3・マデラギガンダ(後編)

 しばらく……といってもほんの十秒ほど、沈黙の時間が流れる。

 再び『ふうむ』と唸ったマデラギガンダは、おもむろに口を開いた。


『……そうだな。ルヴィは平民ゆえ、貴族令嬢の嗜みとやらは知らん』

「嗜み……」

『音楽とか、絵画などの芸術方面。それと、文学、算術などの学術方面だ。ルヴィは字の読み書きはできなかった』

「なるほど……そういう手がありましたか」


 ハッチー達は文字の読み書きはできない。だけどできるようになれば意思の疎通を図るのに役立つだろうし、それこそ作業効率も上がるかもしれないわ。

 仮に読み書きまでは無理だとしても、数字が把握できるようになるだけでだいぶん違うんじゃないかしら。

 とにかく、やってみる価値はあるわ。


「わかりました。考えてみます。それにしても、マデラギガンダ様は本当に地上の様子に詳しいのですね」

『よく覗きに行っているからな』

「えっ!?」


 その巨体でですか、という言葉が喉から出かかって危うく引っ込める。

 それに魔王の約定では各自の領域からあまり出てはいけないはずでは……。

 あ、人間に害をなさなければいいのか。でも土の王獣がウロウロしているとなると、町も大騒ぎになると思うのだけど。


 首を捻っていると、マデラギガンダは先ほどちらっと口走っていた“完全に存在を消すことができる”という能力について説明してくれた。


 マイヤ様やユーケルンのように人型になることはできないが、その代わり魔法で自分の周囲の魔精環境を歪ませ、空気中の塵や埃に姿を紛れ込ませて“視認させなくする”能力だという。

 それを使って各町の近くまで行き、上から覗き込んで人々の様子を探っているのだそう。

 ちなみに一番小さくても今ぐらい、つまり3mほどなので、人々が行き交う街の中に入ることはできないらしい。


 そして、その姿を見ることができるのはマデラギガンダの魔精力に耐性がある者、すなわち聖女の素質がある者だけだという。

 だからあの落とし穴に落ちたとき、ミーアはマデラギガンダを視認し、会話をすることができたのだ。


「そうですか……。あの、リンドブロム大公宮やロワネスクの様子は、どうでしたか? その……」


 言いかけたものの、こんなこと聞いていいのかしらと躊躇っていると、

『聖女ミーアか?』

と真っすぐに聞かれてしまったので、素直に頷いた。


 大公殿下が公式に『ディオンの聖妃である』と宣言した以上、ミーアはもう大公宮の人間のはず。

 結婚式は春になるようだけど、お兄様の話通りならばすでに大公宮で妃教育が始まっているんじゃないだろうか。


 それに、私としてはあの場を収めたつもりだったけど、その後どうなっているのかも気になっていた。

 何しろミーアは最下級、男爵令嬢の『妃』だ。長いリンドブロムの歴史上でも初めての出来事で、不満が噴出していてもおかしくはない。


『ちょうど何日か前に“聖女の祝福”と称して大公宮のバルコニーから姿を現し、ロワネスクに癒しの雨を降らせていた』

「そうなんですか」


 その場にはミーアとディオン様だけではなく、大公殿下や大公妃殿下もお出ましになったそうだ。四人は仲睦まじく会話もしていて、特にぎこちない様子も感じられなかったという。

 そして、次期女侯爵となるクロエが補佐としてミーアの傍についていて、風魔法で癒しの雨ヒールレインを広げる手助けをしていたそうだ。

 あの日、私がミーアの魔法を補佐したように。


 どうやらちゃんと受け入れられているらしい、と少しホッとする。しかもクロエがついたのならだいぶん助けられるんじゃないかしら。


 あの日――クロエとは一言も言葉を交わせなかったけれど、私の意志で魔界に行くのだということは伝わっていたと思う。

 ディオン様の正妃として――そして、『魔物の聖女』として。


 しかし、私の安堵の吐息とは裏腹に、マデラギガンダは

『――だが』

とやや声のトーンを落とした。


『あの闘技場での一件のあと大公宮に入ったままずっと姿を見せなかったため、民から不満の声が漏れていたようだ。平民出身だから冷遇されているのではないか、とか、“魔物の聖女”となり魔界へ行く羽目になった正妃の実家、フォンティーヌ公爵家に恨まれているのではないか、とか』

「……うぅ……」


 もう地上にいないというのに、相変わらず悪役令嬢的な役回りね。

 行く羽目になったんじゃないんだけどなあ。行きたくて行ったんだけどなあ。


「上流貴族や下流貴族の方はどうでしょう?」

『さすがにそれは分からんな。奴らは外で大声で喋ったりはしないだろう』

「……」


 確かに。外から覗き見るぐらいじゃ貴族社会の内情はわからないわね。

 うーん、やっぱりミーアと連絡する手段が欲しいわ。いざというときに魔界と地上、連動して動かないといけないときもあるでしょうし。


 そのためにも、まずは魔獣訪問を終わらせないと駄目ね。私が魔界や魔獣、魔物についてきちんと把握しない限り、安易に『人の聖女』と繋がる訳にはいかない。

 それは『魔物の聖女』としては失格で、何を言ってもセルフィスが納得してくれるとは思えないわ。


『ところで、ワシも聞きたいことがあるのだが』

「はい、何でしょう?」

『ハッチーとはソールワスプのことか?』

「え!? あ、はい、そうです」


 意外なところに食いつかれたので、少しびっくりする。裏返って変な声が出てしまった。


『カバロンはカバロアントか』

「はい。どう呼べばいいか分からないので、呼びやすいあだ名をつけたのですが」

『あだ名か。……ワシには何とつける?』

「はい!?」


 何でここであだ名大喜利が!? 私は毒舌芸人じゃないんですが!


「ま、マデラギガンダ様はマデラギガンダ様じゃ駄目なんですか?」

『マイヤのことはマイヤと呼んでいるだろう』

「そう呼んでくれ、と仰ったので」

『だからワシにもあだ名をつけてくれ』

「えー……」


 それなら『マデラと呼んでくれ』とか言ってくれればいいのに。

 これはどう返すのが正解なのかしら、と頭を悩ませていると、ムーンが

“マデラ、それは無理というものだ”

と助け舟を出してくれた。


『無理?』

“恐らく魔王の逆鱗に触れる”

『は?』

「ええっ!?」


 無理な理由、そっち!? セルフィスなの!?

 怒る……怒るかなあ? 確かに真の名を呼ぶなとは言われたけど、王獣の真の名は知らないんだけどなあ。


『そうなのか?』


 グイッと首を斜め下に傾けて、私の方に顔を寄せてくる。

 あ、圧が……。もう少し魔精力を抑えて頂けないでしょうか。セルフィスの防御魔法が効いているとはいえ、何かビシビシ感じるわ。


「ええと……そうですね。わたくしは『名付け』に魔精力の作用があり、その力が強いと言われておりまして」

『名付け?』

「はい。万が一、マデラギガンダ様を縛るようなことがありますと……」

『……ワシが聖女とはいえ、人間ごときに縛られる訳がなかろう』

「そ、そうですよね!?」


 あああ、マデラギガンダの機嫌がグッと悪くなったような気がする!

 ちゃんとフォローしないと! 


「わたくしは女神から直接力を授けられた訳ではありませんし、真の名ではなくあだ名ですしね」


 うんうん、とオーバーアクション気味にしっかりと頷く。


「わたくしも魔王は考え過ぎだと思うのですが……」

“聖女よ。魔王に言われたことを忘れたのか”

「えっ!?」

“呼び名に関してだ”

「でもアレ、マユと呼ばせるなと言われただけで、あだ名をつけてはいけないとは言われてないわ」

『マユ?』

「わたくしが自分で自分につけたあだ名ですわ。魔王と聖獣以外には呼ばせるな、と魔王に強く言われていたのです」


 ムーンとマデラギガンダに次々と話しかけられ、何だかとっちらかってきた。

 とりあえず反射的に言葉を返していると、マデラギガンダは


『ぐはーっ、はっはっはっ!』


と辺りの岩壁が揺れるほど大声で笑い出し、ムーンは


“聖女よ、怒られるのは恐らく聖女自身だな”


と呆れたような溜息をついた。


「わ、私が!? 怒られるの!?」

“魔王の私情を晒すからだ”

「え!? 私情!? どの辺が……。で、でも、ここだけの話にすれば大丈夫よね!?」

“だそうだ、マデラ”


 ムーンが話を振ったので隣を見上げると、マデラギガンダは腹を抱えて涙を浮かべるほど大笑いしている。

 な、何がそんなに可笑しいの……?


『ク、ククク、ここだけの話、か。さーて、どうするかのう』

「ええっ!? どうかお願いします、マデラギガンダ様。セ……魔王は、怒るとすんごく怖いんです!」


 ヤバい、ヤバい、ここで『セルフィス』の名前までバラしたら、間違いなく魔獣訪問を止められるわ!

「余計なことしか言わないのならわたし以外と会話させる訳にはいきませんね」

とか言いそう! 右半身ビキビキの、怒髪天魔王モードの笑顔で!


『それはよく知っているが』

「恐らく一生、聖女の領域に閉じ込められてしまいます! 生涯、魔王としか話せなく……」

『ぐはーっ、はっはっはっ!』

“聖女、これで罪二つ目だ”

「えっ!? あ……え!? じゃあどうしろって言うのよ!」


 マデラギガンダは笑いっぱなしだし、ムーンは溜息をつきっぱなしだし。

 訳が分からなくなり、ムキーッ!となっていると、ようやく収まってきたマデラギガンダが

『まぁ、よいわ。ワシが黙っていればよいのだろう?』

と大人な対応をしてくれた。


「あ、ありがとうございます!」

『ワシのことはマデラでよい』

「お心遣い感謝いたします、マデラ様」

『様も要らん、その妙に取り繕った令嬢風の言葉遣いも要らん。だいたい、ワシの前であんな痴態……』

「痴態はやめてください!」

“聖女よ、いったい何をしたのだ?”

「何も……マデラ、それはあそこだけの話でお願いします!」


 どうもマデラは意図的に私を苛めている気がする。

 どうして……あ、闘技場でマデラギガンダの言葉尻を取ったから? よくも王獣を利用しやがって、とかなのかしら!

 だからってこんなところで意趣返しをしなくても……!


 結局、ムーンにはあのミーアとの大乱闘を白状する羽目になり、

「お願いだから魔王には内緒にしておいてちょうだい!」

と半泣きになりながら二人に懇願したのだった。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


≪設定メモ≫


●土の王獣『マデラギガンダ』(愛称:マデラ)

 巨人の男の姿で、牛のような角を生やし蝙蝠のような翼を持ち、黒い鉄鎧に身を包んでいる。身長体重は可変で、最小で3mほど、最大で100mほど。

 ベストサイズは20mぐらいで、寝床(小学校の25mプールぐらいの大きさ)はそのサイズに合わせて作られている。

 真の名は『マデラ=ギル=ガートン』。


 魔獣の中でもっとも人間に近く、地上に降り立ちあちらこちらを覗いているため、世界情勢や人間の文化にも詳しい。腰が重い王獣の代わりに地上に赴くことも多い。

 存在を消す能力の他、『土遁の術』のように地中に紛れることもできるが、こちらは防御力が極端に下がるためあまりやらない。



→ゲーム的パラメータ

 ランク:S

 イメージカラー:黒

 有効領域:空中、地上、土中(水中も可能だがやや不得手)

 属性:土

 使用効果:物理無効

 元ネタ:ガーゴイル

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