2・ブレフェデラ(後編)

 いろいろな話をしているうちに、ブレフェデラも蛇を食べ終わった。満足そうに「プフ」と小さな吐息のようなものが漏れている。


 何となく打ち解けてきたような気がしたので、


「ブレフェデラ様は、ここで数々の“音”を聞いていると伺っています」


と切り出してみた。


 ブレフェデラの丘のてっぺんにある巨大な一本樹。日がなそこに佇む風の王獣ブレフェデラは、世界すべてを見渡すと言われているが、実際には殆ど景色などは見えていないらしい。

 これは私も、セルフィスが教えてくれるまで知らなかったのだけど。


 ブレフェデラは風に乗って届く世界中の地上の音を聞いている。

 ……というより、ただ聞き流している。膨大過ぎて、全部を受け止められはしないから。

 魔王に命じられれば聞かせたりすることもあるみたいだけど。


「わたくしが魔界に来てから、一か月余り。リンドブロムの音色はいかがなものでしょう?」

“……”

「耳障りな調べを奏でていないかと、少々気になっております」

“……礼”

「え?」


 どういう意味か聞く前に、ふわわわわ、と西からの風が私を取り巻く。

 すると、聞き覚えのある青年の声が耳に飛び込んできた。



   * * *



「フィオナ、お前はどういうつもりなんだ?」

「……どういうつもり、とは?」


 この声……そうか、シャルル様だわ。

 ミーアのために臣下に下ったのに、結局ミーアはディオン様の元へ上がることになった。しかも『聖妃』という特別な身分で。

 ミーアの気持ちは決まっていたし、シャルル様にはまったく勝ち目がなかったから仕方のないことではあるんだけど。

 あのあとどうなったかしら、と気にはなっていたのよ。闘技場で最後に見たときは、諸々の衝撃が強すぎたのか顔面蒼白だったし。


「黙って言うことに従っているが、本音はどうなんだ、ってことだ」

「大公宮の奥の裏庭など、通常ならば貴族は入れません」

「はぁ?」

「シャルル様には素敵な場所に案内していただき、大変嬉しく思っております」

「庭の話じゃない、俺との婚約の話だ」


 シャルル様のイラっとしたような声。

 この少し低めの声の女性が、フィオナ……ああ、H4の一人、フィオナ・コシャドね。狐顔の、決まりとかに煩そうだったコシャド伯爵の娘。お父さんに似たアジアンビューティって感じの顔立ちだったわね。

 シャルル様の婚約者になったのか。


「本来は婿を取り、コシャド家を継ぐつもりだったと聞いているが?」

「妹がおりますので問題ありません」


 なかなか端的な物言いをする令嬢だわ。

 そういえばH4の面々うち、イデアは兄のベンがやらかしたことでだいぶん縁談が難しいことになっていたし、ナターシャとケティはミーアに結構大きめの嫌がらせをした張本人なのよね。

 この三人に関しては、私もあまりいい視線を向けられた覚えが無いわ。


 だけどフィオナは淡々としていたというか、ただの傍観者、という感じだったわ。H4の中で一番後ろからじっと大勢を眺めているような、そんな感じ。

 ミーアの話にも名前は出てこなかったし、意地悪なこともしていなかったんでしょうね。

 その辺の清廉さを見込まれて、シャルル様の婚約者に選ばれたのかしら。


「まぁ、問題はないだろうが、お前自身はどうなのかっていうことだよ」

「大公家に是非にと望まれて、喜ばない人間はいません」

「あー、そうじゃなくて……」

「シャルル様は、この婚約を破棄したいのでしょうか?」

「……っ!」


 うおっと! 直球勝負だわ!

 いやいや、無理でしょう、婚約破棄は。さすがにシャルル様だってわかってるはずよ。この婚約を止めたところで、ミーアを手に入れることはできないんだから。


「そこまでは思っていない。ただ、フィオナは前向きなんだよな?」

「はい」

「悪いが、俺はお前と同じような気持ちは持てない。そう言いたかっただけだ」

「……」

「すまない」


 はー、馬鹿だわ。これから妻になろうとする人にそれを伝えてどうするのよ。

 相変わらず自分の気持ちしか見えてない人ね、本当に。


「――あの、忌憚のない意見を申し上げてもよろしいでしょうか?」

「構わん。俺が言ったんだから」

「……では」


 フィオナがすっと、息を吸い込むような音がする。


「シャルル様のお気持ち云々はこの際どうでもいいです。それよりも、ソブラッド公爵になるという自覚が足りないことの方が気になります」

「えっ?」

「ここ一カ月の間、大公子のときとほぼ変わらない毎日を過ごされているとか。正式にソブラッド公爵としてロワネスクに降りたら、そんな訳にはいかないんですよ?」

「え……」

「近衛騎士団の団長、領地経営、上流貴族会議と、家の主として采配を振るっていかなくてはなりません。弱音を吐いている場合ではないと思いますが」

「……お前は、誰かを彷彿とさせるな」

「え?」

「いや、何でもない」


 フィオナってこんなにしっかり喋る人だったのね。意外だわ。どちらかというと影が薄かったから……。

 それにしても、『誰か』って私のことかしらねー。ふふふ。


「だいたい『どうでもいい』とはどういうことだ。女はそういうのを一番気にするんじゃないのか」

「……そういう決めつけは、一番よくありませんわね」


 フィオナの声がさらに1トーン下がった。それと同時に、二人の周りの空気もグウッと冷え込んだ気がした。

 結構な迫力ね。シャルル様の唾を飲み込む音まで聞こえてきそうよ。


「シャルル様の飾らない物言いは気持ちがいいですが、あまりにも隠さないのはただのバ……いえ、考えが足りないですわ」

「何だと!?」

「正直さは美徳ではありますが愚鈍でもある、ということです」

「重ねるな、わざと難しく言い換えるな。バカと言いかけただろう」


 ぷぷぷ、なかなか面白いコンビね。

 確かに、シャルル様にはしっかりとしたブレーンが必要だとは思うわ。それからいくと、フィオナは良いお相手なんじゃないかしら?


「後ろめたさと誠実さを履き違えないでください」

「どういう意味だ」

「わたくしに謝罪することで現実逃避を正当化されても困ります」

「……っ、お、お前~~!」


 うわぁ、顔を真っ赤にしたシャルル様が容易に想像できるわ。

 やるわねー、フィオナ嬢。


「勘違いなさらないでくださいね。わたくしはシャルル様を責めているのではありません」


 フィオナ嬢の声が、ふっと和らぐ。一方シャルル様はというと

「……責めてるだろう」

と拗ねたような小さな声だった。バツが悪い、とでもいうような。


「いいえ、違いますわ。その現実逃避を実務面に持っていきませんか、という提案をしたいのです」

「……はぁ?」

「幸い、時間がたくさんあります。わたくしたちの結婚は冬を越え、ディオン様とミーア様の結婚よりも後のこと。恐らく来年の夏ぐらいになるでしょう」

「まぁな」

「この長い婚約期間、過去ばかり見て過ごすのは勿体ないですわ。一緒に未来を考える時間を、わたくしに少しだけ分けてくださいませんか?」

「未来?」

「ええ。上流貴族の中で上手くやっていくための対策を練りましょう。そうでなくとも、やらなければならないことはたくさんあるのですから」

「対策……」

「わたくしのことは、婚約者ではなく友人とでも思ってくださいな。シャルル様が立派な公爵となられるよう、とことんお付き合いいたしますわ」


 フィオナはなかなか利発な令嬢のようだわ。もともと婿をとる予定だったという話だけど、きっと夫にすべてを任せるのではなく自ら領地経営にも携わるつもりだったのかもしれないわね。フォンティーヌ公爵夫人、ザイラ様のように。


 それにしても、フィオナがこんなに生き生きと喋る人だったとは。聖者学院で顔を合わせていたときは思いも寄らなかったわ。

 本当にこの婚約に前向きね。単に公爵夫人になれるから嬉しい、という感じじゃないし。とてつもない意気込みを感じるわ。


「対策って……コシャド伯爵が補佐をしてくれると言っていたが」

「主導権を父に譲るおつもりですか? シャルル様は公爵、しかも現大公のご子息ですから、実質的には上流貴族筆頭となりますのよ」


 そうね、確かに。これまで公爵位は我がフォンティーヌ家のみだったけれど、元大公子となると実質的にはお兄様より身分が上になるわ。

 フォンティーヌ家としても、シャルル様がコシャド伯爵の言いなりになるようでは困るわね。


「俺が?」

「そうです。ですから、それらしく振舞わなければ軽んじられます。最初が肝心ですのよ」

「フィオナ、お前の父だろう? まるで敵のような……」

「敵ではありませんが、味方でもありません。上流貴族の世界は仲良しこよしではありませんの。互いに牽制し合っているのです」

「そうなのか」

「ええ。シャルル様のもとに嫁ぐと決まった以上、わたくしはれっきとしたソブラッド公爵家の人間です。シャルル様とわたくし、たった二人きりの」

「……」

「あなたの一番近くにいる者――シャルル様の味方、ですのよ」

「……俺の、味方?」

「そうです。婚姻を結ぶということは運命共同体になること。わたくし達はソブラッド公爵家の両輪です」

「両輪……」

「あの日の出来事は、わたくしも大変驚きました。シャルル様が彼女に想いを残すのは致し方ありませんわ。そういう時間も必要だと思います。……ですけど、それとは別に、シャルル様の未来を素晴らしいものにしたいと純粋に願う、わたくしという人間がいること。そのことだけは、心に留めておいて頂きたいですわ」


 こ、これは凄いわ……。手練手管ってこういうのを言うのかもしれないわ。

 自分だけは絶対にあなたを裏切らない、あなたにはもう私しかいないのよ、と暗に言っている。

 あなたのことは全部わかっている。だからそんな私だけを信じ、思い切り甘えてくれ、頼ってくれ、と。

 シャルル様、意外にあっさり洗脳されるかも……。



   * * *



 突然、温かい風が吹き荒れて、聞こえていた“音”がかき消される。目の前がジラジラと砂嵐のようにチカチカし、視界が弾けた。

 何が起こったのかわからずに何度も瞬きをしていると、やがて青々とした緑の草原が目に映る。


「え……あらっ!? 終わり!?」

“あまり長い時間、フェデンの魔法域にいるのはよくない”


 殆ど喋らないブレフェデラの代わりに、ムーンが教えてくれた。

 なるほど、ブレフェデラ様が地上の風の音を拾って私に聞かせてくださってたのね。思わず聞き入っていたから、すっかり忘れていたわ。


「そうなんですの。わたくしのことを考えてくださり、ありがとうございます」


 風で巻き上がってしまったベールを整え、深く会釈をする。相変わらず何の思念も伝わってはこないけれど。 


「それと、地上のことを一つ知ることができました。少々気になっていたことでしたの。聞かせていただき、ありがとうございました」

“……返”


 アメトリアンパイソンのお返しということかしら。

 もう一度会釈をすると、ムーンに「そろそろ時間だ」と告げられた。あまり長い間王獣の傍にいるのは、よくないらしい。


「……また珍しいものをお持ちしたら、“音”を聞かせてくださいます?」

“非”

「駄目ですか。すみません、調子に乗ってしまいました」


 クスクスと笑っていると、ムーンに“聖女、こちらへ”と再度急き立てられたので、仕方なく背中に乗った。

 もう少し話をしたら他の言葉も聞けたかしら、と少し残念に思っていると。


“――話”


 ポツン、と言葉が飛んできた。

 振り返ると、ブレフェデラ様は相変わらず同じ姿勢のままで、こちらに視線を寄越すこともなかったけれど。


「ただ話をしに来るのは構いませんのね? わかりましたわ!」


 嬉しくなって、少しはしゃいでお礼を言う。

 三度ムーンに急かされて、殆ど微動だにしないブレフェデラ様の見送りを受けながら、巨大な一本樹を後にした。


 ブレフェデラ様の姿が見えなくなり、緑と黒の靄が渦巻く魔界の領域に入って来ると、ムーンが

“あー……うむぅ”

と謎の呻き声をあげた。


「どうしたの、ムーン?」

“魔王が魔獣訪問に行かせたがらなかった理由がわかった気がするな”

「あら、酷いわね。この件に関しては、ムーンは私の味方だと思っていたわ」

“そのつもりだったが……まさかフェデンのところにこんなに長時間いられるとは思わなかった”

「どうして?」

“会話が成立しないからだ”

「してたじゃない、ちゃんと」

“それが恐ろしい。聖女は魔の者と相性が良すぎる”

「良いことなんじゃないの?」

“良いことだろうが……魔王は気が気ではないだろう”

「そうね、注意事項をいっぱい言われたものね」


 さっきみたいに夢中になってしまうから、私。

 身体のこととか心配してるのよね、きっと。


“恐らくそれだけではなかろうが……まぁよい”


 面倒になったのか、ムーンはそれ以上何も言わなかった。


 確かに、魔獣訪問に時間を割くあまり、魔物の長である魔王セルフィスを疎かにするのは本末転倒だわ。

 ちゃんと意識して会話をする時間を取らないと……と、まるで共働き夫婦のようなことを考えながら、魔界の宙を見上げた。





―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


≪設定メモ≫


●風の王獣『ブレフェデラ』(愛称:フェデン)

 深い碧色の羽根を持つ大鷲。普段はブレフェデラの丘の一本樹にじっと佇み、殆ど喋らない。

 真の名は『ラド=リーブ=フェデン』。


 風によってもたらされる音と匂いに敏感で、気に入らない者は全く寄せ付けない。

 左右の風切羽の下に浅葱色の羽根が隠れており、この羽根からもたらされた風によって歪んだ魔精力を吸収し、眠っている細胞を覚醒させたり欠損している身体を蘇らせることができる。

 しかし、すでに死んでしまった個体を生き返らせることはできない。



→ゲーム的パラメータ

 ランク:S

 イメージカラー:緑(碧)

 有効領域:空中

 属性:風

 使用効果:浄化・再生

 元ネタ:カラドリウス

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