第6話 もっと知りたい、この世界のこと

 項垂れるスコルはとりあえず置いといて、とヘレンを見る。

 恐怖の色は消え、だいぶん落ち着きを取り戻したようだった。身体の震えもいつの間にか治まっている。


 私とスコルのやり取りを見て「とりあえず危険はないのかな」と思えたらしい。おずおずと

「あ、あの……本当に食べたりしませんか?」

とスコルに聞いた。


 いやそれ、直に聞いていいのかな。ヘレンって時々妙な開き直りを見せるから怖いわ。

 さすがにヒヤッとして慌てて笑顔を作る。


「スコルはそんなことしないわよ。ねっ」

『うーん、食べるにはデカすぎるかな』

「余計なこと……って、小さいと食べるの!?」

『ちょっとしたジョークなのに』

「時と場所をわきまえろ!」

『けっ』


 クワッと大きく裂けた口を開き、プイッと顔を横に向ける。

 何やら不満はあるようだけど冗談が出るぐらいだから、私達を襲う気もヘレンを脅かす気もないことはわかる。


「分かりました……と、とにかく片づけます」


 ヘレンは辺りに散らばったお茶道具に気づき、慌てて一つずつ拾い始めた。幸い床は絨毯が敷かれているので、割れた器は一つもない。

 さっさとトレイに載せると、すっくと立ち上がる。

 うん、大丈夫。もういつものヘレンだ。


「すみません、淹れ直してきますね」

「ヘレンごめんね、驚かせて。……あ、スコルもお茶って飲む? 猫舌……違った、狼舌?」

『お前、本当に自由だな!』

「それが最大の取り柄よ。で、お茶は飲むの?」

『……熱いのは飲まない』

「そっか。じゃ、水を頼んでいいかな、ヘレン」

「かしこまりました。飲みやすいようにスープ皿を用意いたしますね」

「うん、お願いね」

「はい」


 ニコッと笑ったあと、スコルにも少し会釈をし、ヘレンが奥の扉へと消えていった。バルコニーからその後ろ姿を見送ったスコルが

『あのメイドもメイドだな』

と呆れたような声を漏らす。


『普通はもう少しパニックになるぞ』

「そこは私との信頼関係よ」

『へー』


 おざなりな返事をしながら、半目で私を見つめる。

「何よ」

と聞いてみたけどスコルは「別に」とぶっきらぼうに言っただけだった。やがて、がっくりと項垂れる。


『まさかオレまで食らうとはなぁ……』

「ちょっと? ブツブツ言ってちゃ分かんないわよ」

『まぁ、アイツもオレも認めちまったってことだろうなぁ』

「だから何が? ちゃんとこっちを向いて話しなさいよ」


 どいつもこいつも意味不明なことしか言わないわね。

 でもまぁ、これでどうにか落ち着いて話はできそうだし。せっかくだから色々なことを……。

 あ、魔界や魔獣については深く聞いちゃダメなんだっけ。うーん、どうしよう?


「あのね、私のところには魔獣の本は一冊も無くて」

『本?』

「そう。魔獣のことを知りたかったんだけどね、何も調べられなかった。どうやら禁句になってるみたいなの、魔獣のことは。中途半端に知識を入れると危ないとか何とか……」


 スコルに言ってもどうしようもないけど、何となく愚痴ってしまう。

 結局どうすればいいのかなあ。

 

『あー、危ないってのは何か分かる』

「え?」


 スコルはスタッと椅子の上に昇ると、テーブルの上のお菓子を覗き込んだ。フンフンと匂いを嗅いでいる。どうやら気に入ったらしい。


『お菓子、もっとくれ』

「その前に、今何か言いかけたでしょ? 何が危ないの?」


 どうせなら交渉に使わせてもらうわよ。どうやら狼の手じゃ、包んである包装紙までは剥がせないみたいだし。


『あんた……マユ、だっけ』

「そうよ」

『魔物や魔獣からしたら、マユは最高のご馳走なんだよな』

「……へっ!?」


 何やらとんでもなく不吉なことを言われ、ビシッと背筋が凍る。

 ご馳走……ご馳走!?


「何それ!」

『魔物がより強くなるためには体内に魔精力を取り込むのが一番。だから魔導士は究極のレベルアップアイテム』

「は……」

『マユは魔精力がとんでもない。多分、真っ先に狙われる』

「げげっ」

『だけど魔物すら癒されるかもしれない。そのおっぱいに』

「……は?」


 おいおい、急に何を言い出した?

 真面目に聞いてたのに、とこっちが半目になってしまう。


『お菓子、早く早く』

「茶化さないでちゃんと教えてくれたらね」

『ほんとなのに。そこから、こう、もわーんと』

「何かが漂ってるの?」

『そうそう。こう何か……』


 と言いつつこっちに身を乗り出してきたので、紙を剥いたマフィンをバコッと口の中に突っ込んだ。

 スコルはあぐ、と咥えるとモグモグと満足そうに口を動かしている。心なしか笑顔のような気もする。


『だから何か危ない。アンバランス。やけに無防備だし』

「無防備……かなあ」

『じゃなきゃアイツを助けたりしない』

「アイツ……ハティのことね」


 そこでヘレンがお茶を持って現れたので、それ以上詳しいことは聞けなくなってしまった。

 さすがに魔獣と仲良くなろうとしている、とわかったら反対されそうだし。

 だからスコルのことも、魔獣とは言わず『スーパー狼』という表現に留めたんだから。


 それからは、二人と一匹の不思議なお茶会が始まった。

 スコルにあまり突っ込んだことは聞けないので、主に自分たちのことを話す。

 黒の家リーベン・ヴィラは、元々はオルヴィア様の家だったこと、そこに眠りについてしまったマリアンセイユが運び込まれたこと。二年前に目覚めたけど長い間外には出れなくて、ある程度自由に出れるようになったのはここ最近だということ。


 フォンティーヌ領を見守っていたのは本当のようで、スコルはそのあたりの経緯は勿論、オルヴィア様が朝駆けしていたことも知っていた。会ったことはないらしいけど。


『なーんの腹の足しにもならねぇけど、うめぇな、コレ』


 椅子の上にちょこんと座り、スコルがスコーンをハグハグしながら呟く。褒められて嬉しいのか、ヘレンが

「こちらもどうぞ」

とスープ皿に水を入れ、すっと差し出した。スコルが『うん』と素直に頷き、ぴちゃぴちゃと美味しそうに舐め始める。

 その様子を、ヘレンは微笑みを浮かべて見守っていた。もう恐怖心はないようだ。


 フォンティーヌ領を見守っている狼と聞いたから敬意を払ってるのか、それとも行儀よく食べている様が可愛いと思ってるのか、どっちだろう。

 まぁどっちにしても、ヘレンが慣れてくれたのは良かったけど。これから何かと協力してもらえそうだし。


「やっぱり足しにはならないのね」

『そりゃな。生き物から魔精力エネルギーをもらわないことには』

「なるほどね……」

『ふいー、ごちそうさま。オレ、帰る』


 満足したのか、けぷーとやや甘い息を吐きながらスコルが律義にお礼を言った。

 スタンと椅子からバルコニーの床に飛び降りる。


「まだあるから、ハティにお土産に持っていく?」


 いくつか手に取りながら、椅子から立ち上がる。

 やっぱり餌付けって効果的ね、と思いながら聞いてみると、スコルはぷるぷると首を横に振った。


『無理。オレ、アイツに会えないから』

「え?」


 口の周りをぺろりと舌で舐めながら、スコルがふう、と吐息を漏らす。

 何やら複雑な事情がある気がして、お菓子を手にしたまましゃがみ込んだ。スコルと視線が合う。


「会えないって、どうして?」

“オレは太陽が天にあるとき、アイツは月が天にあるときしかコッチに来れない”


 急に人語ではなく思念に切り替わった。思わずギョッとする。


「え……」

“アッチなら会えるけど、全部ダメになっちゃうから”


 コッチというのは人間界のことで、アッチというのは魔界のことよね。

 で、魔界では人間界の食べ物はダメになってしまう、と。


 さっき私が言った『魔獣は禁句』って言葉から、自分が魔獣だということも魔界についてもヘレンには聞かせられないと思ったんだろう。

 やっぱりスコルは賢い。小さくてもれっきとした『魔獣』、高次元の存在なんだと知る。


「じゃあ、スコル達はコッチで食べ物を摂取してるの?」

『そりゃそうだろ』


 スコルが呆れたような声を漏らした。


“オレたちはもともと、人間界コッチで生まれたんだぞ”


 だから野生のウサギやイノシシを食べてるって言っただろうが、と言われて、ハッと胸を突かれた。


 絵本で語られていたこと、セルフィスから聞いた話から、私は漠然と『魔獣の本来の棲み処は魔界だ』と思い込んでいた。魔王の命令で、魔界に引き上げたんだって。そこがもともとの場所だから、と。


 でも、よく考えれば完全に思い違いだ。

 だって、地上の生物が魔界の風で歪められたのが、魔物。魔獣は魔物が魔精力を取り込んで進化したもの。

 すべてはもともと、この世界で生まれ育った存在。


 魔王と聖女の約定で人間を蹂躙しないと誓っただけで、ずっと魔界に引っ込んでる訳じゃないんだ。人間が来ないような奥地でひっそりと暮らしている。

 恐らく、人間たちの行動をずっと監視している……。


 むしろ、彼らが棲む場所を奪ったのは人間ということになるんじゃ? 魔物が人間を襲うようにできているのも、人間を恨んでいるから?


『変な顔してんなっ!』


 急にドーンとスコルが私のところに突っ込んできた。しゃがみ込んで視線を合わせていたものだから、思わず尻餅をついてしまう。

 スコルは私の胸元にバフッと顔をうずめるとフンフンと匂いを嗅いだ。


『んー、おっぱいだけは最高……』

「やめなさいっ」


 ゴン、と頭にゲンコツをお見舞いする。スコルはキャンッと小さく叫んだものの、離れない。恨みがましい目を向けて私を見上げる。


『ここに詰まってる魔精力もわーんだけはピカイチだって褒めてんだぞー』

「それ褒めてないから。離れなさいっての!」


 ドーンと突き飛ばすと、スコルはくるりと身をひるがえし、バルコニーから草が散らかっている庭にシュタッと飛び降りた。


『アイツが来たらお菓子食べさせてやってくれよな。またなー!』


 元気にそう叫ぶと、スコルはダダーッと走り、私の身長ぐらいの塀をひらりと乗り越え、森の奥に消えていった。


「……フォンティーヌの森の護り神って、顔は怖いですが可愛らしいですね……」


 どうやらヘレンの中ではそういうことになったらしい。まぁ、それは良かったんだけど。


 私はやっぱり、色々なことを知らなすぎる。

 八大魔獣はきっと、人間たちを見つめている。人間が必要以上に大地を荒らしていないか、辛抱強く見張り続けている。

 そして、その我慢が限界に達する日も、そう遠くはない……。


 魔王が人間界を蹂躙する。それを止めるのは私なのかもしれない、と漠然と思った。それが、このゲームにおけるマリアンセイユの役割じゃないかと。


 だけど、今のままじゃ駄目だ。魔王に目をつけられる訳にはいかないけど、この灰色の小さい魔獣たちを突破口にするしかないわね。

 魔精力はスゴイ、と魔獣すら認めるのに私の魔法が全く成長しない理由。

 彼らと接することから、解る気がするから。

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