?」


「……っ。まあ、な。あいつがそういうんじゃないのは俺が一番よく知ってる」


「へえ。それにしても瀬川瑞菜がねえ。それはそれでギャップ萌えが素晴らしいじゃねえかよ……」


 唾液を垂らさんばかりに恍惚とした表情で鼻息を荒くする遠野。


 なんだかその表情にイラッときた。


「おい人の幼馴染でサカってんじゃねえぞ」


「へへ。まあいいじゃねえかよ。あ、あとひとつ。これ、頼むぜ?」


 遠野はねだるように目配せした。その仕草もキモい。できれば目を合わせたくない。


 だがまあ、今回のことに関してはこれからの働きによっては感謝しないでもないのだ。


 だから俺は少しだけ笑みを浮かべる。


「わーってる。今度、俺の秘蔵コレクションぜんぶくれてやるよ」


「うっひょ~! 北見さんマジ太っ腹! 俄然やる気出てきた! 早速行ってくるわ!」


 遠野はダーッと走り出してこの場を後にした。まったく、現金な奴だ。


 そしてさらば、俺のコレクション。

 瑞菜と同居している都合上、君たちにはなかなか会うことができないんだ……。だからせめて、我が友人の元で幸せになってくれ……。


 俺はお世話になった画面の中、本の中の美少女たちにせめてもの祈りを捧げた。

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