第3話 呼び出しなんてろくなもんじゃない

「昨日の今日で、申し訳ありません」


 寝不足なのか、目の下にうっすらとクマができているディオン様と面会したのは、リンドブロム聖者学院の学院長室。

 今日は『野外探索』の三日目。『聖なる者』の最終候補者は全員二日で終了になってしまったけど、聖女騎士団や近衛部隊への入団希望者はまだ探索を続けている。


 ディオン様は探索本部を抜け出し、この学院長室にやってきたらしい。

 今は『野外探索』のため出払っていて館内には誰もおらず、ディオン様も直近の臣下を一人付けていただけだった。

 まぁ要するに、密会にはおあつらえ向きの場所だった訳だけど。


「いえ。……お話は何でしょうか?」


 そのたった一人の臣下も学院長室から出ていき、辺りがふわりと柔らかい布で包まれたような感触がした。

 盗聴防止の魔法かな。よほど、内密の話らしい。


「まず、耳に入れておきたいことがあります。シャルルは『ソブラッド』の公爵位を与えられ、上流貴族八家に下ることになりました」

「……エドウィン伯爵家の代わりに『ヴァンク』の魔法陣を引き継ぐのですか?」

「そうです」


 なるほどね。よくシャルル様が認めたわね、と思ったけど、どうやら言い出したのはシャルル様の方かららしい。

 だから『野外探索』への参加も認められたのか。上流貴族八家の当主になるということは、今後リンドブロム聖女騎士団も指揮していかなければならないし。


「次に、これを見てください。『野外探索』の結果です」

「え? わたくしは選考される側の人間ですが、見てもよろしいのですか?」

「はい。今からする話と無関係でもありませんので」


 学院長の椅子に座ったままのディオン様が、ペラリと一枚の紙を机の上に出した。向かい合う私の方へすっと差し出されたので、手に取って眺める。


「……無効?」


 誰が何の鍵を取得したかの一覧。私は銀の鍵を9個、それと金の鍵を1個入手したはずなのに、銀の鍵が4個、という結果になっていた。つまり、残り6個は取得とは認められなかった、ということになる。


「下に書いてありますが、無効判定が出た銀の鍵5個は、箱の発見に際し護り神の力を用いたからです。探索においては魔道具を禁止したはずですから」

「彼らは道具じゃありませんわ」

「しかしあなた自身の魔法という訳でもないでしょう。記録水晶を吟味し、試験官とも話し合った結果、あなた自身が発見した箱以外は無効、という扱いになりました」

「……金の鍵は?」


 これは確か、私が自分の魔法を使って見つけたわよ。無効にされる覚えは無いわ。


「これは『金の箱』の監視についていた教官が『魔物イミテーションとの戦闘において護り神の協力があった』と証言しています。教官はそのことをあなたに説明し、やり直しを指示しようとしましたが、あっという間にその場から去ってしまった、と」


 あー、あのときか。確かに誰かに声をかけられたような……。

 足を止めればよかったのか……。やり直ししたかったな。少し時間はかかっただろうけど、私一人で倒せたわ。あの程度の魔物なら。

 失敗した……。


 それにしても、この結果はマズいわね。圧倒的にリードしていると思っていたけど、戦果だけで考えれば他の候補者とほとんど変わらないじゃない。

 ……ちょっと待って、これを見せられたということは?


 ギョッとして顔を上げると、ディオン様は少しだけ首を横に振った。


「いえ、まだ『聖なる者』を誰にするかは決まっていません。これまでの学院での成績や魔法実技なども鑑みて最終的に決めます。……が」


 ディオン様が椅子から立ち上がり、私に向かって右手を伸ばす。紙を返せということかな、と差し出すと、ディオン様は苦笑した。


「これはまだ、わたし個人の考えなのですが」


 そう前置きしながら紙を受け取り、机の上に置く。

 そして再び、右手を差し出された。


「マリアンセイユ・フォンティーヌ。その前にあなたを、きちんとわたしの正妃にしたいと考えています」

「……えっ!」


 それは、いわゆるプロポーズのはずだった。乙女が憧れる、素敵な王子様からの愛の告白。

 私にとっても、未来の大公妃が約束された言葉。嬉しく思うか、まぁそこまでの気持ちは持てないにしても、せめて

「やっと安心できるわ」

と息をつける場面なのに。


 まるで、「もう逃げられないよ」と運命の番人に肩を叩かれた気分だった。冷たい氷水を流されたような感触が、背中を走った。


 だって、もっと先だと思っていた。

 どうしてこんな早く、まだ覚悟なんてできてないのに、という言葉がブワリブワリと湧き出てきた。

 気がつけば、左手で自分の右腕をギュッと掴んでいた。ディオン様のそれ以上の接近を拒むかのように。


 ディオン様はやや口元を歪め、そっと右手を下ろした。仮面のような、貼り付いた笑顔。


「……安心してください。六日後、公室の人間のみが立ち会う結婚の儀を執り行うだけです。あなたには指一本触れません。――望むなら、一生」

「……あ……」


 しまった、咄嗟に身体が反応してしまった。そして今も、思わず安堵の息を漏らしてしまった。

 いかにも警戒してるってバレた。さすがにディオン様だって、いくら私に気持ちが無いとはいえいい気はしないだろう。


 今さらながら気づいた。私は「婚約者として」と散々言っておきながら、結婚する覚悟が全く無かったんだって。

 というより、一切考えないようにしていた。一生婚約者でいいわ、ぐらいに思っていた。何て、甘いんだろう。


 ――だけど。

 一生、私に触れない? じゃあ跡継ぎはどうするの。

 それに、六日後……?


「『聖なる者』の決定の前日、ですわね」

「……ええ」

「ミーア・レグナンドのためですか?」

「!」


 私の切り返しに、ディオン様の肩がやや揺れた。すぐにいつもの無表情に戻ったけれど、右の眉がわずかに動いたわ。私の目は誤魔化せないわよ。

 『正妃にする』という言葉に簡単に釣られるとでも思ったのかしら。だとしたら随分と私も舐められたもんだわ。正妃にすれば文句はないだろ、と馬鹿にされたような気分。

 腹の奥底からフツフツと怒りのようなものが湧いてくる。


 だいたい、

「オッケー、よろしくぅ!」

と出された右手を素直に握り返すとでも思ったの?

 そもそも最初に喧嘩を売ったのはディオン様で、買ったのは私。

 そんな私が、何も聞かずに引くと思う?


 さーて、態勢を立て直さなくちゃ。愛のない結婚、夢のない未来にビビってる場合じゃないわ。


「ミーアを『聖なる者』に選び、そしてその場で側妃にすることを発表する。そういうことですわね?」

「え、いや……」


 否定しようとして、ディオン様は口をつぐんでしまった。

 というより、どう説明すべきか考えあぐねているようだった。


 でも、どう説明されても同じだと思う。私との婚約を破棄できない以上、落とし所はそこしか無いだろうし。

 なるほど、だから『一生手を出しません』という約束もできる訳ね。


「誤解しないでください。『聖なる者』はまだ決まった訳では、」

「なるほど、だから『聖なる者』の決定の前なのですね、結婚が」


 申し訳ないけれど、ディオン様の言い訳を聞く心の余裕はないわ。

 だって私は一生、仲睦まじい二人の姿をただ眺め続けるだけの立場だって決定づけられたんだから。きっと色んな人の思惑や嘲笑の中で生きていくしかないんだわ。


 勿論、そうするしか無かったわよ。すべてを丸く収めるためにはこれしか無いって、わかってたけど。

 ――わかってたけどさ。


「ミーアがもし『聖なる者』に選ばれれば、彼女を正妃にするのではないかという邪推が生まれたり、あるいは彼女を強引に自分の妻にしようとする者も現れるかもしれませんしね。ディオン様としても気が気じゃありませんわね。早くご自分のものになさりたいでしょう」


 シャルル様が臣下に下るのなら、真っ先に動くでしょうね。

 一番ディオン様が恐れているのは、シャルル様だろうから。


「そして『聖なる者』決定の場は貴族だけでなく民衆も集めたリンドブロム闘技場。これほど大きな舞台はありませんわ。この場でミーアを側妃にすると宣言するためには、その前に正妃がいることが大前提ですし、正妃が公で側妃を認めれば余計な不協和音を奏でずに済みます」


 正妃が聖女たる側妃を認めて歓迎しているのに、関係のない人間が口を挟むことなどできやしないわ。

 ましてや民衆の前なんだもの。

 そしてミーアは民衆にはとても人気があるのだ。『聖女の再来』として。


「集まった大半の民衆は『聖女を妃にした』『リンドブロム大公国は安泰だ』と歓喜し、祝福こそすれ、反対する者はいないでしょう。上流貴族の面々も認めざるを得ません。それで事前に私に話を通そうと考えられたのですね」


 一気にまくし立て、ディオン様が口を挟む隙を与えない。

 というより、考える暇は与えない。その方が本心が見えるから。


「筋を通してくださりありがとうございます。さすがですわね。よく練られた筋書きだと思いますわ」


 わざとらしく頷いてみせる。

 さあ、どう返すの、ディオン様?


「ちょ、ちょっと待ってくれ」

「何でしょう?」


 できるだけ優雅に微笑む。私がミーアを側妃にすることに腹を立てていると思われるのは困る。あくまでシビアに現状を顧みただけよ。

 そしてディオン様はいつもの敬語ではなくなり、明らかに動揺していた。

 なるほど、だいたい私の読みで当たっていたと見える。


「まず、『聖なる者』は本当に決まっていない」

「あら、そうですの?」

「ああ」

「あの紙を見せられたので『聖なる者』を諦めろという意味かと思いましたわ」

「そうじゃない。ただ『無効』の件は知らなかっただろうから……」

「つまり、『野外探索』の結果は横一線だと伝えたかったのでしょう?」

「それはそうだが、ただ、大公家としてはどちらも離すことはできない、という考えではある」


 いつになく早口でポンポンと返してくる。私に喋りまくられたんじゃたまらない、といったところだろうか。

 ふふ、おかしいわね。こんなタイミングでようやく会話らしい会話をディオン様とすることになるなんて。


「大公家としては、ですの?」

「そうだ。魔獣と向き合える人材だからだ」

「魔獣……」


 そうか、ミーアは『サルサ』という魔獣と契約していたという話だったわね。

 恐らく桃水晶のイヤリングが契約の証だった。あのとき砕けてしまったから、もう解除されたでしょうけど。


 そして、私。現在ハティとスコルの二人と契約していて、サーペンダーとも顔見知り、に見えただろうし。

 あのときその場にいた男性三人は、ガンボにすら恐れおののいて話にならなかったのに。


「なるほど、ミーアを臣下の妻にするには危険ということですね。臣下の妻が魔獣と意思を交わし魔物すら操るようになれば、リンドブロム大公国の転覆を目論む可能性があります。しかもエドウィン伯爵がまさに逮捕されたばかりですしね」


 エドウィン伯爵が画策していたのは単なる密猟ではなく、それを皮切りとした魔王降臨だったという。だから『聖女』など不要で、特にすでに護り神を従えている私が邪魔だった、と。

 今度は逆に『聖女』が現在のリンドブロム大公国の在り方をぶち壊しにかかる、なんてことになったら困る、ということか。


 いずれにせよ、『聖なる者』候補は私とミーアに絞られた。

 そう捉えていいと思う。


 後は大筋私が言った通りなんだろう。ディオン様は特に反論することもなく、黙って頷いていた。

 私は背筋をぴんと伸ばし、真っすぐにディオン様に向き直った。じっとその黒い瞳の奥を見つめる。


 私に言われっぱなしでどうするの。ちゃんと、あなたの言葉を私に下さい。


 そんな私の気持ちが伝わったのか、ディオン様も背筋を伸ばした。まっすぐに私と向き合い、机に両手をつく。


「あとは、あなたが言った通りだ。六日後に結婚の儀式を交わし、あなたを正妃にする。そして……ミーアを側妃にすることを、許してほしい」


 そう言うと、ディオン様はゆっくりと頭を下げた。


 驚いた。まさか、ディオン様が私に頭を下げるなんて。そして、私に許可を願い出るなんて。

 てっきり、「ミーアを側妃にするからそのつもりで」と宣言されて終わりだと思っていた。

 ディオン様やミーアの気持ちを考えると落としどころはそれしかないだろうと分かっていたし、『聖女』の問題もある。反対する気持ちは一切なかった。


「……解りました。ただしお願いがあります、ディオン様」

「何だ?」


 ディオン様がものすごいスピードで頭を上げた。認めてもらってホッとしたというのが半分、今度は何を言い出すんだとややビクついているのが半分。

 内心ぷぷぷ、と笑いそうになりながら机に手をつく。

 今度は、私が頭を下げる番だった。


「『聖なる者』の決定だけは、公平に決めてください。わたくしやミーアの立場や未来は関係なく」

「勿論だ。だいたい、僕の一存で決める訳じゃない」

「わたくしは他の令嬢とは違います。本気で『聖なる者』になるために学院に来たのです」

「――それは、よく分かっている」


 何かを噛みしめたような響きだった。違和感を感じて顔を上げる。

 その黒目がちの瞳がしっかりと私を映しているのを見て、ああ、わかってくれているんだ、と漠然と思った。

 今までどこか上滑りした言葉ばかりだったけど、初めて心の籠った、力強い言葉を貰えた気がした。


「その上でミーアが『聖なる者』になるのなら納得できますし、ちゃんと側妃にできるよう協力いたしますわ。そして、もしわたくしが『聖なる者』になった場合でも、必ずミーアをディオン様のお傍におけるよう、わたくしが話を持っていきます」

「……すまない」


 やはりディオン様は、私の言葉を否定しなかった。

 さっきは大公家がどうとか言ってたけど、ミーアを側妃にしたいというのはディオン様本人の望みなんだろう。


「お話は解りました。六日後ですね。兄にはもうお伝えになったのでしょうか?」

「いや。最初に言ったように、僕個人の考えだ。もし君が納得できなければ従来通りの手筈で進めようと思っていた。上流貴族八家の会議を通して……まぁ、紛糾する可能性は高いが」

「ミーアとはどういう話になっていますの?」

「まだ何も伝えてはいない。君が納得しなければ意味がないだろう」

「……」


 一応、私を立ててくれたのね。誠実な人だ。

 そういうところが、ミーア……いや、美玖も本気で好きになったのかな。

 思えば美玖の好きそうなタイプだわ、ディオン様って。物腰が柔らかで、賢そうで。そして意外に対応も柔軟だわ。


 私には、ディオン様のそんな一面を知る時間もなかったわね。それはお互い様なのかもしれないけど、私に配慮しようと思ったのは心おきなくミーアを迎えたかったからでしょう。

 ミーアが大公世子としての仮面をつけていたディオン様を変えた。彼の素顔を引き出した。


「そう言えば、どうして気づいたんだ?」

「何がですの?」

「僕とミーアのこと。……というより、僕の気持ち……か。何しろ公爵家に対するひどい裏切りだ。魔獣のことが無ければ諦めるつもりだったし、ちゃんと隠していたつもりだったんだが」


 えー、正妻になる人間に愛人の恋バナ仕掛けるの? デリカシーないわー。

 あと、公爵家に対する裏切りじゃなくて、本来はマリアンセイユに対する裏切りって言わなきゃだめよ。政略結婚感が丸出しじゃないの。

 まぁ、いいけど。


「何回かミーアと会っていたという情報を入手しておりました」

「え……」

「それと、魔導士学院の魔法実技室で密会されてましたよね? 出てこられたときのお顔を拝見して、確信いたしましたわ」

「ええっ!?」


 こればかりは本当に驚いたようで、ディオン様は大きく目を見開き、あんぐりと口を開けている。

 ディオン様の表情があまりにも見たことがない間抜けな感じになってるものだから思わず笑い出してしまった。


「いや、マリアンセイユ、誤解しないでくれ。ミーアとはまだ何も……」

「それは信じてますわ。こうしてわたくしに義理を通してくださるぐらいですもの」


 『まだ』とか言っちゃってるし! どれだけバカ正直なの!

 さすがにあの場所で何かしちゃったとは思ってないわよ、とクスクス笑い続けていると、ディオン様がほーっと息をついたあと、今度は少し寂しそうに微笑んだ。


「君は、そういう表情で笑うんだな」

「え?」

「いや……知らなかった、と思ってね」

「――そうですね」


 今このときになって、初めて少し打ち解けられるなんてね。

 皮肉だわ、と思いながらディオン様の方へ真っすぐ向き直る。


「それでは、これで失礼いたします」

「ああ。大公殿下の許可を頂いた上で、子爵には連絡する」

「かしこまりました」


 ゆっくりと頭を下げる。

 腹が決まったことで、何だか少しだけスッキリした、気がする。


 この部屋に来た時よりはいくぶん軽い足取りで、私は学院長室を後にした。

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