Act.11 まるで泣き出しそうな蒼空だった

 所狭しと並ぶ小さな民家や建物。

 少々薄汚いが活気溢れるその街並み。けれど、ところどころに路上で眠る者や痩せ細った犬や猫などが目につく。

 希望は捨てていない。戦う意思は残っている。……けれど、それも細い細い糸のように、何かきっかけがあれば千切れてしまいそうで……――


 それが、人工天使・ミカエルが生まれて初めて見た自国の街と、その印象だった。


 +++


「やっぱ、留守番しといた方が良かったんじゃねえのか?」


 この街のことが知りたい。

 先日の戦闘のあとに抱いたその決意を胸に、ミカエルは早速行動に移した。

 しかし、その背に生えた白い翼が珍しいのか、はたまた元政府の者だと知られているからなのか。

 買い物をしに行くハリアに頼み込んで連れてきてもらった街中で、ミカエルは様々な視線に晒された。

 そんな天使を気遣ってか、ハリアは心配そうに言葉をミカエルにかける。

 だが、当の天使は静かに首を振った。


「僕が行きたいと言ったんです。僕は、大丈夫ですから」


 儚げに笑むミカエルに、一緒に来ていたフィーネがその頭を撫でて笑う。


「まあ、もしみっくんに何かあったら私たちが助けるから大丈夫大丈夫!」


 能天気なフィーネにハリアが盛大にため息をついたのは、気にしないことにした。


 +++


「よおハリア! フィーネちゃんも久しぶり!」


 目的地である道具屋にたどり着いた三人。他の店と変わらずテントを張った出店のようなその場所で、ハリアたちにそんな声が掛けられる。

 ミカエルが店の奥を見やると、店主と思わしき黒髪の壮年の男性が、親しげな笑みを浮かべて店頭へと姿を現した。


「相変わらず元気そうだな、おっさん」


「お久しぶりですー」


 ハリアとフィーネは慣れているようで、笑顔を見せながら彼に挨拶をする。

 そのまま店主の視線は、物珍しそうにあちこちをキョロキョロと見ていたミカエルに移動した。


「そっちのちっこいのは……“政府の天使”、か」


「……ああ」


 店主の言葉にびくりと肩が跳ねたミカエルを横目に、ハリアは隠すことなく頷く。


「で、でもでも! みっくんはいい子ですよっ!

 一生懸命で、真面目で、とっても優しいんですから!」


 いくらおじさんと言えど彼を苛めたら許さないですよ、と言いながら、フィーネは両手を広げてミカエルを庇う。

 そんな彼女の様子を見て、面白そうに店主は笑った。


「はっはっはっ! そんなに警戒しなくても何もしないさ。

 お前さんたちが拾ったんだ、だったら大丈夫だろ」


「……根拠がないな」


 呆れたように店主を一瞥しながら、ハリアが訝しげな表情を浮かべる。


「根拠なんてなくていいのさ。お前さんたち“I'llアイル”を信じてる、それこそ親の代からだ。

 そのことに根拠や理由が必要か?」


 笑顔のまま放たれた店主の言葉に、ハリアは負けたと言いたげに再度ため息をついた。


「それより、ハリア。気をつけた方がいいぞ」


「……何の話だ?」


 店主が突如真面目な顔になり、首を傾げるハリア。フィーネとミカエルも、その真剣な空気に居住まいを正す。


「“政府の天使”をお前さんたちが攫ったと言うことにして、政府はお前さんたち……“I'llアイル”を壊滅させる気らしい」


「はあ?」


「なっ……!!」


 店主の言葉にハリアは怪訝そうな顔をし、ミカエルは動揺する。


「ど、どういうことですかっ!?

 ラファエルは……兄は、僕が自分の意思で“I'll”にいると知ってるはず……!!」


「真相はどうあれ、何かしら理由……“大義名分”があった方が政府としても動きやすいのさ」


 ミカエルを理由に“I'll”を潰すことが出来れば、と言うのが政府の方針らしい。

 店主はそう言って、青ざめた顔のミカエルを痛ましげに見やった。


「ていうか、なんでおじさんがそんな情報を知ってるんです?」


「あれ、フィーネちゃんは知らなかったか。

 オレの仲間に情報屋がいてな、そいつからの情報だ」


 昔馴染みのよしみで特別にタダでお前さんたちに教えてやったのだ、とニヤリと笑う店主。

 フィーネはそんな彼に苦笑いを返し、ハリアを見やる。


「そ、そうなんですね。ありがとう、おじさん。

 えっと……それはそれとして、ハリアさんどうする?」


「そうだな……」


 困ったようなフィーネと不安そうなミカエルの視線を受け、考え込むハリア。

 けれど……その場に、抑揚のない冷めた声が響いた。



「迎え撃てばいいだけの話だ」



「……カルマ!」


 ハリアたちが振り返ると、そこには先日倒れたこともあり、アジトで留守番をしていたはずのカルマが立っていた。

 銀の髪を風に遊ばせながら、感情の見えないオッドアイの瞳でハリアたちを見据えている。


「なんでお前がここに……」


 滅多に街に出たがらない上、心配性のミライからアジトにて待機という名の安静を命じられていたカルマが、なぜここにいるのか。ハリアはカルマに問う。

 けれどカルマは、黙ったまま手に持っていた紙を彼へと渡しただけだった。


「なんだこれ……っ!?」


「ハリアさん?」


 不審に思いながら受け取った紙を読んで、ハリアは絶句する。

 その様子を見て、フィーネが不思議そうに首を傾げるが、彼は気がついていないのか忌々しげに眉をひそめた。


「……宣戦布告とは良い度胸じゃねぇか……ッ!!」


 ハリアがぐしゃり、と握りつぶしたその紙に書いてあったのは、政府軍からレジスタンスグループ・“I'll”への宣戦布告。

 ……それには店主が言ったとおり、『政府の“所有物”である人工天使・ミカエルを誘拐した罪』とまで記載されていた。

 ハリアはそれをフィーネやミカエルには決して読ませず、相変わらずの無表情で佇んでいたカルマに再度問いかける。


「他のメンバーはどうした?」


「留守番をしていたメンバーで探しに行った。

 オレは兄さんにその紙を渡して連れて帰ってこい、とミライ姉さんに言われた」


 淡々と答えるカルマにハリアはそうか、と頷いて、呆然としていたフィーネたちに指示を出した。


「戻るぞ! 政府の連中を叩き潰す!!」


「は、はい!!」


 その指示に慌てて了解の意を示し、フィーネはハリアと共にアジトへと駆けて行く。

 残ったミカエルは、不安に満ちた瞳でカルマを見上げた。


「……カルマ、くん」


「……大丈夫だ。オレたちは負けない。

 だから……そんな顔をするな、ミカ」


 不器用ながらも天使の金髪の頭を撫でるカルマ。

 それに「はい」と頷いたミカエルだったが、感じた胸騒ぎは止まらずに……――


 +++


 ――バンッ!!



 “I'll”アジト。荒々しくドアを開ける音と共に入ってきたのは、街に出ていたハリアたちだった。


「ハリア!」


「ハリアさん!!」


 不安そうなメンバーの顔を見て、ハリアは落ち着け、と諭す。


「現状はどうなっている?」


「まだ何も。恐らく向こうも準備をしているのでしょう」


 ハリアの問いかけに、副リーダーであるミライが答える。


「……ごめんなさい……僕、僕のせいで……ッ!」


「なぁにバカなこと言ってんの!」


 暗い顔で謝るミカエルの頭を、フィーネが軽く叩いた。


「フィーネの言うとおりだ。お前は悪くないって!」


「そうですよ、みっくん」


 そんなフィーネに続いて、フィリアと桜散サチも首を振って笑う。

 彼女たちの優しさに、ミカエルは泣きそうな笑顔で頷いた。


「ともかく、今は対策を練るぞ。各隊で迎撃するんだ」


「街の中にまで入ってこられては住民に被害が出ますから……街の外で迎え撃ちましょう」


 地図を広げながらハリアとミライが話し出す。

 メンバーたちは二人の声に耳を傾けた。


「みっくん、あいつらがどこから来るかとかわかる?」


「そう、ですね……。宣戦布告をしたんですから、奇襲をかけるようなことはしないと思いますが」


 フィリアの言葉に、ミカエルは地図を見つめながら答える。

 それに頷いて、ハリアが大通りを指差した。


「なら……一番隊、三番隊、四番隊は大通り、二番隊は町への出入り口で待機だ」


「了解!」


 リーダーの指示に、メンバー全員が真剣な表情で頷いた。


 +++


 ――政府塔内部。


「……どうしても、行くんだな」


 黒い髪を揺らしながら、ケイジが天使に問う。


「……上層部がそう決めたんだ。

 なら、それに従うしかない……オレには、それしかないんだから」


「ミカのことは……どうするんだ?」


 たった一人の理解者の言葉に、ラファエルは濁った瞳で彼を見やった。


「……殺せ、と言われ、た。……従うしか、ない」


「……ラファ」


 政府上層部は、ラファエルのこともミカエルのこともただの殺戮人形としか考えていないのだろう。

 だから、こんなにも簡単に切り捨てる。その役目を、片割れに押し付ける。


(こんなに、泣き出しそうな瞳をしているのに)


「……ケイジ」


 不意に天使に名を呼ばれ、ケイジは思考の渦から脱する。


「ラファ?」


「……ケイジ、オレは、本当は……――」


 +++


「……ミカ」



 出陣前。青く晴れた空をぼんやりと見上げていたミカエルに、カルマが声をかけた。


「……カルマくん。どうしたんですか?」


 優しく笑む天使に、カルマは僅かに顔をしかめる。


(泣きそうな顔を、していたくせに)


「……オレは、政府を潰す」


「はい」


 きょとんとした顔で、自分を見上げるミカエルの頭を、オッドアイの魔術師は不器用に撫でる。

 金糸の髪がさらさらと流れて、心地が良かった。


「お前は……前線に来なくても、いい」


「……ッ!!」


 いつものように淡々とした声音で、カルマはそう言った。

 ミカエルは目を見開いてカルマに問う。


「な……何でですか……!? ぼく、僕が、足手まといだから!?」


「違う」


「なら、なんで!!」


 責めるような天使の視線を、カルマはただ真っ直ぐ受け止めた。

 凪いだような左右異色の瞳に、ミカエルは思わず息を呑む。


「……お前の兄を、殺すことになるかもしれない。

 ……お前には、オレのようになってほしくはない」


 兄さんやフィーネから、全て聞いたのだろう?

 そう静かに諭すカルマに、ミカエルはうなだれる。

 そんな天使の姿を見て、カルマが踵を返し歩き出そうとした、その時だった。


「……連れて行って、ください」


 俯いたまま、ミカエルが呟いたのは。


「……ミカ」


「連れて行ってください、カルマくん」


 顔を上げた、その青い瞳はただ、蒼空のように澄んでいた。


「覚悟なら……出来ています。兄が、ラファエルが殺されることなんて……とっくに。

 僕は、政府を赦すことは、出来ないから」


 今更兄を赦せなど、そんな都合の良いことをどの口が言えようか。

 あなたたちの話を、この街の姿を見て、なおのこと。

 見て見ぬフリを出来るほど……自分は、堕ちてはいない。

 ――そう語るミカエルの紺碧の瞳に、迷いはなかった。


「ミカエル……」


「連れて行ってあげましょう、カルマ」


 呆然と天使を見つめるカルマの耳に、少女の声が届く。


「……桜散」


「みっくんのお気持ち、決意、覚悟……全て受け取りました。

 ……カルマ。彼は、大丈夫です」


 優しい桜散の声に、ミカエルが柔らかく笑んで、カルマを見やる。


「カルマくん……」


「カルマ」


 そんな二人の真っ直ぐな視線に、カルマはやがてため息をついた。


「……無茶は、するな」


「……っ! はいっ!!」



 その日の蒼空は、泣き出しそうな色をしていて。

 ――全て、悲劇の始まりに過ぎないと、一体誰が気付いたのだろうか……?



 Act.11:終

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