第4話 知らないところでイロイロあったらしい

 ディオン様との面会を終えてフォンティーヌ邸に帰ってきたあとは、何だか慌ただしかった。

 六日後の結婚の儀のことを聞いたザイラ夫人が連絡を寄越してくださったり、大公宮からも内々ながら正式な手紙が来たりして、主のいないフォンティーヌ公爵邸はその対応に追われた。


 その後クロエからも「会って話をしたい」という手紙が来たので、明日の午後にはパルシアンへと立つ予定だったのを取りやめ、クロエに会うことにした。



   * * *



「まぁ……凄いわね」


 本邸の玄関でクロエを迎え、長い長い廊下を経て私が住んでいる西の塔へ案内すると、クロエがあちこち見回しながら驚いたように吐息を漏らした。


「え? ……ああ、この森みたいな庭のこと?」


 美しい石畳の町ロワネスクの中にあって、このフォンティーヌ邸の離れの庭にはさまざまな樹が植えられ、外からはおおよそ中が見えないようになっている。

 どれだけマリアンセイユを隠したかったのよオトーサマ、とは思うけど。


「それもそうだけど、かなり高度な魔道具があちこちに仕込んであるわね。この一角だけ要塞のようだわ」

「え?」


 私は魔道具にはあまり詳しくない。もう暴走なんてしないはずだけど、もし壊してしまったら大変だし……と、アイーダ女史が「大丈夫」というお墨付きをくれた道具以外は触れないようにしてきた。


「マリアンセイユ様がこちらに戻ることが決まった際に取り付けられたものでございます」

「そうなの」


 アイーダ女史の説明にクロエが頷き、感心したように辺りを見回している。

 そう言えばセルフィスがロワネスクの本邸に忍び込むのは無理だと言ってたわね。そういうことだったのか。


 ちらりとアイーダ女史を見ると、わずかに会釈した。アイーダ女史からは魔道具のことは一切聞かされていなかったので

「黙っていて申し訳ありません」

ということかな、と思う。


 今なら、私を護るためなんだとわかる。だけど来た当初に聞かされてたら、

「ますます牢獄に閉じ込められているようだわ」

と反発したかもしれないわね。



 クロエを塔の三階にある私の部屋に案内する。桃色の石の話もしないといけないので、ヘレンとアイーダ女史には席を外してもらった。

 あれは多分、アルバード家の秘密に関するものだ。


「クロエ、ごめんなさい。本当にピンチになって、あの桃色の石を使ってしまったの。そしたら砕けて壊れてしまって……」

「でしょうね。魔獣が出たと聞いたから、きっと使ったんだろうとは思っていたわ。で、どうだった? 何が起こったの?」

「えーと……」


 どこからどこまで説明したらいいのかしら。確か、あの桃色の石自体の効果は、ユーケルンの『すべてを癒す大いなる風トータルキュアウインド』の発動だけだったわよね。

 あの場所が魔界と繋がってたものだから、続けて本人が現れちゃっただけで。


「ピンチに陥ってたんだけど、ユーケルンの『すべてを癒す大いなる風トータルキュアウインド』が発動してヴァンクを追い払ってくれたの。ただ、これってアルバード家の秘密じゃないかと思って、大公宮には伝えてないんだけど」


 フェルワンドのことを話せない以上、こう言っておくのが無難かな。


「そう、助かったわ。あれを説明するとなるとアルバード家の過去の事件を説明しないといけなくなるのよね」

「……」

「聞きたい?」

「え、聞きたいけど、聞いてもいいのかしら?」

「大丈夫よ。それに――『聖女』になるのなら、魔獣ユーケルンについて知っておいた方がいいと思うわ」


 そう言ってクロエが語り出したのは、三百年前にアルバード家の令嬢に起こった悲劇だった。

 魔法の才に秀でた令嬢は、あるとき父の侯爵が必死に隠していたユーケルンの魔法陣を知ってしまった。

 どうしても好奇心が抑えられなかった彼女は、魔法陣を描きユーケルンを召喚してしまった。

 ユーケルンの魔法『すべてを癒す大いなる風トータルキュアウインド』は『浄化と回復』であり、召喚者に害をなすものを退け、召喚者を癒す働きがあると言われていた。だから令嬢も、召喚者や周りには何の害も無いだろう、と安心して魔法陣を起動させてしまったのだ。


 しかし、そのアルバード家の令嬢は当代随一と言われる輝く美貌を持つ可憐な少女で、しかも処女だった。


「…………えーと」


 嫌な予感がして眉を顰めると、クロエがフフフ、と笑った。


「魔獣ユーケルンは美少女好きの処女好きなのよ。でもその様子だと、マリアンも知ってるのね」

「……護り神様から聞いたのよ」


 さすがに本人に迫られたとは言えないわ……。


「そのとき、令嬢に惹かれたのか本物が現れてしまって、令嬢はユーケルンに連れ去られてしまったの」

「ええっ!?」

「大公宮に無許可で魔法陣を描いたこと自体がマズいから、当然この事実は伏せるしかなくて……」

「令嬢はどうなったの?」

「一か月ほどで帰されてはきたのだけど、ちょっとおかしくなってて」

「え……」


 そう言えば、フェルワンドが『再起不能にした』とか言ってたわね! これか!


「『ああ、もう死んじゃいますぅ』『どうかお情けをくださいませぇ』『はぅ、ケルン様ぁ』と色っぽい溜息をついてクネクネと悶えるばかりだったみたい」

「ぶふっ!」


 そっちかーい! 『おかしくなる』の意味が違う!

 それってそれって、ユーケルン無しじゃ生きていけないカラダにされてしまってるんじゃないの!

 や、や、やっぱりユーケルンって危険だったのね。本当に危なかった!

 意外な形で私の人生が詰むとこだったわ!


「婿を取って侯爵位を継いてもらうはずだった娘がそんなことになったもんだから、アルバード家は大騒ぎになってね。ユーケルンがお礼とお詫びに、と言って寄越したのがあの桃色の石だったのよ。自分の護符だと言って」

「護符……」


 お詫びはともかく、お礼って。処女を頂いたお礼ってことでしょうか。

 確か『護符あげときゃ大丈夫』的な、すごーく軽いこと言ってたわよね。

 ほ、ほ、本当に乙女の天敵だわ、魔獣ユーケルンって!


「多分、ユーケルンの魔精力を凝縮させたものなんでしょうね。処女に身に付けさせてくれ、必ず守るから、と言ったそうよ。『ヒトの姿で現れたユーケルンの佇まいは凛々しく、立ち去る際に背中から生やした白い翼を広げた姿は魂を奪われるほど美しかった』と伝わってるから、件の令嬢もついフラフラとついていっちゃったんでしょうねぇ」


 確かに人間に変身したユーケルンは美しかったものね。あの姿で白い翼を生やされたら、それこそ異世界からやってきた王子様みたいに見えるかも。件の令嬢は一目惚れしちゃったのかしら。

 だけど守るのも処女限定なの……。ブレないわね、ユーケルン。


 でもどうやら、アルバード家ではかなり真っ当なキャラで伝わっているようだ。

 オネエ言葉で下ネタ全開のねちっこそうなエロ魔獣だと言ってやりたい気分になったけど、余計な混乱を生じさせないためにグッと堪えることにした。


「アルバード家の跡目はどうなったの?」

「そのあともう一人子を儲けて、その子が継いだわ。だから私の代までちゃんと直系で繋がってはいるのだけど」


 そう言うと、クロエはふーっとなぜか安堵したような吐息を漏らした。


「代々アルバード家の未婚の令嬢が肌身離さず身に付けさせられていたのよ。だけどアレ、内情は誰も知らないとはいえ『私は処女です』と目印つけて歩いているみたいで、本当に嫌だったのよね。むしろ壊れてくれて良かったわ」



 その後、クロエは「父には上手いこと言っておくから気にしないで」と言い、しばらく他愛無い話をしてから夕方頃に帰っていった。



 夜になって、兄のガンディス子爵が現れた。

 フォンティーヌ公爵はまだ眠ったままだが、容体は安定したので大丈夫だということと、パルシアンに行くのはいいが三日後には帰ってくるように、と言われた。


「わかりました。儀式の衣装合わせや事前打ち合わせもありますし、元よりそのつもりでございました」

「すまんな。恐らくパルシアンに行けるのは、これが最後になるだろう」

「え……」


 思ってもみないことを言われ、固まってしまう。

 最後? パルシアンに行くのが?


 真っ先に脳裏をよぎったのは、セルフィスの顔だった。

 今は大公の間諜としてあちらこちらに飛び回っているセルフィス。その合間を縫ってパルシアンにいる私のところへと来てくれていた。

 だけど、ロワネスクの本邸では監視が厳重すぎて潜入は無理だと言っていた。


 セルフィスにも――もう、会えなくなる?


「結婚の儀を終えたあとはすぐに大公宮に入り、大公妃教育が始まるだろう。本来はこれらを終えてから結婚の儀となり、次に大公宮内の大聖堂で上流貴族立ち合いのもと、大公殿下から大公子妃授与の儀式がある。その後は下流貴族も招いた大規模な舞踏会が開かれ……」

「えーと、ちょっと待ってくださいな、お兄様」


 何か立て続けに言われて頭が混乱してきた。

 やっぱり大公世子の結婚ともなると大規模なのね。


「では、結婚の儀を終えたあとは、もうこの塔にも戻れないんですの?」

「そうだ。しかし今回は内々ということなので、妃の部屋ではなくあくまで客人という形で部屋が用意されるだろう。そして、翌日の『聖なる者』選定が終わり、正式に大公子妃になったことが発表されれば、お前は大公家の一員。当然、身を置くのは大公宮になる」

「え……」


 私は咄嗟に、後ろに控えていたアイーダ女史とヘレンを振り返った。

 アイーダ女史はやや誇らしげに微笑んでおり、ヘレンは少し涙ぐんでいる。


「二人は? どうなるんですの?」

「彼女達はフォンティーヌ公爵家に雇われた人間だ。大公宮についていくことは、本来はまかりならん」

「え……そんな、嫌ですわ!」


 アイーダ女史やヘレンと一緒に居られるのも、あと一週間ほどしかないというの?

 嫌よ、嫌!

 結婚の儀を迎えることが、こんな性急に事を運ぶことになるとは思わなかった。

 ああ、もう、どうしてそこまで頭が回らなかったんだろう。ディオン様に即答しなければ良かった!


「アイーダ女史に教えて頂きたいことは、まだまだありますわ! そして私の身体や食の好みまで熟知しているのはヘレンだけですのよ。だから大公宮に一緒に……」

「なりませんよ、マリアンセイユ様」


 ガンディス子爵に掴みかかり、危うく令嬢としての作法もぶっ飛びかけていたところで、アイーダ女史がピシリと言い放つ。


「大公家を守り、支えるのは『リンドブロム近衛部隊大公宮兵士官』であり、お世話をするのは大公宮直属のメイド、と決まっております。万が一スパイや刺客だったら困りますから、外部の人間が大公宮に入ることはできないのですよ」

「アイーダ女史やヘレンは絶対に違うじゃない!」

「それを言うならば、どの家の使用人もそうです。ですが万が一ということもありますから……」

「だって……!」

「ああもう、ちょっと待て、二人とも!」


 ガンディス子爵が言い争う私とアイーダ女史の間に入り、わしゃわしゃと短い角刈りの頭を掻く。


「アイーダ、そう意地悪な言い方をするな。事前に連絡はしてあっただろう。それにマリアンセイユも、ちゃんと話を聞け。、と言っただろう」

「え……」


 私がガンディス子爵とアイーダ女史の顔をキョロキョロと見比べると、アイーダ女史が眉間に皺を寄せたままふう、と溜息をつく。


「そうですが、こんな甘ったれた精神では到底大公宮ではやっていけません」

「まぁ、そうだが。しかし急なことで心の準備が全くできなかったのも確かだ」

「……」


 ガンディス子爵の言葉に、アイーダ女史は無言のままだ。ヘレンはというと、目尻の涙を拭いながらうんうん、と頷いている。

 二人はとっくにガンディス子爵から何らかの話を聞いていたらしい。

 何よそれ、ひどいわ。どうして私を除け者にするのよ。


「いいか、マリアンセイユ。アイーダが言ったように、本来は彼女達はお前についていくことはできん」

「はい……」

「ただ、今は父上が大公宮で療養している。早くこの屋敷に戻すべきなのだが、まだその見通しは立っていない。しかしいつまでも大公宮の人間の手を煩わせる訳にもいかないから、ウチから何人か身の回りを世話をする人間を連れて行くつもりだったんだ。勿論、近衛兵士官に話を通して認可されればの話だが」

「え……」


 それって、大公宮に二人も行けるってこと?

 驚いて振り返ると、アイーダ女史は相変わらず無表情のままで、ヘレンはポロポロと涙をこぼして何度も力強く頷いている。


「いつでも会えるという訳ではないがな。その後、アイーダとそこのメイドが大公宮付きの人間として認められれば、その後も仕え続けることはできるだろう。ただ、アイーダはともかくその者は難しいと思うがな」


 ガンディス子爵がヘレンの方を顎でしゃくる。

 しかしヘレンは

「わたくし頑張りますから、マユ様!」

と笑顔で叫び、ドンと右手で自分の胸を叩いた。


「わたくしが必要だと仰ってくださり、本当に嬉しいです。必ず大公子妃付きのメイドに成り上がってみせますから、待っててくださいね!」


 左腕で逞しくガッツポーズをしてみせるヘレンに嬉しくなり、思わず駆け寄ってぎゅうう、と抱きつく。


「ありがとう! 私も大公子妃として頑張るわ! ヘマしないように!」

「はい!」

「頑張ろうね!」

「はい、頑張りましょう!」

「マリアンセイユ様、ヘレン。二人とも、今の言動では完全に不合格です」


 互いの両手を握り合い興奮する私達に、アイーダ女史が眼鏡のブリッジを抑えながらビシリと叱りつける。

 私達二人はゆるゆると相手の両手を離すと

「はーい……」

「申し訳ありません」

とおとなしく引き下がった。


 そして、そんな私達を見ていたガンディス子爵は、

「これは長い道のりになりそうだな」

と呆れたような声を出しつつも、その顔には珍しく優しそうな笑みが浮かんでいた。

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