16.男神の歓喜【第13幕下】
マユが指定した、『聖なる者』選定の日までの3日間。
カイ=ト=サルサに尋問したり、ムーンに意見を聞いたり、マユを迎えるために聖女の領域を復活させたりと、慌ただしく過ごしていた。
地上の様子は気になったが、わたしにできることはもう何もない。魔獣に命令して探らせることは可能だが、あえてしなかった。
マユが何をしようとしているのか。裏方ではなく、あくまで観客で。
その地上での最後の姿を、しっかりと見届けようと思ったのだ。
……そして当日。
マデラにはマユが望む方向で動くように強く言い含め、ムーンにはサルサの監視を依頼し、魔王城から見送った。
あとは、ガンボの
マデラがディオンに
“どちらがその『聖なる者』とやらなのだ? その者を連れて行くことにしよう”
と問いかけたときには、
「ディオンがうっかりミーアと言ったらどうしてくれるんです!」
と、せっかく用意した紅茶ポッドを危うく握りつぶすところだったが、そこはマユの方が一枚も二枚も役者が上だった。
そう言えばマユは、
「私、土壇場には強いのよ」
「本番ではちゃんとやるわよ」
みたいなことをよく言っていた。
パルシアンでアイーダ女史とヘレン、たった二人から始まり、本邸のメイド、執事長、ガンディス子爵、ザイラ子爵夫人、クロエ・アルバード、と次々に味方を増やしていったマユ。
わたしが会うのはマユ一人だったから、その様子を実際に見た訳ではない。
しかし、最後になってやっと、マユが如何なく実力を発揮している様を見ることができた。
マユが最後の大勝負に出る姿は、感動すら覚えた。その場のすべてを支配し、巧みに民を……王獣すら誘導した。
ああ、自分のしてきたことは本当にただの自己満足で、単に空回りしていただけだったのかもしれない。
様子見がてらサルサを配置したが、必要なかったかもしれない。
わたしの介入など殆ど意味を為さなかった……。
そんな気にもさせられたが、マユが堂々と振舞う姿は見ていて痛快だったし、誇らしかった。
そして、マユが人間界の青い空に消えていくところで、プツリと映像が途切れた。ガンボには地上の様子のみを伝えるように命令したため、追えるのはここまでだ。
ここから先は、魔界――そして、魔王の領域。魔獣は魔王の許可なく入ることはできない。
ムーンがマユを連れてきた後は、わたしとマユの1対1。
「……ふう」
らしくなく、緊張しているらしい。思わず溜息が漏れたところで、
“……お疲れ様。神々への披露は終わったわ”
というスラァ様の声が聞こえてきた。
「……そうですか。どうでしたか、反応は?」
“まぁまぁね。姉さまは、主人公のはずのミーアが最後はマリアンセイユに食われてしまった、と少々怒っているけれど”
「……すみません」
わたし――魔王がマユに肩入れした結果そうなってしまったのだから、責任はわたしにあるだろう。
しかしスラァ様はうふふと笑い、“大丈夫よ”と言葉を続けた。
“姉さまが登場人物に何かを思うなんて、かなりの進歩よ。自分だったらこうするのに、ああするのに、と息巻いてたわ。かえって刺激されたみたいで、さっそく新しい世界を紡ぐ気になったみたい。初代魔王の魂と聖女の魂があるしね”
「この『リンドブロムの聖女』の器はどうなるのですか?」
“私の工房に運んで管理するわ。安心して”
「え゛」
あの、モノだらけでグチャグチャの工房にですか……。
うっかり誤って割ったりしないだろうかと不安に感じていると、その意思を読み取ったらしいスラァ様が
“失礼ね!”
と憤慨したように声を上げた。
“少なくとも私は楽しめたし、本当に気に入ってるの。大事にするわよ。……で、これからどうするつもりなの? こっちに帰ってくる?”
「そんな訳がないでしょう。やっとマユと一緒にいられるというのに」
“あのねぇ……”
スラァ様が若干苛ついたように、ジリッとした声を出す。
“アンタは本来『管理限定十級神』で、そこにいるべきじゃないのよ。それに、そのまま箱庭の世界にいる場合、神属に戻れない可能性があるわ。だいぶん馴染んでしまっているようだし……器の住人になってしまうかもよ”
器の住人になる。――それは、魂だけの存在になってしまうということ。
自らの意志で天界に戻ることは不可能になる。――女神が手を差し伸べない限り。
そして差し伸べられたとしても、もう元のように天界で暮らすことはできないだろう。わたしの魂は丸い珠になり、女神の手の中に収まるのみだ。
しかし――たとえ、そうなったとしても。
「構いません。マユがこの世界で天寿を全うするまで、傍にいられれば」
“あ、そ”
まぁ後は自由にすればいいわ、だけど時々覗くからね、という言葉を最後に、スラァ様の声がプツンと途切れた。
外のテラスと謁見の間を繋ぐ小部屋。急遽運び込んだテーブルの上でお茶の準備をしていると、巨大な真紅の両開き扉の向こうでかすかに物音がした。
ムーンがマユを下ろしたのだろう。しばらくすると、大きな息遣いが聞こえる。
もう神々は見ていないし、紡ぎの女神の監視も無い。やっと、真実の言葉を告げることができる。そして――この手に抱くことも。
両手を握り合わせ、少し緊張しながら待っていると、目の前の扉がガタン!と激しく揺れた。
「え、ええっ!? 結界!?」
という慌てふためいたようなマユの声が聞こえる。
その可愛らしい間抜けぶりに、思わず吹き出してしまった。
肩から力が抜けて、それと同時にパルシアンで会っていたときのわたし達のことを思い出す。
まったく……緊張感が台無しですよ、マユ。
「――その扉は、押すんです」
「あら、すみません。……って、ええっ!」
マユが扉を開けるのを待っていられず、魔法でこちらから扉を開く。
取っ手を握ったまま引きずられるように中に引き寄せられたマユが、慌てたように足をもつれさせながら入ってきた。
そしてわたしの気配に気づき、ふと顔を上げる。
マユの藤色の髪がふわりと揺れ――美しい碧の瞳が、ひと際大きく見開かれた。
◆ ◆ ◆
こうして滑稽な……いや、感動的な再会を果たしたわけだが。
マユは全く見当違いの解釈をしていて、頭がテーブルにのめり込みそうになるほどの疲労感を覚えた。
特にフェルワンドに関してはだいぶんわたしと認識が食い違っていたが、これは多分にフェルが悪い。
一体ムーンにどう言われていたのだ、と後日フェルを問い詰めるために魔王城に呼び寄せたのだが、
『ヴァンに喰われないようにしてくれ、と頼まれただけだが?』
とひどくふてぶてしい態度だった。
『ヴァンが魔物サルサに尾行されていることにも気づかないほど頭に血が昇っていたのでな。わざわざ俺様の領域に運んだのだ』
「あの銀の環は何です? 聖女と契約を交わしたのではないのですか」
『契約に至るほど小娘……聖女か、聖女を認めたわけではない』
「……」
ムーンに頼まれたとはいえ、フェルが自分の領域に人間を招き入れるなど考えられないのだが。
『ただ俺様の息子達の主ではあるし、一時的に他の魔物や魔獣が手を出せないようにしておいたのだ。聖女も息子達も何やら勘違いしていたので、それに乗っただけだ』
「しかし……」
『むしろ、魔王には感謝されて然るべきだと思うが?』
フン、とフェルが食えない態度でそっぽを向く。
「感謝?」
『俺様に喰われると思っていたのだろう、聖女は。契約は一時凌ぎに過ぎない、と。魔王がどういうつもりかはわからなかったが、聖女が少なくとも一度は魔界に足を運ばねばならない理由を付けておいたのだ』
「……わたしは彼女を無理矢理魔界に呼ぶ気はなかったのですが……」
『結果的に無理矢理ではなかったのだろう? 聖女の領域で大事に匿っている、と聞いているが』
確かにそうだが、フェルのおかげでマユがわたしの元へ来た、とは思いたくない。
しかし大事な銀の環をマユに預けるぐらいだ。聖獣のこともあるし、それなりにマユに見所があったのだろう。
再び三つに戻ったフェルの耳の銀の環を見ながら、ひねくれ者のフェルワンドは千年経っても変わらない、と溜息をついた。
* * *
それにしてもマユは、それだけ乏しい情報でよく独りで魔界に来ようと決心できたものだ、と思う。
土壇場に強いといっていたが無茶そのもので、もしわたしが魔王でなければきっと詰んでいる。
……だけど。
そもそもわたしが魔王でなければ、マユは魔獣や魔界に興味を持つこともなかっただろうし、きっと全く別の結末を迎えていた。
だから、こんな『もし』は考えても意味がないだろう。
他に関わればさまざまな方向に影響は出る。最初はほんの小さな揺らぎでも、やがて大きなうねりとなって。
すべては、繋がっているのだから。
そして、魔界に来た理由がわたしにあると知って。
マユが、大切にしている周りの人間を傷つけずに、されど自分の望みをどうすれば叶えられるか、真剣に考えた結果だと知って。
マユは何かを諦めた訳じゃない、諦めないために魔界に来たことを知って、心の底から安堵したし、嬉しく思った。
マユが望む人生を、というわたしの願いを、結局マユ自らが一人で叶えてしまったけれど、本当のことは何一つ言えなかった私を選んでくれたことに、心から感謝している。
そして……どう表現したらいいか分からないほどに、マユを愛しく思う。
それもあってか、マユが魔界に来てからというもの、わたしは浮かれ過ぎていたかもしれない。
――容赦ない現実は、ある日突然やってくる。
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