十二話その二 お母さん。お父さん。

 ――エセル様の手紙を代筆致しました、手記代行士のフレデリカです。


 本来であればこのような差し出がましいことはしてはならないのですが、今回に限りさせて頂きます。


 手記代行をご依頼されましたエセル様は、私が訪問したときには既に生死を彷徨っておられました。


 喋ることはおろか意識すらも朦朧としていて、いつ事切れてもおかしくない状態でした。

 ですが当方の仕事上、手紙をしたためねばならないこと、そして御本人様が強く望まれたため、今回のことでそのお命を縮めてしまったかも知れないこと、深くお詫び申し上げます。


 エセル様の手記代行に要した期間は、およそ一週間でした。

 その間、意識が途切れながらも、何度も私にシェリー様への、娘への手紙だと言いながら、微笑んでおられました。


 本来であればもっと伝えたいこと、伝えなければならないことがあったのでしょうが、申し訳ありません、私の力不足でこの程度しか綴れませんでした。


 最後に――エセル様の最後のお顔は、とてもお美しかったです。


 エセル様の墓所は、トミントール公国の西端にある「湖上都市カードゥ」にあります。住所を同封致しますので、機会があればお立ち寄り頂きますよう、お願い申し上げます。


 ――手記代行士 フレデリカ・ケレット。



 ――*――*――*――*――*――*――



 エイリーンがシェリーをいつも通りに訪れ、アイザックの愚痴を零そうと彼女の部屋をノックするが返答はなく、僅かに首を傾げるが、


「シェリー、入るわよ」


 ゆっくりとドアを開け、そして椅子に座っているシェリーを見て、再び訝しげに首を傾げた。


 だが振り向いたシェリーが泣き濡れているの気付き、そのまま何も言わずにその歩を進め、抱き締める。


「あ……ごめんねエイリーンさん。なんでもない、なんでもないの」

「なんでもないって……」


 呟き、そして机にある手紙を一瞥し、その内容を瞬時に読み取れてしまったエイリーンは、全て納得した――納得出来てしまった。


「ねぇエイリーンさん、お願い、ザックを連れて来てくれない?」

「シェリー……貴女……ううん、判った。すぐに引っ張って来るから待っててね」


 そう言うと、窓から外に出て一目散に駆けて行った。


「いや、そこまで急がなくても……此処二階なんだけど――て速!」


 すっかり忘れていると思うが、エイリーンは龍人である。しかも最強と謂われている黄金龍の一族だ。その身体能力は、はっきり言って常軌を逸している。


 ほどなく、エイリーンに抱えられて呆然とするアイザックが、何故か上半身裸のパンツ一丁パンイチで連れて来られた。


「はい、連れて来たわよ。それからシェリー、なんでザックにエセルさんのあーんなのやこーんな写真を渡したの!? 道理で相手してくれないわけよ! 自分ではかどってたんだから!」

「あー、うん、ごめんねエイリーンさん。だってザックが欲しそうにしていたから……」

「ふん、まぁ良いわ。今度から写真は見ても良いけどその後はあたしが貰うようにするから!」

「えーと、私にはまだ未知の領域だなぁ……」


 隠していたエロ本が見付かってしまった思春期男子のような決まりの悪い表情をしているアイザックを尻目に、そんなのゆっくり覚えればいいのよ――と言い残し、エイリーンは部屋を後にした。


 暫しの沈黙。


 何故に連れて来られたのかが全然理解出来ないアイザックは、パンツ一丁パンイチで床に正座しながら困惑しまくっている。


 そんな姿にちょっと吹き出し、だがシェリーはすぐに表情を引き締めてエセルの手紙を差し出す。


「お母さんの最後の手紙。ザックにも見て欲しいから」

「エセル様の? そんな大切なものを何故俺に?」

「ザックも……読まなくちゃいけないからだよ」


 訝しげに首を捻りながらその手紙を受け取って黙読し、エセルの最後の言葉に堪え切れずに涙を落とし、そして――


「え――」

「そういうことなんだって。ダメでしょう、お酒に酔って女の子を襲っちゃあ。反省してる? 



 ――父親の名は、。〝冷却箱フロワ・ボワット〟の特許申請で王都に行ったときに護衛してくれた、今もきっと本店の店長をしているだろうザックよ――



 手紙の内容とシェリーを何度も見直し、全身におかしな汗を搔きながら言葉にならない言葉をモゴモゴ言うアイザック。


 そうなるよね。


 独白するシェリー。まぁ一夜の過ちを覚えている方が珍しいだろう。特に、どうやらこのときザックは泥酔状態であったようだし。


 だが暫く混乱していたザックは、何かに思い当たったのか俯いて肩を落とした。


「覚えていないでしょうけど、でもお母さんが嘘を吐くとか思えないから……」

「いいえお嬢、それ、覚えています。実は夢かと思って自己嫌悪していたし、エイリーンにしては胸があったなーとか思っていたので……」

「え? あ、うん。認めるんだ……」

「当り前です。エセル様はそのような嘘を吐く方ではありません」

「悪かったわね胸がなくて」

「いや、俺はどちらかというと胸がそれほど大きくない方が好きだし、まぁエセル様は丁度良かったというか、でもやっぱりエイリーンのサイズの方が好きだと言うか、いややっぱり腰だよなーとか思うワケでっておおう!」


 出て行った筈のエイリーンが、なかなか話が進まないのに業を煮やしたのかもう一度入って来ている。因みに音は一切なかった。


「あ、エイリーン。やっぱり浮気されたの面白くない? ごめんねお母さんがとんでもないことして」

「なに言ってるのシェリー。エセルさんになんの落ち度もないわ。悪いのは全部ザックなんだから。聞いてよシェリー、あたしのときもザックったら泥酔して襲い掛かって来たのよ! 当時あたしは未経験だったのに、酷いと思わない? でもなんでだか知らないけどザックって上手なのよねー」

「あ、うん、返答出来ないこと言われても困るだけだからヤメテ」


 なにか色々思い出したらしく、頬に両手を当ててクネクネするエイリーン。なんだかこっちもこっちでとんでもない。


「あたしはもう一度外すけど、言いたいことはちゃんと言ってね。じゃないと、ここまでしてくれたエセルさんが可哀想だよ」

「あだ!?」


 シェリーの頭をポンポン叩き、そしてアイザックの背中をバチンと叩いて手の跡をきっちり付けてから、エイリーンは部屋を後にする。なんだかんだで面倒見が良い。


 それを見送り、シェリーはアイザックを真っ直ぐに見る。だが見られている方にとっては、自分がしでかした結果でこうなっているため、直視すら出来なかった。


「前もって言っておくけど、私は全然怒っていないわよ」


 罵詈雑言を覚悟していたアイザックが、その言葉に驚き目を見開いた。本来であればこんな間男など許される筈がないのに。


「むしろね、私にイヴォンの血が入っていなくて安心したくらい」

「お嬢……」

「あ、でも結局は悪いことしたんだから、本当に反省しているならちゃんとエイリーンさんのことをハッキリさせなさいよ」

「あ、えーと」

「ちゃんと家事全般は出来るし面倒見が良い。煩いことは言わないけど締めるところは締める。なにが不満なの?」

「いや、あの……」

「ねぇ、もしかしてだけど、まだお母さんのことが好きなの? 愛してるの?」


 シェリーの言葉が、アイザックの心を抉る。


 好きか嫌いかと問われれば、当然好きだ。だがそれが人としての好意なのか、それとも異性としてのものなのかは、正直答えられない。


 自分にはエイリーンという恋人がいるし、そしてエセルには夫がいる。そのような道ならぬ恋は、してはならないのだから。


「……なんか難しいことを考えてこんがらがってるみたいね。さっきも言ったけど、私は怒っていないの。ただ……お母さんと――お父さんが、どう思っていたか、知りたいだけなの……」


 堪えきれずに、シェリーの双眸から涙が零れる。


 そしてアイザックは――なにも言わずに抱き締めた。


 自分の娘を。


「お父さん、お母さんが……死んじゃった……」

「ああ」

「トミントール公国のカードゥって街に、お墓があるんだって」

「ああ」

「なんで、そんな遠いところまで行っちゃったんだろう」

「ああ、ああ」

「そんな遠くに行っちゃったら、なかなか逢いに行けないじゃない」

「ああ、そうだな」

「私、お母さんが大好きだった。本当は何処かで生きてるんじゃないかって、いつかきまりが悪そうな顔で『ただいまー』って帰ってくるんじゃないかって思ってた」

「ああ、ああ、そうだな。俺も、そう思っていた」

「これが、この手紙が最後なんて……酷いよ……私、本当に一人になっちゃった……」

「シェリー」


 アイザックの逞しい腕に抱かれ、だが天井へ顔を向けたまま滂沱ぼうだの涙を落とすシェリーを――自らの娘の名を呼ぶ。


「一人じゃない。俺が、お父さんがいる。大丈夫、大丈夫だ。お前は、一人なんかじゃない」

「~~~~~~」


 ――最後に泣いたのは、いつだったろう?


 母親の、エセルの訃報を聞いたときも泣かなかった。


 もっともあのときはどこか現実として受け止められなくて、そしてその後の商会の混乱と、相次ぐ祖父の――カルヴァドスの急逝でそれどころではなかった。


 よって、泣くどころか悲しむ機会すら完全に失い、結局そのままズルズルと過ごしてしまった。


 アイザックの――父親の腕の中でやっと、シェリーは母の死を悼み、幼い子供のように泣きじゃくることが出来た。



 ――*――*――*――*――*――*――



「で? 落ち着いたかな?」


 頃合いを見計らっていたのか、エイリーンが再び音も無く室内に闖入している。

 そして互いに涙と鼻水で酷いことになっている親子を見て肩を竦め、だがそれは仕方ないだろうと独白し、二人へそれぞれ拭くように白の布切れを差し出した。


「ありがとうエイリーンさん。それと、ごめんね」


 受け取った白の布切れ――ハンカチで、酷いことになっている顔を拭く。そして同じことになっているアイザックも拭こうとするが、何故かそれはパンツだった。


「お礼を言われる心当たりはあるけど、謝られる心当たりはないわね。あ、ごめんザック。それあたしのパンツだったわ」

「いや待てなんで持ってるんだよ。というか何故渡した?」

「ザックの相手した後だと交換せざるを得ないでしょ。あとパンツが好きみたいだからあたしも渡してあげようかなーって思っただけよ。大した理由じゃないわ」

「待て待て、俺はパンツで喜ぶ変態じゃないぞ」

「エセルさんのパンツは欲しいくせに?」


 そんなことを言いながら半眼で睨め上げるエイリーンに、二の句がつけられないアイザック。それは事実であるため反論の余地はない。


「まぁこの際だから、はっきりさせましょうか。ねぇザック、貴方ってあたしをどう思ってるの? あたしは貴方の恋人? それとも体だけの相手? 怒らないから言ってみて」


 聞かれて、僅かな逡巡の後に娘を――シェリーを見る。彼女はそれに気付き、言いづらいだろうなぁとは思ったのだが、これはアイザックが自分で出さないといけない答えだと判っているため、敢えて口は挟まなかった。


 そしてアイザックは、その僅かな逡巡の間に答えを出した。


「俺は、エセル様を愛している」

「……そう」


 判っていたかのように溜息を吐き、短く呟くエイリーン。


 そうなのだ、あのとき依頼を受けて初めてエセルと会ったときから、彼の心はそうなっていたのかも知れない。


「あーあ、結局あたしはエセルさんに勝てなかったか……」


 独白し、そして部屋を後にしようとすると、その両肩がアイザックの大きな両手に掴まれた。


「だが、それと同じくらい、エイリーンを愛している」

「え」


 言われた内容がすぐに理解出来ずに、だが真っ直ぐにアイザックを見詰めて、エイリーンは目を丸くする。


「不実だと思われるだろうが、俺はエセル様も、そしてエイリーンも愛している」

「えー……エセルさんはともかく、あたしとは『ユウベハ(略)』出来るからそう思ってるだけじゃないの? 怪しいなぁ」

「それも全然ないわけじゃないが、それだけじゃない。俺だってなにも考えていないわけじゃないんだ。今こう言うのはちょっと卑怯かも知れないが、お嬢――シェリーが成人したら、俺はエイリーンに結婚を申し込もうと思っていたんだよ」

「……ふぅん……」

「あ、信じてないな? その証拠に婚約の首飾りフィアンサイユ・コリエも用意して持ち歩いて……って! 今パンツ一丁パンイチだから持ってねーよー!」

「エセルさんのエロ写真見て随分はかどってたからねー」


 一般的に婚約を申し込むときには婚約指環フィアンサイユ・ラ・ヴァーギュを送るのだが、冒険者や手を多用する職人などの場合はその限りではない。

 特に冒険者や兵士などの戦闘行為を行う可能性のある職業では、婚約の首飾りフィアンサイユ・コリエを好む傾向がある。


 何故なら、首を落とされない限り、それが外れることはないから。


「捗っていたのは否定出来ないが、だが俺の気持ちは本当だ。婚約の首飾りフィアンサイユ・コリエは此処にないが、エイリーン、俺と結婚してくれ」

「……とっても男らしいけど、パンツ一丁パンイチで手ブラじゃあ格好がつかないわね」

「いやお前が俺をこんな有様で連れて来たからじゃないか」

「そうなんだけどね。うん判った。あたしの長い生のうちの数十年くらい、ザックにあげるよ。だから、ちゃんと天寿を全うしてね」


 エイリーンがそう言い微笑むと、アイザックは感極まったように顔をくしゃくしゃにして抱き締めた。

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