第2話 アイデンティティってやつに悩むわ
リンドブロム大公国は、聖女シュルヴィアフェスの子孫を大公とする国。
フォンティーヌ公爵家は、初代リンドブロム大公の弟が立てた家で、唯一公爵位を持つ家柄。
現在の当主はマリアンセイユの父・エリックで、後に六つ上の兄・ガンディスが引き継ぐ予定。
そして当のマリアンセイユはというと、当代大公の長子、大公世子ディオン・リンドブロムの婚約者。
「うーん……」
メイドのヘレンが話してくれたことをとりあえずメモした紙を見ながら、思わず唸ってしまう。
部屋の中央にある椅子に腰かけ、胸を丸テーブルに乗せ、頬杖をついて。
あのね、胸が大きいと肩が凝るのよ。こうしてテーブルに乗っけてると、すごく楽なのよね。
クラスの巨乳女子が机に胸を乗っけてたの、重かったからなんだね。男子への猛烈アピールかと思ってた。誤解しててごめんねー。
さてそんな私はというと、モスグリーン一色のウエスト部分に白い小花の刺繍が散らされた、さらっとした生地のオープンショルダーのAラインワンピースを着ている。スリットが入っているくるぶし丈だから、足を組み替えるたびにシャララ、シャララと軽やか音がする。
貴族のお姫さまと言えば、あのゴデゴデしたもんのすごい装飾にブワッと広がったドレスをイメージしてたんだけど。
でもって、腰とかギューッと締められて大変そう、とビビッてたんだけど、あれは社交用なんだって。家では意外にシンプルな服なのねー。
……と思っていたら、
「これはオルヴィア様の衣装でございます」
とヘレンが私に服を着せながら教えてくれた。
「オルヴィア様?」
「マリアンセイユ様の母上様で、マリアンセイユ様をお産みになってすぐに亡くなられました」
「そうなんだ……」
「……本当に何も、覚えておられないのですね」
ヘレンの眉が下がり、口の端が下がり、悲壮感に満ち溢れた表情になる。
そんな顔されても……。
本当に分からないのよ。マリアンなんちゃらとしての自分については、何一つ。
過去について覚えていることも、ちょっとだけ。
ゲーム好きの日本人女子高生で、名前は
で、最後の記憶はホームから線路に落ちる自分と迫る列車。
あのあと死んだのかなあ。そのときの記憶が無くてよかった。痛そうだし。
……ということは、これはゲーム世界に転生というやつなんだろうか。
え、ヨーロッパ風異世界じゃないのかって?
違う、違う。間違いなく、ゲーム世界だよ。
何でそう確信してるかっていうとね。
言葉が全部、日本語だから。それも現在の日本語。『マジ』とか『イケメン』とか『ワンチャン』とかそういうのも普通に通じちゃう。
本棚に置かれてる本の背表紙も全部日本語かアルファベットだし、衣装はこんな昔風のドレスなのに下着は現実世界のものと殆ど変わらないし(しょぼいけど)。
ちぐはぐなんだよね。
あと、ワキ毛ないしね! これ重要!
ゲームのキャラにはワキ毛がない! これ『あるある』だし!
さて、そんなつるつる美少女のマリアンはというと、三年前に倒れて今まで、ずっと眠ってたんだって。
こっちは、ひっつめ髪のオバさん……えーと、
とは言っても、すごく大雑把なんだけど。
三年前の十一歳のとき、マリアンセイユは
マリアンセイユに関する情報、たったこれだけ。
魔精力ってなあに?って聞いたら、アイーダ女史はかなり驚いていた。
「本当に何も解らないんですね」
って。ちょっと呆れたように。
だから、記憶は全く無いって言ったのに。でもきっと、魔法みたいなことなんだろうな。
次に、何で本邸から追いやられたの?……って聞いてみたけど、
「……マリアンセイユ様が落ち着かれたらお話しいたします」
と先送りにされてしまった。今度は、少し心苦しそうに。
私、落ち着いてるけどな。どこも痛くないし。
でも今日目覚めたばっかりだし仕方ないか、とおとなしく引き下がったんだけどね。
それよりも!
三年前に十一歳ということは、現在の私は十四歳。
十四歳でこのカラダ! サス、二次元!
……と、ガッツポーズしそうになったわ。アイーダ女史の前だったからおとなしくしてたけど。
ね? どう考えてもゲームっぽいでしょ?
現代日本と中世ヨーロッパ、それと魔法ファンタジーがごちゃまぜになったようなこの世界観。
それにね、何か聞いたことあるんだよなぁ、『リンドブロムの聖女』って響き。どこでだろう……。
それにしても、だ。
ゲーム世界に転生、みたいな話は小説とかでよくあるのは知ってたけどさ。
普通、自分がプレイしたことのある大好きなゲームの世界に来るもんじゃないの?
RPG専門の私としては、あの天空の城に行っちゃうやつとか、水の中でハンドボールしてたら魔物に襲われるやつとか、世界崩壊の絶望から立ち上がるやつとかさあ、ドキワクのファンタジー世界に行きたかったんだけど。
剣を振り回して、カッコよく必殺技出しちゃったりしてさ!
それが領土の端っこでただ眠っているだけの姫……。しかも大公子と結婚することも決まっちゃってるみたいだし。
何で全然知らないゲーム世界に来てるの? 何をしたらいいか全くわからないじゃない。チュートリアルぐらいちょうだいよ!
「随分、熱心に考えておられますね」
不意に、お腹に響く低いイイ声が聞こえてきて、私は
「ひゃっ!」
と声を上げて椅子から立ち上がった。
見ると、扉の前に黒い執事服を着た青年が立っている。
……あら、まあまあのイケメン……。
長い黒い髪は右の耳あたりで無造作にひとくくりにされ、そのまま右肩から前に垂らされている。顔はちょっと浅黒くて黒い眉に金色の瞳、鼻が高くて口が大きい。
えーと、扉があの高さだから……うーん、背はあまり高くないわね。170cmぐらいか。まぁ、普通?
身体はというと、やや細身。筋力はあまり無さそうね。顔が野性味があるから、もうちょっとマッチョじゃないと釣り合わないなぁ。
ゲーム世界の男性キャラっていうと、多種多様の華やかイケメンだらけなのよね。
だから、それからいくとモサッとしているというか、微妙。きっと、ヒーローポジではないな。
「あの、誰?」
「申し遅れました。わたしは、セルフィスと申します。マリアンセイユ様付きの執事です」
「へぇ……」
メイドのヘレンが眠り続けていた私の身の回りの世話をずっとしてくれていた、というのは聞いてたけど、執事も付いてたのか。
それにしても、長髪の執事って何か変ね? 執事ってこう、短髪のビシッとした髪型をしているものじゃない?
あるいは真っ白でお髭が立派なおじいちゃんとか。
この辺がやっぱり、ゲーム世界っぽいよねぇ……。
「それはそうと、だいぶんお悩みのようでしたが」
執事のセルフィスはゆっくりと私の方に歩み寄ってくる。
顔はニギヤカだけど、立ち振る舞いは静か。足音すらしないわ。
やっぱり訓練された身のこなしってやつなのかな。
「この世界で、何したらいいんだろと思って……」
「この世界?」
「え、あ、いや」
別世界から来たばっかりのホヤホヤです、と言ったところで信じてくれないだろうしなあ。
狂人扱いされて「もう少し寝とけ」ってベッドに括りつけられそう。
「私、ずっと眠ってたんでしょ? せっかく起きたんだし、何か役目があるんじゃないかと思って」
「大公子妃になるという立派なお役目がありますが」
「そういうんじゃなくってね」
それもさ、実はちょっと引っ掛かってるんだよね。
聖女の直系の子孫であるリンドブロム大公家は、代々各貴族の娘を順番に大公妃に迎え入れていたらしい。
この世界で言う『貴族』は、大公家から分かれた家、つまり血統的に必ず聖女に辿り着く家を指すの。
そのうちの八家が『上流貴族』で、優秀な魔導士も数多く輩出する家系。
原則としては、この『上流貴族八家』から順に娘を娶り、聖女の直系に血を返す的な……何て言うのかな、結束を強めるって言うのかな、そういうことをしていたみたい。
でー、次はなんちゃら伯爵家の女の子が婚約者になるはずだったんだけど、マリアンがすんごい力を持っていたもんだから、その子の順番を飛ばして大公世子ディオンの婚約者にしたんだって。
婚約者に決めたタイミング、いつだと思う? マリアンが眠りについたあとだよ?
でも、ひどくない? だってマリアンは眠ったままなんだよ? 一生そのままだと思われてたんだよ?
それってつまり、カラダ目当てってことでしょ?
寝ててもヤることはヤれるし子供さえ生んでくれれば、っていう、そういうことでしょ?
ヤダわー、何かヤダわー。
それにさ、順番を飛ばされた伯爵家の令嬢に恨まれそうだわよ。
「それはマリアンセイユが貰った役目で、私自身じゃないっていうか……」
「おや? まるでマリアンセイユ様ご自身ではないようなことを仰るんですね」
「え、いや……」
そう言えば、私は本当に転生したんだろうか。マリアンは前世の記憶がない私自身、という解釈で合ってるんだろうか。
もしかして、『転生』ではなく『転移』で、私の魂がこの身体を乗っ取ったんじゃ? 記憶が無いのは、マリアンの魂と一緒にいないからじゃない?
だとすると、どこにいっちゃったんだろ。私がどっかに弾き飛ばしちゃったのかなあ。探したら見つかるのかな……。
うーん、まぁいずれにしても、私はマリアンの人生を預かったんだもん。
いい加減なことはできないな。二人分、幸せにならないと。
「確かに、眠りにつく前のマリアンセイユ様は、お勉強をきちんとなさり、芸術にも造詣が深く、礼儀作法もしっかりと身につけた可愛らしい小さな淑女でした」
「そうなんだ……」
「記憶がないということは、もう別人と言ってもいいかもしれませんね」
「そうそう! そういうことなのよ!」
私が思いがけなく目覚めたせいで、屋敷内はだいぶん混乱してるらしいんだけど。
それで一つ、納得してもらおう!
「あなた執事でしょ。そういうことで屋敷中の人に周知徹底してもらえる?」
「わたしはマリアンセイユ様付きの執事であって、家令のような役目は担っておりません」
セルフィスが憮然とした様子で答える。
「現在、このフォンティーヌ領北西部の旧邸『パルシアン』の
「旧邸?」
「爵位を持つ方々はみな、リンドブロム直轄領の中心地であるロワネスクに本邸があり、領地には部下を派遣するのみです。それもご存知ないのですか?」
「だーかーらー、記憶が全く無いんだっての!」
反論しつつぷううっと頬を膨らませると、セルフィスがくすりと笑った。
「……新しいあなたは、そんな顔もされるのですね」
「えーえー、淑女ではないですから。それで? 主だから? だから何?」
「主自らが動き、この領域を名実共に支配されればよろしいかと」
「支配~~?」
「ええ」
セルフィスがゆっくりと頷いた。
大きめの口の両端がゆっくりと上がり、綺麗な弧を描く。
両腕を広げ、羽根を開くように。
「ここ『パルシアン』は、初代フォンティーヌ公爵の時代から代々受け継がれている、由緒ある大地。意外なものが出てくるかもしれませんよ?」
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