「想念の錬成者」~名家を追放された孤児と、剣の少女が織り成す運命の物語~

水城ゆきひろ

プロローグ 「境界線上の感情」

夕陽が空を焼き尽くす。その赤い炎が湖面に映り、世界を二つに裂く。

その境界線の傍らで、少女──エステルは剣の手入れを終え、優しく鞘に納めた。彼女の剣に対する愛着が滲み出ている。

レイは黙ってその姿を見つめていた。


少女は一本の朽ち果てた剣だ。正確には剣が生み出した人形(ゴーレム)なのかもしれない。彼女には本当に自我があるのか?などと考えながらレイは目を逸らした。


まともな人間なら、血生臭い現場を見て戦慄するはずだ。だが彼女は凄惨な戦場さえも無表情で歩き続ける。あばら骨が突き出て、血に塗れた人間の死体を見ても、それを平然と踏みつけて通り過ぎていく。感情など無に等しいと言わんばかりに。


無論、エステルが冷酷な性質なのは事実だろう。しかし、それはあくまで作られた性質なのだろうか。彼女が本当の人間ならば、また違うのか?レイはそんな風に考えていた。

「君は剣の産物だ。心臓の鼓動さえ持たぬ人形だよ」などと誰かに言われても、彼女はきっと「そうですね」と答えるだけだろう。自身の存在の核心さえ分からぬまま。


レイはエステルの横顔を伺った。夕陽に透ける銀髪は美しく、誰が見ても魅了されるはずだった。しかしレイには、人間らしさを持った人形のように見えた。

生き生きとした表情、感情の濃淡。人形には本来それらは備わっていないのだから。

ただ時折、彼女の中にそれらしきものが見え隠れするのはなぜなのか。そんな疑問がレイの頭を覆っていた。


風に揺れるエステルの美しい髪。だがレイの目には、人の毛髪ではなく、光沢のある人工物に写り、いずれ摩耗して剥がれ落ちてしまうような気がして、怖かった。

長い旅の中で、レイは既に自分の中にある〝想い〟に気づいていた。

彼女を人形であると認識しながらも、どこかしらで見える感情が本物であってほしいと。


「随分と丁寧に愛でるじゃないか。もしかしてその剣は、お前の親友か、恋人にでもなったのか?」


エステルの瞳が僅かに揺れた。レイも気付いていた。発言が相応しくなかったことを。いつもの皮肉とは少し違う、もっと攻めた言葉である事に。

だがレイは容赦なくその先を突いた。彼女の感情を動かしてみようと。


「剣との関係なら、まあ分からんでもない。人形どうしの付き合いってのは、俺には理解出来ないけどな」


一瞬の沈黙の後、頬を引き裂くような金属音が響いた。

剣がレイの前に現れていた。鋭い剣先が喉笛の若干上を指し示す。エステルに逆らえば、この剣がその場でレイの命を断つだろう。

彼女は怒ってるのか?そんな事は有り得ない……そう思いながらも、レイは確かめずにはいられなかった。


「お前、俺に剣を向けるのか。人間ですらないくせに」


エステルの瞳が、鋭く睨んだ。けれども次の瞬間、彼女の眉尻が少しだけ揺れた。なんだ動揺したのか?と、レイが思った直後。

ぽたりと一滴の水滴が剣身を伝い、地面に落ちた。それは透明な液体であることが分かる。そんなはずはない。

だがエステルの目からは、涙が零れていた。いやそれは、ただの水か油である可能性だってある。


だが彼女が突き付ける剣身が痙攣した。その人形からは感情があふれ出ているように見えた。だがレイは、その光景にさえまだ、疑いの気持ちを持っていた。

エステルはその剣をバカにされる事を嫌う。それが分かってるレイだからこそ、ここまで彼女に飛躍した行動を取らせるに至ったのだ。


「お前なんで、なんで、そんなになってんだ」

「これは、あなたがくれた物です」

「だったら、それはとっくに俺の物じゃない。お前が勝手に気に入ってるだけじゃないか」


応答は無かった。だがエステルの剣はレイの喉元から離れていた。もし、彼女があの程度の言葉に打ちのめされたのだったら、それはもはや自分の知る〝人形〟ではないとレイは思った。

少し前の彼女なら、レイのどんな皮肉も流していたのだ。それが今は〝人形〟とは違うのだと、そんな風に考え至り。レイは自分がした事を深く後悔した。


「なあ、エステル。もうすぐミストヘイブンだな」と何事もなかったかのようにレイが切り出すと、エステルは無表情のまま答えた。


「はい。あと半日もあれば到着するでしょう」

「緊張してるか?」

「緊張?私は剣ですから、そのような感情はありません」


その返しに、いつものエステルを感じてレイは苦笑した。


「そうか。でも、お前なりの緊張ってあるんじゃないか?例えば、刃が鈍っているとか」

エステルが自分の胸に手を当てる。「なるほど。その意味では、私は常に緊張状態です。鋭利であることが私の存在意義ですから」

「いや、そうじゃなくて……」レイは言葉を詰まらせたが、すぐに笑いに変わった。「まあいいか。お前らしいよ」


少し間を置いて、エステルが口を開いた。「レイ、質問があります」

「なんだ?」

「私たちは何を探しているのでしょうか?私を元の姿に戻す方法...でしょうか」


少し考え、レイは空を見上げた。「ああ、そうだな。でも、それだけじゃない気がする」

「どういう意味ですか?」

「お前の正体とか、お前が人の姿になった理由とか……色々あるだろう。それに、お前が本当に元に戻りたいのかも、まだわからないしな」


エステルは黙って剣を見つめた。「私は...剣です。剣であるべきです」

「そうか?でも、さっきのお前も……悪くないと思うけどな」


エステルは珍しく困惑した表情を浮かべると「人間の感情は複雑です。私には理解できません」と無表情で答えた。

「ははは、俺にだってよくわからないさ。でも、お前と一緒に旅してるのは楽しいんだ」


エステルは黙ってレイの横顔を見つめた。そして、突然立ち上がると、再度、その剣を抜いた。


レイは驚いた。「エステル?どうした?」

直ぐに彼女から距離をとる。一度怒らせた事で壊れたのかとすら思ったのだ。

しかしエステルは「訓練です。もっと鍛錬しましょう。あなたの剣技はまだまだです」と剣を構える。

「おい、やめろ!俺の剣術は子供以下だ。ウッカリ殺しちまって困るのはお前だぞ!」

「ウッカリしても半殺し程度です」


やはりエステルに人の感情はないのだとレンは思い直した。感情を持ってるようで持っていない〝人形〟

そんな彼女とレンが出会ったのは、今から三ヶ月前。

出会った、というかは〝見つけた〟。

とにかく藁にもすがる思いだった当時のレイは、彼女と共に生きていく事を決めた。自分が犯してしまった罪の責任を取るために────


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