第2話 何、この生き物!?

 いつもの制服に身を包み、目の前に広がる緑の木々で覆われた小高い山を見回す。

 ここは、魔導士学院が所有している植物園。自然を生かした作りになっていて一見するとただの森なんだけど、ところどころに茶色い木の囲いが見えている。


 今日は、『薬学』の授業の一環で行われる『薬草学実習』。学院を出て、実際に自生している薬草を観察し、見分け、採取するという試みになっている。今回は聖者学院と魔導士学院の合同授業となっていて、貴族だけではなく魔導士学院の平民も参加するようだ。


 当然、上流貴族の方々は参加しません。野山を歩き回って手を汚して薬草を採取するなんてやる訳がない。

 まぁ、そんな物好きは私ぐらいよね。


 だけど、薬草についてはちょっと自信があるの。パルシアンにいたときにアイーダ女史が教えてくれたし、ヘレンも森から採取した薬草を見せて見分け方を説明してくれたりしたわ。

 それに、こんな機会でもなければ自然の中を自由に歩き回るなんてできないもの!


「……マリアンセイユ様、本当に参加されるのでしょうか?」


 昭和の男子学生が斜め掛けしていたような生成りの帆布カバンを持ったアインスが、心配そうに私を見下ろしている。


 どうやら一カ月経って、近衛武官の当番も一周したらしい。今日の当番は、初日の大男さん、アインスだった。


 この一カ月、それぞれのお当番が

「ここからロワーネの谷が少し見えますよ」

「こちらにこの時期にしか咲かない花があるのです」

といろいろ連れて行ってくれた。

 私の気分が晴れるようにと、それぞれが考えてくれたらしい。

 最初に担当したアインス・ツヴァイ・ドライの三名は彼らの上官だそうで、私を飽きさせることのないように、と申し付かったのだそうだ。


 最初は「ウロウロするな」と注意したツヴァイだけど、私の状況が分かって、いろいろな場所に出入りできるようにと、あちらこちら手配をしてくれたらしい。

 ちなみに、その方々でアインスとドライの姿を見かけることが何回かあった。

 だからアインスが護衛に付くのは一カ月ぶりだったけど、以前ほど緊張はしていないようだ。


 なお、帆布カバンは私の物で、薬草学のテキストの他に水筒や折り畳み式の杖、ヘレンが持たせてくれたパンやお菓子が入ってるの。何だか遠足みたいね。

 肩から下げてたら

「そのような荷物はわたしが持ちます!」

と取り上げられてしまったわ。アインスが文字通りカバン持ちになっちゃったんだけど、いいのかしら?


「勿論ですわ。靴も今日のために厚底の物を履いてきましたし、フォンティーヌの森を散策していましたから、体力には自信がありますの」

「ずっと横になられていたのでは……?」

「えっ、あ、目覚めてからは毎日鍛えておりましたし、週末ごとにパルシアンに帰っておりますから」


 あ、危ない、危ない。浮かれてて設定を忘れるところだったわ。

 とは言え、病弱というイメージは払拭しないといけないし、加減が難しいわね。


「アインスは、薬草には詳しいんですの?」

「一通りは学んでおります。滅多にありませんが、『司法部』は聖女騎士団と協力して山地や森林の奥へ魔物討伐に向かうこともございますから」

「そうなんですの」

「ですから……」

「駄目ですわ! 絶対にわたくしに教えたりしないでくださいね!」


 慌てて遮ると、どうやら「協力します」と言いかけたらしいアインスがギョッとしたように身を反らせる。


「……ですが」

「わたくしは、自分の学んだことをちゃんと自分の目で確かめたいんですの」

「それは立派な志だとは思いますが」

「ですから、リアクションも駄目ですよ。しいっ、でお願いいたします」


 「ね?」と小首を傾げ、左手の人差し指を唇に当てて、アインスを見上げる。

 アインスはむぐぐ、と唇を歪ませたあと

「わ、わ、わかりました……」

と絞り出すような声を出し、目を閉じてふるふる震えていた。


 どうしたのかしら。何だかすごい我慢をアインスに強いたみたいだわ。

 たまにいるわよね、とっくに卒業したのにしょっちゅう母校に帰ってきて指導したがる先輩が。そんなに私に薬草について教えたかったのかしら。


 私たちがそんなやりとりをしている間に、植物園には学院の生徒が集まってきていた。下流貴族の子息令嬢と魔導士学院の魔導士の卵たち。


 ……その中には、このゲームの主人公、ミーア・レグナンドもいた。



   * * *



「あ、あれ、そうかしら!」

「ちょ、マリアンセイユ様、急に走らないでください!」


 植物園は奥の方に行くほど、より自然のまま樹々や草木が保護されており、それだけ道も険しくなっている。

 この世界で『薬草』と呼ばれる草々は、そのような草木の中に紛れるようにして生えていることが多い。単独では繁殖できず、いろいろな樹や草木の要素を吸収して特殊な効能を持つようになる。いわゆる突然変異によって生まれるのが、この世界での『薬草』なのだ。


「うーん、少し違うわね。葉脈がやや赤いもの」


 手にした薬草学の本と目の前の葉を見比べ、溜息をつく。


「もう5種も見つけたじゃないですか。確か課題は3種持ち帰る事、でしたよね?」

「ええ」

「じゃあ、お帰りに……」

「嫌ですわ。せっかくの機会ですのに。まだお昼にもなっておりませんのよ」


 空の高い位置にある太陽を指差し、アインスに反論する。


「ヘレンが持たせてくれたランチもまだ食べていませんわ」

「それではそろそろ休憩にいたしましょう。確かこの近くに泉が……」

『キャ――ッ!!』


 樹々の合間を縫って、若い女性の叫び声が聞こえてくる。続けてバキッ、ズザザーッという、枝が折れたような音と、何かが滑り落ちるような音。


「誰かがどこかに落ちたわ!」


 反射的に、声のする方に走り出す。アインスの「お待ちください!」という声が背中から聞こえてくるが、そんなことに構っていられない。


 こっちの方だったかしら、と思いながら樹々を抜けると、何かがビョーンと私に向かって飛んできた。


「ひゃあっ!」


 びっくりして後ろに飛び跳ねてしまい、ドスンと尻餅をつく。


「痛、イタタタ……」

「マリアンセイユ様! ……うわあ!」


 追いかけてきてくれたアインスが私を抱き起こそうとして、またパッと手を離してしまう。おかげで再びドテッと尻餅をついてしまった。

 ちょっと、何してくれてんのよ、と声を上げそうになって、ふと自分の胸元に視線を落とした。


 手の平に乗るぐらいの大きさの水色のカエルが、私のおっぱいの真ん中にペタッと張り付いている。


「ひああ!」

「お、お取りします!」


 と言って私のおっぱいに手を出しかけたアインスが

「え、あ、いや、でも……」

と急にビクッと手を引っ込める。

 そうよね、近衛武官が貴族令嬢の胸元をまさぐる訳にはいかないわよね。制服の上からとは言え。


「えーと……大丈夫よ。自分で取れ……へっ?」


 水色のカエルは『クォン』と小さく鳴いてぽろぽろと涙をこぼしている。スリスリとおっぱいに頬ずりしていた。


 ……カエルの鳴き声ってこんなのだったっけ。それに涙なんて出したかしら。

 本当に、色鉛筆のような綺麗な水色。大きさは5センチくらいで身体の表面はつるんとしている。不思議と気味悪さは感じないのだけど……。


 右手でカエルを掴み、みょーんと引っ張ってみたけれど、両手が胸元にぴったりとくっついて離れない。カエルの大きな瞳からこぼれた涙が、制服に小さな水玉の染みを作っている。


 どうしよう……。

 いえ、そんなことより! 忘れてた、女の悲鳴!


「アインス、私のことはいいからさっきの悲鳴の主を探してきて!」

「ですが……」

「私は大丈夫、ちゃんとここにいるわ。その間にこのカエルをどうにかするから。ね、早く!」

「は、はい!」


 邪魔だろうから自分で持つわ、とアインスから鞄を受け取る。アインスは「では!」と叫ぶと、草木をかき分け、さらに奥へと走っていった。

 それを見送ると、私はまじまじと胸元のカエルを見下ろした。


『クォン……』

「えーと、どうしたの?」

『クォ、クォン……』

「……」


 駄目だわ、ハティ達みたいに喋らないし、ラグナと違って明確な意思が伝わってこない。それにおっぱいから引き離そうとするとポロポロ涙をこぼすので、何だか可哀想になってきた。

 これはたぶん、懐かれたのよね。魔精力の相性が良かったんだろう。

 おっぱいにへばりついているのは……そうだ、そう言えばスコルが「この辺からもわーんと」とか何とか言ってたっけ。


「うーん、連れて帰るしかないのかしら……」


 こういう自然界から生き物を持って帰るって、生態系が崩れるとかよく言うけど。

 カエル一匹なら大丈夫かなあ。ところでカエルって両生類じゃなかったかしら。水は必要ないのかな?


「ねぇ、その場所はちょっと困るのよね。こっちじゃ駄目?」


 カバンから水筒を出し、蓋を開ける。魔法瓶になっていてヘレンが用意してくれた熱い紅茶が入っていたのだけど、さすがにこの中は無理よね。

 ごめんねヘレン、紅茶を無駄にしちゃってごめんなさい、と謝りながら中身を空け、水魔法で水を注ぐ。


「ね、こっち……」

『クゥ!』


 水色のカエルは一声鳴くと、私のおっぱいを踏み台にしてぴょーんと飛び上がり、ぽちゃんと水筒の中に入った。そっと覗き込むと、ぱちゃぱちゃと機嫌良さそうに泳いでいる。

 やっぱり水は必要だったらしい。おとなしくしててね、と話しかけ蓋を閉める。


「マリアンセイユ様、ひとまず戻りましょう!」

「アインス!? どうだったの!?」


 ガサッと草をかき分け、アインスが葉っぱや小枝を体中にまとわりつかせながら戻ってきた。


「ミーア・レグナンド様が落とし穴のようなものに落ちていました」

「落とし穴? こんなところに?」

「はい」

「怪我は?」

「足をくじかれたそうですが、頭などは打っておらずしっかり受け答えをしておられました。大丈夫でしょう」

「そう……」

「ミーア様を引き上げるには道具と人手が必要です。学院まで戻りましょう」

「わかりましたわ」


 どうやらゲーム本編のミーアの何らかのイベントらしい。

 落ちたのがミーアなら、これ以上酷い事にはならないはずよね。主人公だもの。

 無事が確かめられたのなら、助ける手段を確保するのが先だわ。私が駆け寄って声をかけたところで、何にもならないんだから。



 その後、アインスと共に植物園の入口まで戻った私は学院の先生に報告した後、すぐに家に帰った。

 事態の収拾はアインスが手筈を整えてくれた……のだけど、次の日になると


「マリアンセイユ・フォンティーヌがミーア・レグナンドを見捨てた」

「まさか落とし穴に落とした本人なんじゃ」


みたいな噂が下流貴族の間で広まっていて、またもや落ち込む羽目になるのだった。

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