第8話 さすが二次元!

 私の黒い勉強机の隣には、首から太ももまでの女性の人型が置いてある。

 細くすっと伸びた首からやや斜め下に流れる肩。ボールを二つに割ったようなおっぱいは重力に負けずその綺麗な半球型を保っている。

 こんな大きな乳房をよく支えられるものだと驚くぐらい、アンダーから腰にかけては細い。腰から下は逆ハート形の丸みのあるお尻。大きすぎず小さすぎず、キュッと上に上がっている。


 こうしてみると、やっぱり二次元すごいわ、という感想になるわね。ヘレンがはぁはぁするのもちょっと分かるのだけど、さすがに自分の裸が飾られてるのは恥ずかしい。


 そう、これは私の型をとったトルソー。なぜこんなものが私の部屋にあるかというと。

 ザイラ様仕切りによる『革でブラジャーを作ろう』プロジェクトが始動したからなのよ。


 私の話を聞いたガンディス子爵は、思い出に浸る間もなく早々に帰っていった。だいぶん打ち解けたはずなのにやっぱり変なことを言っちゃったかな、と心配になったんだけど。

 翌日、ザイラ様に手配された人たちが五、六人、ぞろぞろとパルシアンにやってきたの。

 そして

「こちらをご覧ください」

とアイーダ女史経由であの赤い封蝋が施された白い封筒を渡された。


『日常から胸を補正する下着が作ることができれば、貴族令嬢たちも喜んで飛びつきます。聖女騎士団の女剣士や魔導士も、普段から鎧を身につけている訳ではありません。胸の動きを押さえる下着は、平民にも需要があるはずです』


 ザイラ様からの手紙にはこんな文章があり、要するに

「マリアンセイユをモデルにブラジャーの開発をさせて!」

というものだったのよ。


 つまり、胸をいかに豊かに素敵に見せるかということしか考えていなかった貴族にとっては、『押さえ込むでもなく盛り上げるでもなくおっぱいを型にはめる』というのは青天の霹靂というか、とんでもない発想だったよう。

 だからザイラ様的には、

「これは商売になるわ!」

と前のめりになったみたい。


 貴族間で話題に上れば、欲しがる人が絶対に増える。そして鎧のような全身オーダーメイドに比べ胸回りだけならいくぶん手軽だし、デザインに凝る必要もない。流れさえできてしまえば受注から発注までの期間も短く、莫大な利益を得られるだろう。しかもこれまでは「鎧には使えない」と隅に追いやられていた中途半端なサイズの革や薄くて柔らかい革が使えるのだから。


 ザイラ様はちょうどお子さんの授乳期が終わったところで、すっかり垂れてしまった自分のバストに悩んでいたらしい。その悩みを知っていたガンディス子爵は、直感的に

「すぐザイラに伝えよう!」

と思ったそうだ。


 そのガンディス子爵の直感は正しかったようで、ザイラ様の動きは早かった。そして翌日には彼女の指示のもと、私の型を取る職人たちがやってきた訳よ。

 まず私をモニターにしてブラジャーを作ってみて、それで上手くいったら本格的に事業としてやっていきたいんだって。


 粘土で私の型を取るとかでその職人たちにあれよあれよという間にひん剥かれ、クリームを塗られて粘土でガンガンに覆われて、大変だったわよ。

 脱がされたときに

「うおぉぉぉ……」

みたいなどよめきが走ったのも、本当に恥ずかしかった。


 その型は子爵家に運ばれ、今度はその型に新しい粘土を流し込み、私の裸を寸分の狂いもなく再現したトルソーの完成、って訳。


 でねー、そのトルソーをヘレンが猛烈に欲しがってねー。

 子爵側と私側、2体のトルソーが作られたのです。

「これがあれば、マユ様にいちいち着て頂かなくとも衣装をご用意できるようになります」

ともっともらしいことを言ってたけど。

 でも、何だかうっとりしながらトルソーを撫でくり回していたわよね。私の目は誤魔化せないわよ。


 さてそんなヘレンは、今夜はいません。

「マユ様のカラダについてはわたくしが正確にお伝えしなくては」

とロワネスクにあるガンディス子爵邸に行っちゃったの。

 多分、ブラジャープロジェクトも気になるのね。それに一流の仕立て屋さんと話ができるいい機会だし。

 あちらとしても、型だけじゃなくて私がどういう雰囲気の人間なのか詳しい話が聞きたかったみたい。身につけるものは、サイズさえ合っていればいいってものじゃないから。


 本当はマリアンセイユ様に会いに行きたいのだけど、そもそもガンディス子爵の訪問が内密だっただけにそういう訳にもいかない、と手紙には書いてあった。

 だから私が発案ということも伏せる形になってしまうけどいいかしら、その代わり公爵やガンディスにも言えないことがあったら何でも言ってちょうだい、力になるわ、と。


 何も見ずにモノだけ寄越してくるフォンティーヌ公爵に比べれば、ザイラ様の申し出は有難かった。

 私としても、目立つ動きをしてフォンティーヌ公爵の監視が厳しくなると困るし。


 何より、もうおっぱいを気にせずに乗馬ができるなら、こんなに嬉しいことはないわよ! しかも、私のために作られた世界で唯一のブラジャーだなんて! 贅沢すぎる!


 本当に嬉しかったから、アイーダ女史にもチェックしてもらいながら自ら手紙をしたため、ヘレンに託したの。


 そうそう。ヘレンと言えば、今日の朝、

「いいですか、マユ様。お風呂上がりには必ずお体のマッサージをなさってくださいね。脇からお胸の下、内側へと円を描くように、こう、こうですよ!」

とこのトルソーを使ってものすごく熱心に指導していったのよね。

 だから今、私の部屋にコレがあるのよ。


 いや、だけどコレ、子爵家に同じものがあるんでしょ。つまり、私の裸が……。

 プロジェクトには絶対に必要、というのは分かるけど、ものすごく恥ずかしいわよね。



「これは、また……」


 そんな声が背後から聞こえ、ギョッとして顔を上げる。

 いつの間に来たのか、セルフィスが珍しく非常に驚いた顔で私のトルソーを見つめていた。


「ぎ、ぎゃ――!」


 ソファから慌てて立ち上がり、バッとトルソーの前に立ちふさがる。両手を広げ、セルフィスからは見えないように。


「見た!? 見た!?」

「はい、しっかりと」

「やだ、もー!」


 泣きそう! そりゃ本物じゃないけどさ! 間違いなくこれは私のカラダだもん!

 しかしセルフィスはというと、驚きの表情はあっという間に消え、すでにいつもの意地悪そうな笑みだ。


「前は本物を見せつけてきたじゃないですか」

「た、谷間を見せるのとニセモノとはいえ全部を見せるのは全然違うのよ!」

「恥ずかしいですか?」

「あったり前でしょ!! ちょっと、後ろ向いててー!」


 セルフィスが右手を口元にあて含み笑いをしながらくるりと背中を向ける。

 私はクローゼットを開けると、普段着用のワンピースを取り出し、ズボッと頭から被せた。

 前開きのボタンを慌てて締める。

 さ、最初からこうしてればよかった……。何で自分の裸をずっと眺めてたんだろう。ものすごいナルシストみたいじゃない。


「もういいわよ」

「はい」


 セルフィスが私の方に向き直る。相変わらずイヤなニヤニヤ笑いをしてるのが腹立たしい。どうしてこう、一段上から見下ろしてくるんだか。


「だいたい、何でこんな夜に? いつも昼間に来るじゃない」

「ヘレンがいないと聞きまして」

「だから?」

「寂しがっているのではないかと」

「なっ……!」


 急に何を言うのよ! 今日のセルフィス、何かおかしい!

 ガガガッと頬が熱くなるのが分かる。


「寂しくないもん。仮に寂しいからって、セルフィスに何ができるのよ?」

「話し相手ぐらいはできますよ? 何でしたらヘレンの代わりにマッサージでも……」

「結構よ! それセクハラだから!」


 大声で言い返すと、セルフィスはまたもや「ふふふ」と余裕そうな笑い声を漏らした。

 何かムカつくので、

「セルフィスもやっぱり巨乳が好きなのね。へぇー」

と、意地悪な感じで言ってみる。

 だけどセルフィスはまたしても「ふっ」と鼻で笑い、意味ありげな視線を寄越した。


「身体など、単なる魂の器でしかありませんから」

「は?」


 また謎の返答をするわね。


「どういうこと?」

「その人を作るのはあくまで心、ということですよ」

「まぁ、それはそうだろうけどさ……」


 それって、あれかな。

 身体はマリアンセイユ・フォンティーヌだけど、入っているのはマユだから。

 だから、仕えていたマリアンセイユじゃないから全然違いますよ、と。

 外見だけ美しい淑女になったところで内面はダメダメですよ、と言いたいのかな。


「拗ねてます?」

「拗ねてないわよ!」

「乗りかかった船です。マユが立派な魔導士になるまで、ちゃんとお付き合いしますから」

「何か使命感にかられてって感じね」


 プイッと顔を横に向ける。

 今はリンドブロム大公の間諜だから、かな。嫌々って訳じゃなさそうだけどさ。


「……何か誤解しているようですが」


 イジメ過ぎた、とでも思ったのか、セルフィスの声がふっと和らいだ。

 ちらりと横目で見ると、セルフィスがビックリするぐらい熱のこもった顔をしていた。思わず息を呑む。


「わたしはわたしの意志でここに来ています。今わたしがここにいるのは……」


 右手をすっと、私の方へ差し出す。同時に右に傾けた首。右肩から流している黒髪が、サラリと音を立てた。


「他でもない、マユがいるからですよ」


 心臓がドキリと音を立てたけど、ガッと両腕を組み、平静を装う。

 だってそれって結局、私がマリアンセイユだからじゃない。


「じゃあせいぜい、役に立ってよね! 私は魔精力を完璧に使いこなして、立派な大公子妃になるんだから!」


 精一杯強がりを言う。

 するとセルフィスはちょっと目を見開いたあと

「……ええ」

と呟き、さっきとは違う人形のようなきれいな笑顔を浮かべた。

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