第5話 狼くんを助けなきゃ!

 昇り始めた太陽の光が強くなり、沈んでいこうとしている月の光が弱くなる。

 灰色の狼はプイッと顔をそむけて自分の毛皮の中に顔を突っ込み、元の毛玉状態に戻った。

 森に棲む狼が井戸の水を飲もうとして落ちちゃった、のかな。


「あの……キミ、足を怪我してるの?」

“……”


 ピクリと動いたもの、狼は何も言わない。


「どうしよう。結構深いよね、この井戸……」


 風の魔法で持ち上げられるだろうか。だけど直径が1メートルほどしかない。中で竜巻とか起こして余計に傷つけてしまいそうだ。


「そうだ! 井戸の水が涸れてるなら満たせばいいのか」

“……?”


 毛玉が大きく動き、狼の耳が現れた。

 いったい何をするつもりだ、というような思念が伝わる。


「水を入れれば、浮き上がってくるでしょう?」

“……”

「ひょっとして泳げない?」

『……アシ』


 今度は思念ではなく、はっきりとした言葉が聞こえた。

 そうか。泳げるけど足を怪我してるから動かせない、ということね。


「わかった。ちょっと待ってて!」


 私は再び駆け出すと、森の外に出てラグナの元へと走った。私の姿を見つけたラグナが一瞬嬉しそうに嘶いたものの、急にビクッとして後ずさる。

 あの狼が発していた魔精力が私の身体に纏わりついているのかも。ラグナはあの狼の存在を恐れて進もうとしなかったのね。


「大丈夫、森の狼よ。危害を加える感じじゃないから安心して」

「ブルル……」

「それよりラグナ、鞍を持っていくからジッとしててね」


 鞍は革で出来ているし、大きさの割に軽い。上半身を乗っけるようにすれば、きっと浮き輪代わりになるはず。

 急いで鞍を取り外すと、私は再び井戸へと戻った。覗き込むと、灰色の狼は相変わらず顔を隠したままだ。


「鞍を落とすよ? 避けてね!」


 井戸から身を乗り出して両手で鞍を持ち、声をかける。私のやろうとしていることがわかったらしく、狼は井戸の中で片側に身を寄せた。のっそりと顔を上げる。

 パッと手を離すと、ひゅうぅと音を立てて鞍が落ちていった。上半身を起こした狼がバグッと落ちてきた鞍を咥える。


「ナイスキャッチ!」

“……”


 まんざらでもない気配が伝わって来た。ちょっと可愛い。


「じゃ、行くね」


 呼吸を整える。額の汗を拭い、その手を掲げて意識を集中させる。


「――万物の命の源。どこまでも清く、どこまでも透き通る……水の流れ」


 狼を傷つけないように、水量には気を付けないといけない。

 慎重に慎重を期して、正式詠唱を吟じる。


「その導きたるは清廉なる女神の涙。たゆたう魔の精なる力よ、盟約の言の葉により我の下に現れよ。我に集いて力となれ。――“マ=ゼップ=セィア=ネィロ”!」


 井戸に翳した私の両手から、噴水のように水が溢れ出る。狼の身体に直接当たらないように気を付けながら、石造りの井戸に水を貯めていく。

 そのとき、井戸の奥から何かが唸るような音が轟いた。ひょっとしたら私の水が呼び水となり、井戸に水を蘇らせたのかも。水位がグンと上がる。


 狼は鞍の上に上半身を預け、やや不安そうにキョロキョロと辺りを見回していた。だけどバランスは上手く取れているようだ。水の上昇に合わせて鞍に乗った狼も上がってくる。


「大丈夫? 冷たくない?」

『ウン』


 声をかけると、狼が素直に返事をした。さっきまで警戒心バリバリだったけど、助けようとしている私の気持ちが伝わったようだ。

 少しホッとして、改めて狼の姿をまじまじと見つめる。上昇してくるにつれて、だいぶんはっきりと見えてきた。


 大きさは……そうだね、中型犬よりは大きいかな。でも狼にしては小さい気がするから、まだ子供なのかもしれない。そういえば声も、小さな男の子みたいな高めの声だったしね。

 大きく尖った耳は、よく見ると左側の脇に銀色の輪っかのようなピアスが3つ付けられている。森に棲んでいる野生の狼かと思ってたけど、ひょっとして誰かに飼われているんだろうか。


 碧色の瞳がじっと私を見上げている。「大丈夫だよ」と声をかけると、灰色の狼は『キュウ』と一声鳴いて、おとなしく鞍に掴まっていた。


「……よし!」


 手を伸ばせば届く距離まで浮き上がってきたので、水を止めて狼の身体を抱き上げる。思ったよりずっと大きくて重くて、ちょっと驚いた。

 一方、狼はかなり驚いたようで

『ナニ!?』

と声を上げたけど、構わず引き上げる。

 井戸のそばの地面に下ろしてあげると、ビシャビシャの狼はドテッとその場に寝そべった。確かに左足が、おかしな方向に曲がっている。


「本当だ、ひどい怪我だね」

『……ウン』

「とりあえず毛を乾かそうか」


 今度は風の魔法を出して狼に吹きかける。気持ちいいのか、碧色の瞳がやや細くなる。


「ごめんね、私は治癒の魔法は使えなくて治してあげられないの。歩けそう?」

『……スナ』

「すな?」

『ツチ、スナ』


 狼が不満そうに地面を前脚で掻いた。

 土と砂が欲しいということなのかな。この辺りは井戸を作るためにしっかりと大地が固められたらしく、うまく掘れないみたいだ。大きな石も多いしね。


「えーと、土と砂が欲しいの?」

『ウン』

「それなら出せるけど……」


 狼に吹きかけていた風を止める。だいぶん乾いたようで、灰色の毛がフサフサと風の動きに合わせて靡いていた。顔の周りの毛もふっくらしていて可愛らしい。

 モフモフの魅力にクラリとして抱きつきたくなったけど、油断は禁物。野生化した狼に襲われたら大変よね。だいぶん、慣れてきた気はするんだけど。


「どこまでも強くどこまでも育む大地の恵み。我に集いて、力となれ。“シィ=ディカ=トォプ=ヒィア”!」


 漠然と花壇の土や公園の砂場ぐらいのイメージを抱きながら、土の簡易詠唱を唱える。

 私の両手から、茶色い土と黄色い砂が噴き出した。足元の地面に小さな山を作っていく。

 いったいこの土や砂をどうするんだろう、と思っていると、狼は私の手から噴き出している土のシャワーの中に体を突っ込んだ。


「ちょっと、埋まっちゃうわよ!」

『イイ』

「……いいんだ」


 よく分からないけど、埋まりたいらしい。

 せっかく綺麗にしたのにな、と思いながら黙って成り行きを見守る。

 うずたかい円錐形の土砂の塔ができ、狼の尻尾以外が見えなくなったところで魔法を止めた。

 よく見ると、尻尾がパタパタと上下に揺れている。本当に喜んでいるようだ。


 狼はそのまま、土の中にじっと隠れていた。その間、私はそばに座ってじーっと眺めていた。

 だってやっぱり、このまま放置する訳にいかないし。


 尻尾がダランとし、狼はピクリとも動かない。

 たっぷり二十分ぐらい経ち、そろそろ声をかけてみようかな……と思ったところで、狼がズボッと顔だけ外に出した。


「あ、出てきた」

『……マダ、イタ』


 少し驚いたような声。どうやら土の中に潜っている間に、私のことはすっかり忘れていたようだ。


「そりゃいるわよ。心配だもん」


 まったく勝手なもんよね、とやや憤慨しながら答えると、狼の耳がピンと立った。


『ツキ、シズム』

「へ?」

『カエル』


 狼が大きくブルブルと身体を動かしたせいで、土の塔が崩れ落ちる。

 そんなに動いて大丈夫なのかと思いながら左足を見ると、やや引きずってはいるもののしっかりと大地を踏みしめていた。


「ちょっと狼くん、足は……」

『イイ』

「治ったの? 土と砂で?」

『ウン』

「へぇ……」

“ハト、カエル”

「え?」


 灰色の狼はタタタッと森の奥へと駆け出して行った。本当に左足は治ったようで、あっという間に姿が見えなくなった。

 言葉が通じるんだからお礼ぐらい言っていきなさいよ、とは思ったものの、森の狼が警戒を解いてくれただけでも良しとしないと駄目か。


 それにしても、こっちの狼って大地の治療で怪我を治せるんだ。

 いや、でも、あの狼が特別なのかも。とんでもない魔精力を持ってたしね。

 でも、そんなすごい狼がどうして井戸の中に落ちたんだか……。


 ふと、自分の身体を見回す。

 あの狼の魔精力に最初は気圧されたけど、途中からは全く感じなかった。上手くさばけたというか、私の魔精力と溶け合ったというか。


 そうか、森の狼ともぶつかることなく、自らの魔精力と相手の魔精力を交わらせる。これが自然に溶け込むということで、ひいては真の魔導士に繋がるのかもしれないな。


 少しだけ、あるべき姿が見えた気がする。

 ありがとうね、灰色の狼くん……と、とっくに姿が見えなくなった森の奥に向かい心の中で呟いた。

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