第70話 裏
伊吹に再三ヘッドロックを決められ、そろそろ意識飛びそうだから反撃しようかと考えていた時。ちょうど戻って来た朝凪と竜胆に止められた。
「え、あ!? 何やってるの朔夜君!」
「るる、涙さん!?」
「この馬鹿、ほんとに馬鹿で、なんかもう全部ムカついてきたんだよ」
「不合理極まりない」
伊吹の腕を掴んで文句を垂れていれば、桜と柊がシフォンケーキを持って舞い戻って来た。銀髪の男は私達の様子に呆れた面持ちで、桜は相変わらず喜々とした空気を醸し出している。
「あらあらあら! 一種の修羅場と言うやつでございましょうか!」
「違いますよ桜。私が望むのは流海との純愛ストーリーですし」
「双子の時点で純愛なんか捨てちまえ」
伊吹にため息を吐かれて腕が離れる。空気に花を飛ばしている桜は、柊の肩を叩いてご機嫌な様子だ。柊は何を考えているか分からない顔でシフォンケーキを切り分けている。
桜は本当に楽しそうにケーキを渡してくれるので受け取ってしまう。私は横目に朝凪達を確認し、桜色が容赦なくホイップクリームを乗せていく姿も見た。
桜邸、一日いるだけで肥やされそうだな。
「それで、パナケイアについて知った空穂姉は今後どうするんだ?」
「あぁ、まずは柘榴先生と猫先生に相談って所ですかね。先生達はパナケイアと仲悪いですし、私が何かしらアテナの戦闘員から武器をもぎ取って柘榴先生に直接渡したら調査してくれると思うんですよ。猫先生にも手伝ってもらって、口裏合わせてもらって、みたいな」
「聞いといて何だが、意外だな。お前はこういうことで霧崎さんや猫柳さんを頼るとは思わなかったが」
「別に、利用できるものは利用するって考えなので」
「それを頼ると言うんだ」
柊に後頭部を小突かれて黙ってしまう。気づけば完成された桜特性のシフォンケーキは、生地の原型が見えない程クリームに覆われていた。甘い匂いをふんだんに撒き散らし、視覚だけで満腹中枢を刺激される。凄いな。
「なんか、桜の家にいると一か月分の贅沢を一日に集約された気分になりますね」
「あらあらあら! そんなお褒めにならないでくださいませ! 思わずクリームを追加してしまいますわ!」
「わぁ……」
「葉介……我儘言ってなんだけど、珈琲ねぇか。ブラックの」
「準備してるぞ」
「ぁ、俺も欲しい」
「すみません、私も頂けますか」
贅沢にクリームが追加される私の隣では、伊吹達が苦みを求めて集まっている。私は視線を向けて、竜胆と朝凪の間に三歩程の間が出来ている事実を確認した。柊にも視線を向けるが、男は自分の仕事しか見ていない。
……修羅場っていうか、恋愛ドラマはアイツらの方だろ、絶対。
私は伊吹と目が合ったので、ケーキを口に運ぶ流れで視線を逸らしておいた。……あっまぃ。
「桜って甘いの好きなんですか」
「はい! 道具室でお仕事をしていましたら頭を使う事が沢山ありますもので! 常に糖分を補給して頭を回しておりますの!」
ただのファンシーな趣味ではなく合理的な理由があった。
私は桜の仕事を増やしている自覚もある為、「そうですか」としか返せない。桜色の髪を揺らす少女は始終軽い足取りで、満面の笑みなのだろうなと思わせる機嫌であった。
だから私は違和感を抱いてしまう。パナケイアが秘密にしていたことを考えて、アテナの戦闘員について知ったのに、と。
「桜は良かったんですか。今日、こんな仮定の話に付き合って」
「あら、何か問題がございまして?」
「貴方の両親はパナケイアの重要な関係者なんでしょう?」
「あぁ、お気になさらず。
弾んだ声が嫌に耳に残る。
ペストマスクをつけているから表情が見えない。表情が見えないからこそ、その声色が伝えてくる。
首を傾けた桜を見ながら、私は甘ったるいケーキを口に入れた。
煌びやかな家の中、豪華なお茶菓子に清潔な服。通うのは富裕層が通うエスカレーター式の高校で、彼女の傍に立つ銀髪の男はただ少女の要望に応え続けている。
……地雷踏んだかな。
「桜」
「はい」
「名前、呼びたくなったらいつでも呼んでくださいね」
甘いケーキを完食するのが先か、胃もたれを起こすのが先か。
五分五分の勝負を体内で繰り広げる私は、集められた資料の山に視線を向けた。中には猫先生の名前もあったと思い起こしながら。
そこで初めて桜からの返答が止まる。
見れば、思ったよりも近い距離にペストマスクが立っていた。
「……それは、もしも今、お呼びしたいと言っても許されますの?」
「そうですね」
「挨拶する時にお名前をお呼びしても、怒りませんの?」
「怒る理由が無いので」
「アテナへ貴方が行かれる時、応援しても支障はないのでしょうか?」
「好都合ですね」
私のヤマイは傷を呼ぶ。ならばその傷を痛みではなく快感に変えてくれる桜のヤマイとは相性が良いのだ。と、前にも語った筈だけどな。
「桜は私にとっての魔法使いですから。いつでも魔法をかけてください」
胃もたれする前にケーキを完食する。そうすれば桜が私の服を力いっぱい掴み、黙り込んでしまった。
私は暫し口に残る甘さの余韻に浸り、小さな桜の声を拾った。
「……貴方は本当に、素直な良い人ですわ」
やめておけ。買い被らないでくれよお嬢様
私が貴方を魔法使いと呼ぶのは、私にとって都合が良い魔法をかけてくれるからに他ならない。さっきも口にした通り、私は利用できるものを利用しているにすぎないのだから。
事実を訂正しないまま桜を見下ろす。少女はペストマスク越しに私を見上げるから、私は踏み込むことを選んでみた。
「差し支えなければ教えてください。桜のヤマイは、相手が名前を呼ばれたと思った時点で発症するんですか?」
「いいえ、私が誰かの名前を口にしたら発症してしまいますの。そこに相手の方がおられる、おられないは関係ございません。私が名前を呼んでしまう。それが発症条件ですのよ」
「それはまた、安易に俳優の名前とかも言えませんね」
「そうなんですの!」
桜は軽快に私の腕を叩き、朗らかな空気に戻っていく。
彼女は自分のヤマイを知られることを恐れているのだと思っていたが、違うな。この子が恐れているのは、ヤマイを知られることによって自分が嫌われるのではないかと言う点だ。
察しながらペストマスクの嘴を撫でてみる。桜のヤマイは自分に対する害が基本的にない。私の主観的には珍しい部類だと思う。
いや、桜のヤマイに
考えていれば手に紅茶を持たされていたので、私は質問を続けた。
「それ、名前を呼ぶ回数で程度が変わったりするんですか?」
「はい! 一度呼ぶ度に効果はおよそ十五分! 呼んだ回数×十五分と計算してくださいませ!」
「では四回呼ばれたら一時間は怪我をしても興奮状態でいられますね。アテナに行く前にお願いしたいところ」
「まぁ! 喜んで!! ですわ!!」
「お嬢、それはお待ちください」
「涙さん! それ怪我する前提で話し進めてるから!」
「あ、バレましたか」
柊と竜胆から静止の声がかかり、桜と揃って肩を竦めて見せる。柊は痛むように額を揉み、竜胆は結んだ口を横に伸ばしていた。二人の間に立つ朝凪は不服そうに口を尖らせていたので、私は彼女の前まで歩み寄る。
綺麗な鼻先を指で叩き、頬をつついてみる。そうすれば「涙さん!」と怒ったように呼ばれたので、私は素知らぬふりして紅茶を飲んだ。
「桜のヤマイって
「いいえ、そちらは問題ございません。私のヤマイは名前を呼ぶことに特化していますので!」
……へぇ。
朝凪の頬を遊んでいた手を移動させ、桜の頭を撫でてみる。そうすれば彼女は雛鳥のように擦り寄って来た。
人が、頭の中で何を考えているかも知らないで。
私は桜の髪をひと房掴み、指先から零れる毛先を眺めていた。
ここまで来たからな、聞けるだけ聞かせてもらう。
貰える情報は貰って帰る。
私は、桜色から銀色へと視線を移動させた。
「柊は確か、眠る度に身体年齢が変わるんですよね」
「そうだが、なんだ藪から棒に」
「別に。その変化に痛みは伴わないのかと思っただけですよ」
紅茶を飲み干してから桜の髪を三つ編みにしていく。彼女は鼻歌を奏でそうな雰囲気で遊ばせてくれるので、それを了承だと解釈した。
柊は眼鏡のブリッジに触れて息を吐く。男は私の問いかけを良いように受け取ったらしく、その声には微かな柔らかさが存在した。
「俺の心配でもしているのか」
「寝る度に痛みがあったら大変だよなぁと言う、自己満足的な憐れみです」
「初めて言われた」
「そうですか」
「誰もそんな所まで考えないからな」
「……じゃあ、葉介君」
竜胆の瞳が柊に向く。朝凪と伊吹も銀髪に視線を向け、私は桜の髪を結い続けた。
姿勢正しく立つ男は、青い瞳を揺らしもしない。
「平気だ、慣れている」
「それ、平気って言わないと思います」
朝凪が視線を俯かせながらケーキを口に入れる。柊は彼女へ視線を向けると、仕方がなさそうに眉を下げていた。
「空穂姉、どうしてくれるんだ。お前が余計なことを聞いたせいで空気が重くなった」
「喜べば良いではないですか。みんなが貴方を想うから空気は重くなるんです。心配するから顔色は悪くなるんです。裏を返せば、それだけ貴方は想われていると言うことなんですから」
青い瞳が少しだけ丸くなる。いつも眉間に皺を寄せて不機嫌そうな男も、やはり私達と同い年なのだと思わされる反応だ。見た目はいつも違うけど。
私は何となく伊吹と視線が合う。灰色の目は直ぐに柊へ向かい、私が質問をせずとも聞いてくれた。
「葉介、この際だから俺もヤマイについて聞いても良いか?」
「あぁ。別に俺のは隠すようなものでもないからな。何か気になってたのか?」
「あー、いや、純粋な疑問だけど、お前のヤマイって授業中に寝て起きたら発症してたりするのかなって」
「理論的にはそうだが、授業中に寝たことは無いから知らん」
伊吹の質問に柊は澄ました顔で返答する。灰色の男はシフォンケーキをブラックコーヒーで流し込みながら、柊の返答に驚いているようだった。視線を動かせば竜胆も驚いており、黒髪の彼は目を丸くして問いかける。
「体育後の古典とか眠たくならない?」
「ならん」
「昼食べた後の世界史は寝るだろ」
「寝ないだろ。お前達は寝てるのか」
「普通に突っ伏して寝る」
「俺は頬杖ついて目を閉じてます」
「授業を聞け」
伊吹と竜胆の頭に柊の手刀が入る。灰色の髪と黒い髪を潰された二人は揃って脳天を押さえ、柊は肩を落としていた。
「お前ら、学生の本分は勉強だぞ」
「正論過ぎて何も言い返せねぇ」
「はい、ごめんなさい」
桜の髪を遊びながら男子高校生の会話を聞く。授業か……私、最後にまともな授業受けたのいつだっけ。
思い出せないくらい
ヤマイの性質上、単位の話や出席日数も言われない。私は居ても居なくても変わらないまま卒業できるのだろう。それは社会がヤマイに対して見せた慈悲であり、諦めだと思っている。
私は桜の髪を弄び、小さめの朝凪の声を耳にした。
「柊君は、眠ってる間に骨格が変わっていくんですか?」
「いや、正確には意識が眠りから覚醒し始める時に関節や骨格が変わっていくな。肘や膝は正直外れるのではないかと思う時がある」
柊の返答に朝凪の顔色が変わる。彼女は言葉同様に表情も分かりやすいので嘘はつけない質なんだろうな。
柊もそれは分かっているのだろう。彼は朝凪に視線を向けると、目元を柔らかく細めていた。
「朝凪、心配しなくていい」
「うぁ、ぅ、は、はい」
後ずさった朝凪は竜胆の後ろに隠れてしまう。竜胆は彼女に苦笑を向け、柊は直ぐにいつも通りの無表情へ戻っていた。
私は伊吹を再度確認する。灰色の男は小さく首を横に振り、視線だけで「何も言うな」と示された。私は歯の根元がむず痒くなるような感覚を噛み締めて、柊に質問をぶつける。
「毎日、年齢はどうやって知っているんですか?」
「お嬢が作ってくださった体組成計で測っている」
「あれは力作ですわ!」
両手を思い切り上げた桜に感心する。柊は「ありがとうございます」と目元を緩めたので、私は桜の三つ編みを少しきつめに結ってしまった。すまん。
私は桜の髪を緩く解く。指通りの良い桜色は重力に沿って落ちていくから、私は息を吐いてしまった。
「よく考えたら、葉介がこんなに話してる姿って見た事なかったな」
「いつも黙々と仕事してるイメージだもんね」
「話題を振ってくれたら話せる」
「お前も話しかけてこい」
伊吹と竜胆に叩かれている柊を一瞥する。朝凪は竜胆の陰から柊を見つめ、微かに口元が緩んでいた。……。
「……桜、今日はありがとうございました。柊と共に時間と場所、資料を提供してくださって」
「いいえ。私も知りたかったことですし、貴方と沢山お話もできて満足ですわ」
振り返った桜はペストマスクの下で笑っているのだろう。そう伝わる声色を耳にして、私は目を伏せてしまった。今日の
アテナの戦闘員に襲われたヤマイの内、中傷以上を負った者はマッキになっている。
マッキになっても救われないヤマイは多く、パナケイアは情報を収集・整理・保管している。
襲われてもマッキになっていないヤマイも存在し、違いは傷の程度。そこから、アテナの武器に何か仕込まれていると考えられる。
その武器を問題なしと言ったパナケイアはやはり、ヤマイの味方ではないかな。
「涙さん、どうかしたの?」
不意に蜂蜜色の瞳が覗き込んでくる。私は瞼を上げて、朝凪と並ぶ竜胆を見上げた。
「竜胆は怖いですか。
「え……あー、まぁ、そりゃ、怖いけど」
竜胆の視線が一瞬だけ朝凪を見る。
コイツはいつも謙虚だ。自分を主張しないのに、大切なものから目を離す事だけはしない。知ってる、分かってる、伝わってる。
竜胆は苦笑を我慢した表情を私に向けた。
「
「……そうですか」
貴方のヤマイは聞けなかった。きっと貴方は人に言えないヤマイなのだと分かるから。無理に聞いてはいけない。無理に聞けば貴方を傷つける。不信を抱かせる。
私は蜂蜜色の瞳を凝視した。揺れても逸らされる事がない瞳を。
その目はいつも濁りがないから、少しだけ、口を滑らせても良いかと思ってしまったよ。
「ならばどうか、大事なものからは目を離さないで。しっかり見つめて、手を握っていてくださいね」
竜胆の目が丸くなる。私は彼の腕を軽く叩き、朝凪の髪に指を通した。
もう一つの、今日の収穫を反芻しながら。
視線を順に向けていく。情報を集めてくれただけでなく、伊吹達に声を掛けてくれた柊に感謝しながら。
知識は増えた。見識は広がった。材料も得た。
ありがとう、沢山話をしてくれて。
ごめんね、耳障りの良い言葉を並べて。
これらは全て、流海の為の供物に出来るんだ。
口の中に苦みが広がる。さっきまで甘ったるいケーキを食べていた筈なのに。
「涙さん、もしかしてこの後も……」
朝凪の眉間に心配そうな皺が寄る。
私は彼女の髪から指を離し、口の苦さを噛み潰した。
「勿論――アテナに行きますよ」
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