第3話
その夜は、窓の外は紺色のベルベット生地を広げたかのような色を持ち、それでいて宇宙の向こう側が見えそうなほど澄み切っていた。その中を金平糖のような星が、ひとつ、ふたつと浮いている。
「星っていうのは、自分でも作れるものなんだよ」
アーロンはそう言いながら、革のかばんの中から棒切れを取り出した。粗末で、枝の中に紛れてしまえば、どれがどれだか分からなくなってしまうだろう。そんな棒切れ。
アーロンは粗末な棒切れを二回振り――次にあらわれた光景を見て、リザヴェータは驚きの声を上げた。
手のひらにあらわれたのは小さな光の粒。
本物そっくりの、うその星だった。金平糖のようなきらりとした光沢がある。
驚きで目をぱちぱちと瞬かせる。
「あなたは魔法使いなの?」
「まぁ、そんなもんかも」
そうあいまいに答えた彼は次々と星を生み出していき、彼から生み出された星は自由に宙をさまよいながら一つの図形を形成した。そして輝きながら、消えていく。彼は本当に魔法使いなのだろうと思った。彼の革のかばんは年季が入っていて、それほど中が広そうに見えない。犬が入るようにも見えない。きっと別の空間が広がっているのだろうと思われた。魔法使いのかばんのように。
ブレードはあぐらをかいたアーロンの膝にお座りをしている。犬はとても誇らしそうに星を見つめていた。
彼はその星座を、即席で麦の王女座という名前と、その王女にまつわる物語をつくりあげた。確かにそれは、星を線でつないでいけば、麦の束を抱えた女の子のように見える。一等大きく見える星がてっぺんにあって、それは琥珀色に澄み切っていた。
「リーザを見ていたら思い浮かんだんだ。とっても綺麗な髪が、麦畑みたいに見えたから」
彼が即席でつくった話は、次の通りだ。
妾腹の出だったうつくしい王女が、飢饉が国を襲ったとき、国王に民を救ってくださるように嘆願した。国に、蓄えがあったことをひそかに知っていたからだ。渋い顔をした無能な国王は、自分が見た夢の意味を解いてくれたら貯蓄を開放すると約束した。
民は、王女が嫌いだった。麦を刈ったことのないお姫様に、我々の苦労などなにも分かるはずもない。そのうつくしい容姿も、恥知らずの母親から引き継がれたものだ。その生活も我々の犠牲の上で成り立っているのだろうと考えていたからだ。
そして王女も、彼らから嫌われているのは重々理解していた。
だから、一晩かけて考えた。考えて考えて考え抜いて、王女は王の夢を解くことに成功した。約束通り、国王は蓄えを解放した。
そうして王女は瞬く間に、民から愛される存在になったのだ。めでたしめでたし。
うつくしい話だとリザヴェータは思った。わたしを見てそれをつくったのだとしたら、光栄だと思うべきなのだろう。
だけど。
「わたしはその王女さまが羨ましい」
リザヴェータは、今まで語らなかったみずからにまつわる話を、ぽつりぽつりとアーロンにし始めた。貴族の娘だが、正妻のこどもではなく妾のこどもであること。どうやら母親は娼婦であったらしいということ。父親と共に大きな屋敷で暮らしていたが、母のおかげであまり折り合いが良くないということ。父親の妻、リザヴェータの母親は、それはそれはうつくしかったが、あちこちで男性と関係を持ってはこどもを作っているらしいということ。そういう女の子供だから、街の人間からつめたい目で見られながら育ったこと。――リザヴェータはそんな異常な母親に、うりふたつの顔を持っていること。
街の、だれもが知っている顔を持つリザヴェータは、つめたい目で見られるのはまだましな方で、あの子も母親に似て淫乱な娘になるのだろうと噂をされていた。だからずっと話し相手もいなかった。初めてできた友達なのだと告げた。
アーロンに話さなかったのは、知られることによって彼もほかの人間のように、自分を見る目が変わってしまうのではないかと思ったからに他ならない。
だがアーロンは、リザヴェータの想像とは違う、別の反応を返してきた。
「じゃあリーザはさ、母さんのこと嫌いなの?」
少年の顔に、軽蔑らしいものが浮かばなかったことに安堵する。
「……嫌いじゃないわ。でも嫌いじゃないのと、許せないのはちがうの」
「じゃあ、会いたくはないの?」
「……それは、そんなことはない」
少年から放たれる真っすぐな問い。少しためらいながら、しかしリザヴェータははっきりと答えた。生まれてから、かぞえるほどしか会った事のない母親だが、会ったときは優しく、紛れもなく自分をあいしてくれていることが痛いほどわかるのだ。
あなたが私の一番の子。
離れているけれど、私はあなたのことを一番に思っていると、別れ際には必ず言ってくれていた。
母の血の呪いのような外見。多分わたしは一生あなたを許せない。死んでも許せない。一番あいているなんて絶対うそだ。
だけどやっぱり、会いたいのだ。嘘でも、本当でも。あなたのことをあいしていると言ってくれる唯一の人に。
明日か、一か月後か、それとも。
「もう二度とあえないかもしれないけどね」
今度手術するの、とリザヴェータはなんでもないようにアーロンと話した。アーロンがどこが悪いの? と聞くと、ここ、とリザヴェータは胸に手を当てた。
「成功するかはわからないの。もしかしたら、こうやって話すこともできなくなるかもしれない」
麦の王女座の星はリザヴェータの目の前で輝いて、すっとなかったように消えた。このうそっぱちの星のように、なかったことのように自分も亡くなるのかもしれない。
怖いと思う反面、自分もなかったことのようになればいいのにとも心のどこかで考えてしまう。自分がなくなって、誰かが悲しいと思うのだろうか。母はもしかしたら悲しむのかもしれない。でも。
本当は悲しまないのではないか。誰も。父も母も。
「リーザ、手を出して」
アーロンはリザヴェータに向き合った。リザヴェータは言うとおりに手を差し出した。
訥々と彼は語りだす。
「君は手術にも成功して、お母さんにも会える。君のお母さんは、もしかしたらふらふらするのをやめるかもしれない。お父さんも会いに来る。もしかしたらお父さんとお母さんは、和解するかもしれない。君は血の呪いなんて言わせないほど綺麗になって、みんなに慕われるようになるかもしれない。だって君自身は、悪い人間じゃないんだから」
ひとつ、ふたつと可能性を語るごとに、アーロンは棒切れを振った。棒切れからはうそっぱちの星がひとつ、ふたつと生み出されていく。
七つの星が、リザヴェータのてのひらにころんと広がった。
「全部逆になるかもしれないわ」
「そうだね。でも、全部逆にならないかもしれないよ」
しなやかで優しい言葉で、少年は告げた。
「この星は、君をよく知る人から届けてほしいって頼まれたんだ」
アーロンは、君とよく似ていて、とてもきれいな金髪を持つ人だと言葉を続けた。
リザヴェータは大きく目を開いた。
初めから、彼はここに来ることが目的だったのだ。
嬉しいような、泣きたいような感情が襲ってくる。
そのときだった。ベルベットの空から、たくさんの金平糖が降り注いだのは。昼間と間違えるほど明るいさまは、白夜を連想させた。てのひらの星をもてあそびつつ、リザヴェータは降りそそぐ光に目を奪われた。少年もまた、その様子をじっと見つめていた。魅入るのとは違う密度を持った瞳で。
アーロンは立ち上がって、右足を固定していたぐるぐるの包帯を取り去った。窓を開けて外に投げると、冬の冷気をはらんだ空気とともに白い布はびろびろと踊った。彼の足は何事もなかったかのようにぴんぴんしていた。
「俺、そろそろ行くね。リーザ、いろいろありがとう」
「行くってどこに?」
「ここではないどこか。別の誰かに星を届けなきゃ」
おいで、と少年はベッドの上の犬を呼び寄せた。ブレードは口にかばんを咥え、尻尾をふってアーロンの元にやってきた。早く外に出たいというように、飼い主たる少年の足元にかばんを置く。少年は手に棒切れ、肩にかばんをかけて、窓から外に踊りだそうとしていた。
ここにいてほしい、とリザヴェータは言えない。彼からは空のにおいがする。どこからかふらりとやってきて、どこぞへと風のように去っていく。
「待って」
それでも伝えないといけない言葉があると、リザヴェータののどが訴えかけていた。
アーロンはリザヴェータのほうに振り向いた。
「その。ありがとう。これを届けてくれて。それから、一緒にいてくれてありがとう。話し相手になってくれてありがとう。……手術、がんばる。だから」
また会いに来てほしい。そう、リザヴェータが口を動かすよりはやく、少年が棒切れを振った。てのひらに再び生まれる重みは――
「これは俺からの贈り物。リザヴェータっていう星だよ」
――一等おおきい琥珀色の星だった。
「また会いに来るよ。約束ね」
そうしてアーロンは犬とともに窓を蹴って、星降る夜の中にかけていった。
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