【種蒔く者】

ボンゴレ☆ビガンゴ

【種を撒く者……】

 雄叫びを上げ戦場を駆けぬけ、迫りくる敵の軍勢をたった一人で返り討ちにした黒の騎士は、返り血に塗れたまま塔へ向かった。


 暗黒に包まれた世界で唯一、暖かな陽の光が差し込む古塔。

 その塔の最上、イバラの呪いによって閉ざされた扉の奥に黒の騎士が命を賭けて守る『花の姫』がいる。


 虚な眼差しでカビ臭く薄暗い塔を登ってきた黒の騎士は扉の前で一つ息を吸うと、胸を張り、出来るだけ穏和な表情を作り扉を開けた。


 そこは花と緑に囲まれた部屋だった。絨毯のように柔らかい草の床には清らかな水が流れる水路が巡らされ、四方を囲む壁はみずみずしい緑で覆われ、色とりどりの花が甘い蜜の香りを漂わせている。天窓からは一筋の柔らかい日差しが部屋を暖かく照らす。


 この世界で最後の花園。『花の姫』の間だ。


 部屋の最奥に、ひときわ華やかな草花で彩られた祭壇がある。陽の光で染めた天蓋のような蔦植物に覆われたその祭壇に花の姫は横たわっていた。


「戻ったぞ。……姫。寝ているのか?」


 黒の騎士は静かに蔦をわけて中を覗く。

 花の姫はすやすやと寝息を立てていた。細い両手でファルトミアの花弁を抱きしめ、幼子のような幸せそうな表情で眠っていた。下界で行われた殺戮など何も知らぬような穏やかな寝顔だった。


 黒の騎士は祭壇の横に腰を下ろし、その寝顔を見つめる。

 花の姫の寝顔を見つめていると心が安らぐ。愛や平和などといった夢物語を信じたくなる。


 花の姫は黒の騎士がこの世界で出逢った誰よりも優しくて無邪気で、脆弱だった。気がつかずに誰かに踏み潰されてしまう路傍の小さな花のように。


 だが、彼女の純粋さやその温かい眼差しはどんな者をも惹きつけた。破壊と死で生きる道を切り拓いてきた黒の騎士ですら、遠い日の無垢で純粋な心を思い出すようなそんな寝顔だった。


 だからこそ、闇の世界の軍勢は彼女の命を狙った。

 花の姫さえいなくなればこの世界に闇が栄えることができる。諍いや争いを好み、儚く美しいものを忌み嫌う邪悪な闇の世界の軍勢にとって、彼女の存在はそれ自体が疎ましいものだった。


 黒の騎士は花の姫の頬をそっとなでる。すると、花の姫はゆっくりとその瞳を開けた。


「お帰りなさい……。わたくし眠ってしまっておりましたの?」


 身を起こした花の姫は柔らかい声で眼を擦る。


「ああ。だが気にするな。それよりも食事は取ったのか?」


「いえ。あなたが帰ってきたら一緒にと思っていたのですけど……、うっかり眠ってしまっておりました」


「まったく。私のことなど待たずともよい。おまえが栄養を取らねばこの世界の植物は枯れてしまうのだろう」


「……ええ。でも、もう手遅れです。この世界は闇に覆われてしまいました。光がなければ花は育ちませんから」


「光ならある。この塔には天より陽の光が差し込むではないか。おまえは何も恐れずとも良い。私が闇を打ち払い、再びこの世界に光を取り戻して見せる」


「ふふふ。あなたが強いのは知ってます。けれど、すべては手遅れなのでしょ。無知なわたくしにだってそれくらいはわかります。どれだけ耳を澄ましても、もうこの部屋以外に草木の声が聞こえない。できれば、ずっとこうしてあなたと二人でいたかったけれど、最後の時は近いようです」


 黒の騎士は言葉を詰まらせた。闇の世界の軍勢は日毎に強力になっていく。光が失われたせいで二つの世界を繋ぐ門が大きく開かれているのだ。

 この塔とて、そう長くは保たない。


「どうか、わたくしのことは忘れて、あなただけでも生き延びてください。あなたは花や草木が無くても生きていける世界の住人でしょう?」


 花の姫は黒の騎士の手を取り宝石のような美しい瞳を向けた。


「それは……」

 黒の騎士は俯いた。

 黒の騎士は元々は闇の世界の住人だった。闇の世界でも恐れられるほどの強大な力を持つ者だった。暴虐非道の行いによって闇の世界を追われ、拷問の末、この世界に追放された。

 ぼろぼろになり野垂れ死する一歩手前で黒の騎士は花の姫に救われたのだ。

 天涯孤独で生きてきた黒の騎士にとって、脆弱な生き物に助けられたことは恥であり屈辱であった。

 黒の騎士は自らの体が癒えたら花の姫を殺して、この世界を憎しみの炎で焼き尽くすつもりだった。

 だが、花の姫の純粋な心に触れ、共に時を過ごすうちに黒の騎士の心は次第に変わっていった。


「花の姫よ……私はあなたに出逢い、優しさを知った。あなたの無垢で純粋な思いに心を奪われた。闇の世界では知ることのできなかった、かけがえのない愛の尊さを知ったのだ」


 黒の騎士は祭壇の前で跪いた。


「あなたを失うことは生きる意味を失うことと同義なのだ」


「顔を上げて。わたくしだってあなたに会って変わったのです。あなたに出会うまでわたくしは一人でした。ただの無知で受動的で、何も望みを持たない弱い命だったのです。ただ、使命の元、世界の草花のために祈り、争いや諍いからは目を背けて生きてきました。自分というものがなかったのです。ですが、あなたに会ってわたくしは生きる意味を知りました。本当の愛を知りました。自ら未来を切り開こうと懸命に生きるあなたを見ていると、わたくしにも力が湧きました。無知なわたくしではうまく言葉にできないけれど、あなたの強さは憧れでした。あなたと出会うことができて、わたくしの命は初めて幸せを得たのです」


「姫……」


 黒の騎士が顔をあげる。花の姫がその頬に手を伸ばす、


 その時、轟音と共に塔が大きく揺れた。

 姿勢を崩す花の姫を抱き起こすと、黒の騎士は窓に走った。

 視線を外界に向ける。地上には闇の世界の軍勢が大地を覆い尽くしていた。


「こんな短期間で再び……。門が完全に開かれたのか」


 奥歯を噛んで黒の騎士が呟く。


「こうなっては、もうわたくしが助かる道はありません。あなただけなら逃げることはできるでしょう。行ってください。わたくしは……大丈夫。一人で死ねますから」


 黒の騎士が振り返ると姫は震えながらも気丈にも微笑んでいた。


「何を言う。おまえが死ぬのなら、私も共に命を断とう」


 花の姫の細い肩を抱き寄せる。


「それはいけません。あなたは生き延びる力がある。無駄死にはさせたくありません」


「おまえがいない世界などに興味はない」


「……そんなこと言わないで。あなたが生き延びてくれたら、それだけでわたくしは嬉しいのです。元々、花の命なんて短いもの。あなたのために散るのだと思えば、死ぬことなんて怖くない。本当よ?」


「それでも、私はおまえの様に強くない。おまえのいない世界で生きていく自信がない」


「なら、お願いをきいて」


 花の姫はそう言って小さな袋を差し出した。


「これは?」


「花の種です。わたくしがいなくなっても、この種さえあればきっとこの世界は再び草木に溢れることでしょう」


「おまえ以外の花も草も私には必要ない」


「お願い。あなたには必要なくても、この世界には必要なの。闇があれば光もある。いつか再び光が大地を照らす時が来るでしょう。その時に、その種を撒いて欲しい。それが、わたくしの最初で最後のわがまま。ねえ、今まであなたにお願いなんてしたことなかったでしょ。だからお願い。最後くらいわたくしのわがままを聞いて」


 塔が再び揺れる。闇の軍勢の咆哮がここまで聞こえて来る。


「くそ、塔の結界を突破したか」


 窓の外を黒の騎士が見たその一瞬の出来事だった。


 背後で花の姫が倒れ込んだ。


「姫!?」


 黒の騎士が慌てて体を抱き起こす。花の姫の手から小瓶が落ちた。


「これは……」


「……毒を飲みました」


 震える声で花の姫が囁く。


「なんということを……」


「あなたの……おかげで幸せでした。こんなふうにわがままも言える様になりました。ふふ。ありがとう。あなたのおかげで強くなれたのね。……種を、お願いします」


 黒の騎士の腕の中で花の姫の首が垂れ、風もないのに、その身体は桜の花弁が散る様に光の粒子になって消えてしまった。


「……姫、くそ。くそぉ!!」


 黒の騎士は床を叩く。この世界に来て初めて知った愛だった。そして、今、その初めての愛を失った。


 残ったのは虚しさと憎しみだけだった。


 窓の外、大地を埋め尽くす闇の軍勢。光が差すこの塔を奪うために、雪崩れ込んでくる軍勢の咆哮が遠くに聞こえる。


 黒の騎士は爪が食い込むほどにその拳を握った。


 ゆらりと立ち上がった黒の騎士の体から黒いオーラが立ち込めた。闇の世界で暴虐の限りを尽くしていた頃の暗黒の眼差しだった。



「死すまで戦おう。私にはもう何もない」



 黒の騎士は部屋を出た。






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