氷嵐の世紀

はまだない

序幕

◇ しんリープ歴四五一年 秋 ◇


 今日は人生で最高の日だ!

 幼馴染の年下の男の子から、プロポーズをされた。

 先日、成人を迎えた私は家の決まりで村の外の人と結婚をしなければいけなかった。

 いけない事と知りつつも、密かに抱いていた恋心。

 まさかまさかまさか!

 あんな強引に結婚を迫ってくれるなんてっ!

 彼はまだ未成年。正式にはまだ結婚できないけれど、彼お手製の銀製の指輪を右手の薬指にめています。これは『永遠の愛を誓う』事を意味しているの!

 おじいちゃんも、お父さんお母さんも彼との結婚を認めてくれた!

 彼が成人したら、そしたら晴れて本当の家族になれるんだ!

 ああ!

 何て素敵なんだろう!

 あと三年……早く来ないかな。


 実の所、こんな風に日記を書くのは珍しい。

 ヘイリアは小さい頃からお転婆で、女の子らしい遊びや家でおしとやかにしている事など無く、男の子達を従えて野山を駆け巡っている事の方が多い娘だった。彼と出会ってからはそれに代わって剣を振る様になった。

 成人する様な年になっても、女だてらに剣を振り回し女らしさなど山に捨てて来たんだろうと、村の皆から酒の席で笑い話にされてしまう程である。

 そんなヘイリアも、時々日記を付ける事があった。

 特別悲しい事があった時。悲しさを忘れる為に。

 特別嬉しい事があった時。その喜びをずっと忘れない為に。

 今日は後者の方であった。

 一通り満足行くだけ書き付け、白紙のページの方が多い手帳をパタンと閉じて引き出しへ仕舞う。

「よし!」

 幸せを噛締かみしめたまま、ヘイリアはとこいた。

 明日は彼とどんな稽古をしようかな? などと考えながら。

 それは最高の一日の終り。そして──最悪の一日の始まりでもあった。


「キャーッ!!」

 夜の静寂しじまを引き裂く悲鳴が村に響いたのは、空にが射し始めるよりおよそ一時間ほど前。最も人が寝静まっている時間だった。

 ヘイリアは悲鳴を聞き付けると、枕元にいつも置いてある二振りの木製の短剣を手に取り飛び起きる。短剣を腰に挟むと自室がある二階の窓を開け身を乗り出したかと思うと、屋根の端を掴んで蹴上がりの要領でクルリと屋根に上がる。

 屋根の上から周囲を見回すと、暗色の服を着込んだ一団が村を襲撃している様子が飛び込んで来る。

 暗くてはっきりとは見えないが、鎧を着た兵隊達が外の森に隠れながら村を取り囲んでいる様に見える。

(一体何が起きているの……?)

 兎に角このままじゃ村の皆が危ない!

 ヘイリアは短剣を両手に構えると、ヒラリと屋根から軽やかに飛び降りる。

 じゃり、と小さな音だけを残して静かに着地したヘイリアは、目についた暗色の兵を片端から斬り倒して行く。真剣ではないので急所を的確に狙いながら戦闘力を奪って行く。

 村の中を走り周りながら、一番騒ぎの大きい北の広場へ向かうと、村の自警団と常駐の兵士達が敵と向かい合っている所だった。

 ここの敵は村の中に居た連中と違い、しっかりとした鎧を着た兵士達。数もこちらの倍は下らないだろう。そもそも田舎の然程さほど大きくもない村だ。常駐している兵など十人も居ないのだ。自警団の大人たちと併せても、五十と居ないだろう。

 そしてこれとは別に村を取り囲んでいる兵士達が居る……はず。

 一体何が目的で、誰がこんな事をしているのか、ヘイリアには皆目見当も付かなかったが、今はそんな事を考えて居る場合じゃないと広場へ突入して行く。

 それに気付いた自警団の一人が驚いて声を上げる。

「──っ!? ヘイリア!? こんな所で何してるっ!」

 それを無視してヘイリアは声を張り上げる。

「ここは私と兵士さん達で何とかする! 皆は村の人たちを守って! 囲まれてるの!」

「何っ!?」

 そう叫ぶと、ヘイリアは大人たちの決断を待つ事無く敵陣へと斬り込んで行く。

 とても十五の成人したての小娘とは思えない強さで、次々と完全武装の兵士たちを斬り倒して行くのを見て、兵士達も彼女に続け! と戦端を開く。

 ヘイリアの強さに呆気あっけに取られていた自警団の大人達は、ヘイリアの「早く!」という叫びを聞いて、慌てて村人の救助へと向かって行った。

 

 どれくらい戦っただろう。

 どれくらい倒しただろう。

 皆は無事に逃げられたかな……?


 ヘイリアの周りには、一緒に戦ってくれていた十人ばかりの兵士の死体と、五十を超える敵が戦闘不能となって倒れ伏していた。

 一応死なない程度に手加減したつもりだけど、死んでる人もいるかもしれない……。

 酷く感覚が、感情が平坦になっていくのをヘイリアは感じていた。

 意図して人を殺す事には、敵とは言えまだ抵抗があったが、意図せず死んでしまう事態を想像しても何故か心は動かされなかった。その内、殺す積りで斬る事にも抵抗が無くなってしまう気がする。そうヘイリアは妙に冷静な頭で自己を分析していた。

 何にせよ、今はそんな事を気にしている場合じゃない。

 まだ敵は、倒した数の倍以上居るのだから。

 今や敵もヘイリアに恐れをなして斬り掛って来る者は居なくなっていた。ただ槍を突き付け遠巻きに囲むだけだ。

(早くケリを付けないと……)

 ヘイリアの体力とて無限ではない。とうに底を付きかけている。いくら強いと言ってもまだ大人になり立ての娘だ。村を、皆を守らなければという使命感だけで体を動かしている様な物だった。

 遠くから微かに聞こえていた悲鳴や怒号も、もう殆ど聞こえて来なくなっていた。上手く逃げられて居る事をただ祈りながら、ヘイリアは敵兵を睨み付ける。

(師匠に体の操り方を教えて貰っていて本当に良かった。じゃなきゃとっくに指一本動かなくなってた)

「う…………うあああああああああああああああああ!」

 ヘイリアの眼光に、恐怖のリミッターが振り切れた一人の兵が槍を突き出す。

「馬鹿野郎!」「くそがっ!」「仕方ない! 掛かれ!」

 遅れて他の兵達も一斉に槍を突き出すが、暴発した兵の槍をヘイリアは短剣で引き込み、より勢いを付けて向かいの兵へと突き刺させつつ、すれ違い様に暴発兵を斬り伏せる。そうして出来た間隙から円を為す敵兵を片端から斬り伏せて行く。ものの一分と掛からずに、ヘイリアを取り囲んでいた八人の兵が地に伏していた。

 肩で息をしつつじり、じり、とヘイリアは敵兵との距離を詰めて行く。

 敵兵達はヘイリアが進んだ倍以上の距離を、後退あとずさっていた。

「奴ももう疲労困憊だ! 一気に畳み掛けろ!」

 指揮官らしき男が遠い所からげきを飛ばすものの、誰もそれに従おうとはしなかった。「じゃあお前が行けよ。そんで死ね」と、ヘイリアと対峙たいじしている兵たちは小さな声で呪詛じゅそを撒き散らしていた。

 ヘイリアが再び斬り込もうとしたその時、村から火の手が上がる。

 それを見た敵兵達が一気に活気づく。そこから敵の動きは迅速だった。

 火を点けるのが合図だったのだろう、敵兵達は一斉に撤退を始めたのだ。

 ヘイリアの足止めとして殿しんがりを務める兵達の奥から、「全ての食糧と村人を乗せた搬送車、滞りなく全て出発致しました」「抵抗する村人は予定通り処分しておきました」と指揮官に報告する声がヘイリアの耳に入って来る。

(ああ……皆、捕まっちゃったんだ……)

 まだ体を動かす力は、微かだが残っている。自分一人逃げる事だって難しいかもしれないが、きっと出来るに違いない。だけど……心が、折れてしまった。

 訳も分からず襲われ、村は焼かれ、みんな捕まるか殺されるかしてしまった。

 精神こころの支えだった、『守る』と云う使命がなくなったヘイリアに、もうこれ以上戦う事は出来なかった。

 一気に押し寄せる疲労感に抗う事は出来ず、ヘイリアはくずおれる様にして地面に膝を付きそのままパタリと力なく倒れ込む。

 もう指一つ自分の意思で動かす事は出来そうになかった。

(どうして……どうしてこうなっちゃったんだろう……。ごめん…………。ごめんね、フォグル…………)

 心の中で未来の夫に謝りながら、ヘイリアの意識は闇へと沈んで行った。


「おい。どうする?」

「どうするって……抵抗しない村人は全部連れて帰れって命令だろ?」

「散々暴れてただろ」

「まあそうだが……今は抵抗してない、いや、出来ないんだから連れて行けばいいんじゃないか」

「分かった。ただその前に折角だ、一発楽しませて貰うくらいは良いんじゃねぇか?」

「馬鹿言ってんな。そんな時間ねぇよ。おら、さっさと行くぞ!」

「チッ。しゃーねーか。運んでる時に触るくらいは良いだろ?」

「程ほどにしとけよ? 折角生き残ったのに遅れて懲罰くらうなんて馬鹿らしいからな」

 命拾いをした殿の兵達は、倒れたヘイリアを拘束し本隊へと向かって行った。

 まだ陽は昇らない。


 ◇ 進リープ歴四三九年 春 ◇


 人里離れた山奥に老爺が一人で暮らしていた。一番近くの村まで大人の足でも半日は掛かるだろうと言う、辺鄙へんぴな場所だ。

 そんな老爺が住む小屋に近付いてくる気配が一つ。

 静かに目覚めた老爺は、寝た姿勢のまま外の気配に意識を向ける。獲物は手元にないが、特に問題はないと判断。

 まだ日も登りきらぬ様な時間。近付いてくる気配は獣のそれではなく、人である。

 野盗かはたまた迷い人か。尋ね人ならばこんな時間には来るまい。

 どちらでも丁重ていちょうに歓迎してやるまでよと、気楽に寝た振りをしたまま外の気配を探っていると、外の気配は小屋の戸の前まで来て少しの間立ち止まった後、戸を叩く事もなくその場を立ち去って行った。

 不審に思った老爺だったが、そんな事もあるかとさして気にも留めず再度眠りに就こうとすると、小屋の戸の辺りからおよそこんな場所で聞く事のない声が聞こえて来るではないか。

 おぎゃあおぎゃあ、と。

 流石に飛び起きた老爺がそっと戸を開けると、そこにはおくるみに包まれた一人の赤子が、小さな篭に入れられ置かれていた。

 捨て子だ。

 近年続く凶作で近隣の領地では口減らしが横行しているが、この辺り一帯は比較的気候が穏やかで、まだ食うに困る程ではない。しかもこの山奥だ。

(ここに儂がおると知っての事という事か)

 まだ然程さほど遠くには行っては居まいと、赤子を恐る恐る抱えながら周辺を探して回るが、数メートル先も見通せない深い霧が立ち込めて居り、親を見つける事は出来なかった。

 もう少し広く探してみるかと立ち止まって思案していると、移動中は大人しくしていた赤子が再び「おぎゃあおぎゃあ」と大きく泣き出す。慣れぬ手付きであやして見るものの一向に泣き止む気配はない。

 弱り果てた老爺は古くからの知己が居る最寄りの村まで助けを求めに行く事にした。

 わずかに一時間程で山を降り知己の家の戸を叩く。何故かその移動中だけは、赤子は大人しくして居たのだが。

 泣き喚く赤子に弱り果てた老爺を見たその知己は、早朝に叩き起こされたと言うのに開口一番「そんなお主の姿が見れるとは! 良い冥途の土産が出来たわ!」と大笑いしていた。

 お腹が減っていたのだろう、乳を与え大人しくなった所で知己が訊ねて来る。「で、その赤子、どうするのじゃ?」との問いに、「これも何かの縁よ。ずっと独り身であった儂に、この年になって子供を授かるとはの」と育てる意思を伝える。

 食うに困っている訳でもなし。今更改めて捨てるのも流石に気が引ける。

「そうか……そうか……。では名前を付けんとの?」

「名前か……そうだな……」

 老爺は深く立ち込めていた霧の景色を思い浮かべた。

「フォグ……うむ。お主の名前はフォグルじゃ!」

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