4・トルク
ワイズ王国はこの世界で一番大きな国で、大陸の西半分から北側にかけて傘の柄のようにぐるりと取り巻いた地形になっている。
リンドブロム大公国の北側にロワーネの谷があり、その向こう側がワイズ王国領の険しい山々が連なっている地域で、人間が立ち入ることはほぼ不可能な魔窟だ。
この魔窟に領域を持つのが、土の魔獣トルク。金色の角を持つ白い鹿。
古の魔王侵攻では、ロワーネの谷の裏玄関ともいうべきこのエリアの守りを担っていたそう。
そもそも、ここは今ほど樹々が入り乱れる険しい山ではなく、当時の人間達がロワーネの谷への侵攻を試みて開拓を進めていたため、もう少し開けていたらしい。
そこから人間を追い出し、自らの土魔法を駆使して現在の秘境を作り上げたのがトルク、ということになる。
そんな土の魔獣トルクの愛称は『ルーク』。
そう、『我々に見せられないというのはいかがなものか』とブツブツ文句を言っていたという、セルフィス曰く『堅物』の魔獣です。
何だろう、風紀にうるさい学年主任を思い出すわね。
「初めまして、トルク。ご挨拶が遅くなり、誠に申し訳ありませんでした」
『ほんに遅いですな、まったく』
通常のシカの三倍は優にある雄大な姿。白い背中には薄いグレーの斑点がポツポツと見えるが、他はすべて真っ白。まるで金メッキを施されたようにピカピカとした角は、途中で二股三股に分かれつつ天を衝く勢いで上に伸びている。
まさにブッスリと刺されそうな、なかなか恐ろしい姿だわ。トルクは獰猛で、領域に入った人間を容赦なく蹴散らし、食い散らかしては金目の物を奪い、自分の物にしていたという。
“魔王の許可がようやく出たのでな”
『そうですか。……ふーん?』
ムーンの答えに相槌を打ちながら、トルクがチロンと横目で私を見る。
『しかしこうして見ると、聖女とはとても思えませんな。確かに普通の人間と比べれば豊富な魔精力を
「……」
何だか嫁いびりをする小姑みたいね、と思いながらも黙って微笑む。私の傍にいたムーンも、特に異を唱えることは無く黙って成り行きを見守っていた。
遅くなったのは確かだし、こういう説教したがりタイプはとりあえず好きに喋らせておいた方がいいのよね。
妙に反抗的な態度を取ったり口を挟んだりした方がめんどくさいことになるから。
まずは、相手の出方を窺わないと。
それに、ムーンから
“トルクは二代目魔王が人間界に攻め入ることなく聖女を受け入れたことに不満を持っている”
という話は聞いていたの。だから当然、聖女にも良い感情を持っていないだろうし、冷たくあしらわれるだろうな、と予想はついていた。
だからムーンには
「自分でどうにかやってみるから、本当に危なくなるまでは口出ししないでね」
とお願いしてあったのよ。
『……ふむ』
何も言い返さずただ微笑んでいる私に、トルクも少し『おや?』と思ったらしい。
私の方へ真っすぐと向き直ると、そのままジロジロと頭のてっぺんから爪先まで見回した。
……ふと、視線が私の左手のところで止まる。
『その、金の細工は?』
「……ああ」
そういえば、トルクは金ピカが大好きでコレクションしてるんだったわね。誰にも取られないように土の中に隠して、魔法をかけて。
「リンドブロム大公国正妃の証ですわ」
『……美しいですね』
左手を掲げて見せると、トルクがほう、と感嘆したような溜息をついた。黒い瞳が少し細くなり、陶酔しているかのように蕩けている。
薬指の第二関節から根元までを覆った、金色の蔦が絡んだような意匠を凝らした指輪。私の指に合わせ私の為に作られた一点物。
セルフィスは気に入らないようだけど、人間界において私の身分を証明する唯一の品よ。こたびの約定の証とも言えるわ。
しばらく見惚れていたトルクは、再び私の顔を見ると我に返ったように背筋を伸ばした。『ん、ん』と咳払いのようなものをしながら元の難しそうな表情に戻り、ふむ、と一つ頷く。
『そうですね。挨拶が遅れた詫びとして、わたくしにその金細工を頂けませんか? そうすればわたくしは聖女の絶対的な味方に付いて差し上げますよ』
そう言ってトルクはニヤリと笑い、その美しい白い体躯から想像もできないほどドス黒い魔精力を放出した。
セルフィスの防御魔法がなければ、恐らく腰を抜かしてしまうほどの。
ははーん。そう来たか。味方に付いて差し上げる? 随分上から来たわね。
これはイカン。完全にナメられているわ。
持っていた死神メイスを両手でしっかりと握り直し、自分の胸の奥で渦巻いていた魔精力を練り上げる。
それはとぐろを巻いてドクン、と脈動し、一つの大きな塊に。胸の奥から、首、喉を伝って私の口へ。
「あなたは何様のつもり? ――“ラト=ルーク=シ=カズン”!」
ドン、と死神メイスを地面に突き、自らの身体を媒体にして“言葉”をぶつける。
私の口から発せられた『名付けの魔法』が油断していたトルクの耳を捉え、広がり、その白い体躯を包んでトルクの
名づけの魔法は音の魔法。その速さは音速なのだから、火炎流や水流の速さなどとは比べ物にならない。耳にした以上、必ず対象を縛る。
魔獣訪問を始めるにあたり、セルフィスは「真の名を呼ぶな」と言っていた。
それは心を通わせてもいないのに中途半端な魔法で魔獣を縛ろうとすれば、逆に相手を怒らせる可能性があるから。
しかし、こうやってありったけの魔精力を込めて吟じれば、それは簡易封縛呪文となりうるのではないかと思っていた。セルフィスが聖女にも引けを取らないといっていたのは、恐らくそういう意味。
まぁ、ムーンが傍についてくれていて王獣のお墨付きをもらったからこそ、初めて試すことができたのだけど。
『んぐぅ!?』
「土の魔獣“ラト=ルーク=シ=カズン”。ご挨拶が遅れた非礼は詫びますが、その口の利き方はおかしいのでは?」
どうやら術は効いているらしい。見えない縄で縛られたトルクが、ハクハクと荒い息をつき、口をパクパクさせている。
「聞いていますか?」
『き、聞いている! わたくしが、悪かった!』
「……そうですか」
死神メイスを水平に振るい、呪縛を解く。その瞬間、背中全体からぶわっと粘度の高い汗が噴き出るのが分かった。クラクラと眩暈がしたけれど、奥歯を噛みしめてその場に立ち続ける。
初めて意識して『名付けの魔法』を使ったけれど、相当疲れるわね。これ以上魔精力を注ぎ込んでいたら危なかったわ。
『……ふう、まさかそのような術をお持ちだったとは』
トルクがやや悔しそうに言葉を吐き捨てる。
「ただの人間でも、聖女になっただけの理由があるということですわ」
『……ふん』
「トルクは金細工がお好きなのですね。聖女の領域にはいくつかありますが、魔王に頂いたものですからわたくしの一存では差し上げられませんわ。魔王にお伺いを立ててみましょうか?」
『けっ、結構ですよ!』
「そうですか」
やはり魔王には弱いらしい。まぁ、そうよね。
あまり脅しのように魔王の名を使いたくはなかったけど、ちょっとガツンと言いたかったしね。私の力を見せつけた後だからいいでしょ。
「それで、トルクにお伺いしたいのですが……」
『ま、まだ何かありますか!?』
もうさっさと帰ってくれ、とばかりにトルクが慌てふためく。
怖気づいてすっかり大人しくなったのはいいけど、話ぐらいはちゃんと聞いてほしいわ。別に喧嘩をしにここに来たわけじゃないのよ。
「あなたはワイズ王国領の事情に詳しいと聞いています。わたくしが討伐したホワイトウルフの亜種の件もご存知だとか」
『ああ……うむ』
「魔物側から見たその背景も気になりますし、あなたが見聞きしたことをわたくしに教えて頂きたいのですが」
『ふうむ、なるほど。わたくしの見識を望まれるのですな』
気を取り直したらしいトルクが、まんざらでもないように頷く。
実際のところ、地上には殆ど顔を出さないフェルワンド、水中を領域とするサーペンダー、享楽的なユーケルンと比べると、地上の魔物について一番詳しいのはトルクなのよね。
そして彼は人間に対してかなり厳しい目を持っているので、人間側の暴虐をよく知っている。
ほら、敵認定した相手をやたら調べる人っているでしょ。自然界の在り方にうるさいトルクは、まさにそのタイプなのよね。
『では、まずは初代魔王が降臨される前からお話ししましょう』
「え、そこから?」
『そこから説明せねば真に理解することは叶わないですよ』
「……できれば、今から二時間程度でお願いしたいのですが」
『二時間ですと!? それではほんの序章しか説明できませんが!』
「そこをかいつまんで、どうにか。詳しいことは後日また伺いますわ」
『うーむ、それでは……』
そうしてトルク先生による魔物講義が始まったのだけど。
内容は素晴らしかったわよ。素晴らしかったけど……その熱量たるや、凄まじいものがあったわ。
当然時間内に収まるはずがなく、三時間を過ぎたところでムーンが
“そろそろ終わりだ、トルク”
と凄んでくれたので、どうにか終了したのだけど。
セルフィスがトルクを『堅物』だと言っていた理由が、よーくわかったわ……。
ちなみに帰り道で、ムーンにこってり叱られた。私がありったけの魔精力を込めてトルクを真の名で呼んだことは、相当マズかったらしい。
一歩間違えれば、私がトルクに返り討ちに遭うか、トルクの自我が暴走してしまうか……とにかく、魔王セルフィスが危惧する事態になっていたそうだ。
“だから真の名で呼ぶなと魔王に言われていただろう”
「だって、ムカついちゃったんだもの! そこまで大変になる可能性があるとは思わなかったし、何かあればムーンが治めてくれるかと思って」
“わたしに甘えるな。……まぁ、相手がトルクだったから良かったがな”
「そうなの?」
“トルクの頭は
「……それは、相当ね……」
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≪設定メモ≫
●土の魔獣『トルク』(愛称:ルーク)
金色の角を持つ白い鹿。自然界の秩序にうるさく、自分の領域に入ってきた人間を片っ端から狩り、糧としていた。光物が大好きで地中に貯め込む習性を持つ。
真の名は『ラト=ルーク=シ=カズン』。
ロワーネの谷の北、ワイズ王国領の山中に領域を持つ。魔物絶対優位という考えの持ち主で、人間は嫌悪の対象でしかない。魔王の命さえあれば人間を駆逐できるのに、と考えているため、人間の粗探しをしに地上の鹿に扮してあちらこちらへと出かけている。
あまりにも頑なで他を見下しがちなため、魔獣の中でもやや敬遠されている。特に同じ土の魔獣ヴァンクを自分の手下のようにこき使うため、ヴァンクにはかなり嫌われている。
→ゲーム的パラメータ
ランク:B
イメージカラー:白
有効領域:地上
属性:土
使用効果:魔法効果消滅(ディスペル)、攻撃力・防御力低下(デバフ)
元ネタ:ズラトロク
●名づけの魔法
魔導士の名づけには魔精力が伴うため、相手がそれを受け入れた場合に主従関係が成立する場合がある。
マユは特に魔の者に対する効果が高く、ハティやスコルがマユに縛られたのもこのため。
魔王が魔獣に与えた真の名は魔王との契約の証であり、すべての魔獣は魔王から真の名で呼ばれ命令されたことには逆らえない。
聖女であるマユが魔獣を真の名で呼んでも、マユが付けた名前ではないため本来それほどの効果は期待できない。
しかしマユには『名づけの魔法』とは別に魔の者を魅了する魔精力が先天的に備わっている。(スコルが時々言っていた「おっぱいからほわーん」はこれのこと。マユ自身はあまりよくわかっていない)
そのため、マユが意識してこの魔精力を利用して真の名で呼んだ場合、魔王の強制魔法+聖女の超強力魅惑魔法となるため、魔獣を一時的に縛ることができる。
ただしマユに対して心を閉ざしている者ほど自我に矛盾が生じるため、耐えきれなくなると暴走する羽目になる。心を開いていた場合は魔王の命令とほぼ同程度の効果が期待できる。
いずれにしても魔王セルフィスにとっては厄介な事態になるため、マユに魔獣を真の名で呼ぶことを禁じていた。
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