第十九話 「そして新たな旅立ち」
親子に別れを告げて、レイとエステルは村をでた。
背後で手を振る親子の姿が、朝もやの中にぼんやりと溶けていく。
エステルは、最後に振り返った。レノマとマリアの姿を、心に刻み付けるように。
村を出て少し歩いたところで、レイが静かに口を開く。
「何も伝えなくてよかったのか?」
エステルは立ち止まり、村の方を見つめたまま答えた。
その瞳には、決意と諦めが混在していた。
「あの人たちは私を知りませんから」そう呟いた彼女の表情に浮かぶ複雑な感情の渦は、言葉にせずとも理解できた。
「わかった。行こうか」とレイが言うと、彼女は小さく頷いた。
再び歩きだすと、朝日が地平線から顔を覗かせ、エステルの銀髪を照らす。まるで光の糸のようなその美しさに、一瞬見とれていたレイは誤魔化すように叫んだ。
「さあて、お前の記憶も戻ったし、俺達もメリッサの所に戻るか!」
「ダジャレですか?」
「お前な。俺は、そんなつまらない男じゃない」
「そうでしたか?」と笑みを浮かべる彼女に、レイは少しドキっとして、すぐに視線を外した。
数日の旅を経てメリッサの塔に戻ったレイとエステルを、甘美な香りが出迎えた。
薄暗い階段を上がり、ようやく辿り着いた部屋の扉を開けると、そこにはいつもの魔女の姿があった。
「おかえりなさい」メリッサの声に、かすかな好奇心が混じっている。「何か、変わったことでもあった?」
レイは一瞬躊躇した。エステルの方をちらりと見る。
エステルが小さく頷いたのを確認し、レイは深呼吸をして話し始めた。
「エステルの記憶が戻ったんです」
「あら。詳しく聞かせてもらえるかしら?」
レイは、エステルから聞いた話の概要を簡潔に説明した。ヴァルハイム家の娘としての生い立ち、ドラゴンの襲来、そして長い年月を剣として過ごしたこと。
メリッサは黙って聞いていたが、時折鋭い眼差しでエステルを観察していた。
説明が終わると、メリッサは深いため息をつく。「なるほど…ね」と彼女の目が、鋭く光る。
暫く間を置いて、「でも、あなたたちは考えたの?」と彼女は続けた。
「何をです?」レイが尋ねる。その声には、かすかな警戒心が混じった。
メリッサは、ゆっくりと立ち上がる。彼女のドレスが、風を切るように揺れた。
「それでも、彼女を剣に戻したいのかってことよ」
その言葉に、部屋の空気が凍りついた。レイとエステルは、互いの顔を見合わせる。二人の間に、言葉にならない緊張が走った。
メリッサは、二人の反応を見逃さなかった。彼女の唇が、かすかに歪む。
「記憶が戻った今、元の姿に戻すことが本当に正しいのか……そう考えないの?」
レイは言葉に詰まった。確かに、レイの旅の目的は、エステルを元の姿に戻すことだった。
レイがエステルの方を見ると、彼女は静かに目を閉じていた。その表情からは、何を考えているのか読み取ることができない。
メリッサの問いかけは、二人の心に大きな波紋を投げかけた。これまで当然のように考えていた目的が、突如として揺らぎ始めたのだ。
レイの頭の中で、様々な思いが交錯する。エステルを人間の姿のままにしておくことは可能なのか?それとも、やはり元の姿に戻すべきなのか?
部屋の中に、重苦しい沈黙が流れる。その静寂を破ったのは、再びメリッサの声だった。
「その前に知っておくべきことがあるわ」メリッサの表情が、一層真剣味を帯びる。
「エステル、あなたの記憶は戻ったかもしれない。でも、その体は魔法で作られたものに過ぎないのよ」
レイの体が強張った。エステルは静かに目を伏せる。メリッサは更に続けた。
「人間の記憶、魂を持っているからといって、貴方の体が本当の肉体ということにはならない。あなたの体は、レイの魔力によって形作られたもの。つまり……」
「人工的な存在だということですね」エステルが、メリッサの言葉を引き取った。その声には感情が感じられない。
レイは思わず声を上げた。「でも、エステルは確かに…」
「感情を持っている?」メリッサが遮る。
「それは、彼女の記憶と結びついた反応かもしれない。または、あなたの魔力が作り出した幻想かも」
レイは言葉を失った。エステルの存在の真実性を疑うような言葉に、心が激しく揺れていた。
メリッサは二人の反応を見つめながら、ゆっくりと歩き出した。「あなたたちに真実を突きつけるのは辛いわ。でも、これは避けては通れない現実なのよ」
彼女は窓際に立ち、外の景色を眺めながら言った。「エステルを剣に戻すための方法は、実はあるの」
レイとエステルは、その言葉に驚きを隠せなかった。
メリッサが続ける。「それは、あなたが彼女から魔力の繋がりを切って離れること。まぁ簡単に聞こえるかもしれない。でも、それはあなたたちの絆を断ち切ることを意味するわね」
レイは目を見開いた。「そんな……」
エステルは黙ったまま、床を見つめている。その表情からは何も読み取れない。
メリッサは二人を見つめ返した。「これが、私の出した結論よ。簡単すぎて拍子抜けかもしれないわね。でも、時として真実は単純なものよ」
レイの中で、様々な感情が渦巻いていた。エステルとの繋がりを切る。それは、旅の目的を果たすと共に、彼女を失うことを意味している。
メリッサは言う。「考える時間が必要かもしれないわね。急ぐ必要はないわ」
しかし、レイは無意識のうちに、エステルの方に一歩近づいていた。彼女の存在が、突然とても遠く感じられた。
「エステル……」レイが、震える声で呼びかけた、その時。エステルが先に口を開いた。
「レイ、あなたのおかげで、私は長年の使命を果たすことができました。これで未練なく消える事が出来ます」
唐突な言葉にレイは言葉を失う。
ところが、「しかし……」エステルの言葉が続いた。
「今度は私の番です。これからの私は、あなたの為にあります」
レイは息を呑んだ。「お、お前……」
「形が剣であろうと、今の姿であろうと。私は〝あなたのもの〟です」
エステルの瞳には、決意の色が宿っていた。
メリッサは「ふーん」とその様子を静かに見守っていた。彼女の目には、何かを見透かすような光が宿っている。
「まるでプロポーズね。で、あなたはどうしたいの?レイ」
「俺は……、俺も、エステルが必要だ」
目を逸らしながら発したレイの言葉に、エステルの目が大きく開かれる。
メリッサは、腕を組んで二人を見つめた。「いい加減にしてよね。いちゃいちゃは他所でやってくれる?」
「違う!そういう意味じゃない」とレイが顔を赤らめたが、エステルは冷静に「いちゃいちゃ、とは?」とその意味を理解していなかった。
「でもね……」と、メリッサは言う。「彼女の体は魔法で作られたもの。いつか消えてしまうかもしれないわよ」と再度現実を突きつける。
「そうかもしれない」レイは頷き。「でも、人間だって、いつかは死ぬ。大切なのは、今をどう生きるかだ!」と強く発した。
メリッサは、ゆっくりと微笑んだ。「なるほど、そういう選択もあるのねえ」
「メリッサさん?」レイが、困惑した表情で魔女を見る。彼女はその視線を受け止め、さらに続けた。
「彼女の体が魔法で作られたものだというのは本当。でも、その中にある魂は確かに人である。形が人間か剣か、そんなことは本質的には重要じゃない。大切なのは本人達がどう生きたいかってことね。お幸せに」
「だから、違うって!」と叫ぶレイの事を流して、メリッサは満足げな笑みを浮かべ、言う。「さて、これからどうするつもり?」
その言葉にレイは即答した。
「新しい生き方を探す。エステルと世界を見て回る」
エステルも、小さく頷いた。「私も、人間として生きることを学びたい」
二人を見るメリッサの瞳は、母親が旅立つ子供達に向けるような優しさを醸し出していた。
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