第7話 秘密の舞踏会ね

 ややひんやりとした空気を感じつつ、西側のバルコニーに出る。

 まだパーティが始まってからそう時間は経っていない。大半の人は大広間で相手を物色中なのか、涼みに来ている人は誰もいなかった。

 西側のバルコニーから見上げる上弦の月。この世界の月は、本当に大きくて白く輝いていて綺麗ね。


 バルコニーの片側からは、庭に降りられるように階段が付けられている。中庭の奥には東屋のようなものが見えた。

 ふふふ、恋人たちがああいうところで語らったりするのかしらね……と妄想が広がる。行ってみたかったけれど、雨が降っていたのか庭の地面のあちらこちらに水たまりができていた。月の光を反射してキラキラしている。

 今日のドレスは裾が長いし、上手く持ち上げたとしてもどこかしらが濡れてしまうわよね。


 庭に降りることは諦めてバルコニーから小部屋に戻ると、ふと部屋の一角からの風がふわっと私の前髪を揺らした。

 え、ちょっと待って、おかしいわ。部屋の中から風?


 どこから吹いているのだろう、と慎重に気配を探ると、部屋の隅に置いてある本棚が目についた。近づいてよく見てみると、本棚の背に微かに隙間がある。指をかけ、試しにえいやっと引っ張ってみると、ギギギ、という古めかしい音を立てて本棚が一枚の扉のように開いた。思ったより軽くて、少しだけびっくりする。


 やだ、隠し部屋?と思いながらこっそり覗き込むと、細長い通路がずっと奥まで続いていた。随分と薄暗い。いかつい石の壁にはポツン、ポツンと所々に明かりは灯されているみたいだけど、空気が湿っているというか。

 ゲーム世界で言うと、まるで地下室に向かう秘密通路のようだ。


 でも待って、ここは正真正銘ゲーム世界だったわ。これ本当に秘密通路なのかも。何か新しいイベントが発生してるのかしら?

 だけど、私はこの世界では完全に脇役なのよね。私向けのイベントがあるとは思えないし……ヒロインであるミーアのイベントが発生している、と考えた方がいいのかもしれない。

 ……となると、この先にミーアがいる?


 辺りを見回すと、誰もいなかった。貴族たちは勿論、警備をしている近衛武官も。

 となれば今のうちに行った方がいいわね、とササッと地下通路に入り、本棚の扉を閉める。

 シーンと静まり返った石の通路。床は粗末な木の板が敷き詰められている。汚れてはいないけど、歩きにくいのでガバッとドレスの裾を持ち上げた。だって、どうせ誰も見てないし。


 やだー、ゲームだとどんな服装だろうがタタタッとダッシュできるけど、現実はそうはいかないわね。

 それにしても薄気味悪いわ。まさか地下牢的なものだったらどうしよう。それとも拷問部屋とか?

 はあっ、ひょっとしたらミーアのバッドエンドイベントだったりして! それは見たくないわ、さすがに!

 いや、私が代わりにそのルートに入ってしまったとか!? それだけは絶対に嫌ぁ!


 慌てて辺りを見回したけれど、血痕のようなものは見当たらないし、変な臭いもしない。

 不気味な魔精力が漂っている訳でもないし……うん、多分大丈夫。……うん。


 自分を励ましながら、とりあえず奥へと進んでいく。

 だけど、曲がりくねった石の通路を歩いているうちに方向感覚は完全に麻痺してしまった。一本道だから迷うこと無く戻れるだろうけど、あんまり遠くだと時間的に厳しいわね。


「……あ」


 出口のようなものが見えてきて、思わず声が漏れる。

 どうやら王宮内の別の部屋、という訳ではなく外に繋がっているようだ。少し湿った風と、清涼な魔精力が漂ってくる。

 間違いなくありのまま残された、清らかな自然だわ。とりあえず地下牢、拷問部屋の線はナシ、と。


 そっと外を覗くと、目の前には幻想的な光景が広がっていた。


 地面は緑色のモコモコした草でずっと覆われており、右手には丸い葉っぱがたくさん生い茂った樹々が並んでいる。左手から奥にかけて、蒼にも碧にも見える泉が広がっていた。

 泉は岩壁に取り囲まれており、最奥には小さな滝があった。サラサラと音を立てて泉に注がれている。泉の水は岩と岩の間に染み出しているのか、決して地面に溢れることなく一定の水位を保ってたゆたっていた。


 今日の美しい上弦の月の光がスポットライトのように辺りを照らしていて、そう信心深くない私だって、思わず両手を組んで祈りたくなる。

 何より漂っている魔精力の豊かさと美しさといったら……! 例えようもないわ!


「やはり見つけましたね」

「ひえっ!」


 急に馴染みのある声が飛んできて、飛び跳ねそうになるほど驚く。思わずドレスから裾を離して自分の心臓を抑え、キョロキョロと辺りを見回した。

 右手の木々の間から、セルフィスがすっと姿を現す。


「へぇっ!?」

「大きな声を出さないでください」

「な……何で!?」


 慌ててもう一度裾を抱えようとして、セルフィスに止められた。

 この場所は雨も降っていませんし魔精力に守られた自然の絨毯のようなものですから大丈夫ですよ、と。


 恐る恐る足を踏み入れる。ふかふかして、まるで現実味がない。雲の上を歩くよう、とはこういう感じを言うのかもしれない。


 この場所は、ロワーネの谷の少し手前の『聖女の泉』と呼ばれる場所らしい。木々の向こう側へと抜けるとさらに奥へと続く細い道が二股に分かれていて、一方はロワーネの谷の奥へ、もう一方はフォンティーヌ領へと続いているという。


「ロワーネの谷の奥ってどういうこと?」

「千年前、魔王はこのロワーネの谷を奥へと進み、魔界へと姿を消しました。リンドブロム城は、聖域であるロワーネの谷を守るために建てた城です」

「そうだったわね」


 最初に読んだ絵本、それから聖者学院の歴史学の本にもそう書いてあったわ。

 その魔王が消えたとされる奥に繋がる道、ということか。


「一方は、フォンティーヌ領からパルシアンへ抜ける近道なんです。マユのところへ行くのに便利なんですよ」

「聖なる場所を、便利って……」


 まぁでも、これで謎が解けたわ。間諜が馬車を使う訳ないし、騎馬だとしても目立ちすぎるわね、と思ってたもの。

 フォンティーヌ領の端っこからパルシアンにかけては森が広がるかなりの田舎と聞いている。人がそもそも殆どいないんだもの、馬で駆け抜けても見とがめられないわよね。


「……じゃ、踊りましょうか」

「ええっ!?」


 セルフィスがずいっと近づいてきて手を差し伸べたので、思わず後じさる。

 ちょっとちょっと、急に距離を詰めないでよ。びっくりするじゃない。


 セルフィスは差し出した手はそのまま、「おや?」とでも言うように首を傾げた。


「マユがわたしと踊れなくて不満そうだったから、わざわざこの場所に誘導したんですよ?」

「不満って! 私がものすごく駄々をこねたみたいじゃない!」

「違うんですか?」

「違うわよ。……でも、触っていいの?」

「はい。ここならマユの魔精力よりこの場の魔精力の方が強いですから、問題ないでしょう」

「……」

「さ、マユ」


 私があまりにもガッカリしてたから、セルフィスなりに考えてこの場を用意してくれたのか。

 でも、何かちょっとムカつくわね。私ばっかりが望んでいたみたいじゃない。ダンスは本来、男性が女性を誘うものよ。


「仮にも公爵令嬢にそんな誘い方? あまりにも失礼ではありませんこと?」


 扇を広げぷいっと顔を背けると、ブフッという空気の漏れた音が聞こえた。随分らしくない音を出すわね、と思いながらそっと盗み見ると、セルフィスが右手で口元を覆って珍しくその金色の瞳をぐにゃりと曲げている。

 いつも不敵な笑みを浮かべていることが多いから、こんなに全開に近い笑顔は初めてかもしれない。

 キュウン、という変な音が私の左胸の奥から聞こえてきた。


「……何よぉ」


 胸の音を誤魔化すように横目で睨みつけると、セルフィスは「失礼」と呟いてひどく真面目な顔をした。

 緑の絨毯の上に跪き、右手を私に向けて差し出す。


「わたしと踊っていただけますか? マリアンセイユ」


 月の光を浴びて跪くセルフィスは、さきほどまで見ていた男性たちの誰よりも輝いていて、カッコ良かった。いつもの執事服なのに。


 急に心臓の音が跳ね上がった気がして、動悸よ治まれ!と念じる。精一杯平静を装い、右手をそっとセルフィスの手の平の上に乗せた。

 想像より、ずっと温かい手の平だった。


「よろしくってよ」


 すまして答えると、セルフィスの金色の瞳が優しい弧を描く。

 私の手を握り返すと、ゆっくりと立ち上がりそっと私を抱き寄せた。



   * * *



 セルフィスと踊っていた間は何だかふわふわしていて、記憶が曖昧だった。何だか現実味が感じられなかった、というか。


「月夜に相応しい装いですね。ディオン殿下に合わせたのですか?」

とセルフィスに聞かれて、

「そうなの。でも、セルフィスに合わせるならアクセサリーはゴールドだったわね」

と返したことは覚えている。


 鮮明に脳裏に蘇るのは、セルフィスの肩越しに見えた、上弦の月。

 大きな満月に比べれば、半分しかないはずの光。

 だけど、今まで見た夜空の中で、一番美しい銀色を纏っていた。

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