すべての世界のすべての炎
砂山鉄史
一日目(前編)
これは、オレ達が駆け抜けた炎の七日間に関する取り止めない記録の断片だ。
★★★
大切なモノを失ったような気がする。それが何だったのかは、もうはっきりと思い出せないけれど。
ただ、失ってしまったという確信だけがある。喪失感は棘になって、オレの心の柔らかい部分を執拗に突き刺してくる。
棘に刺される痛みはやがて気怠さに変わって、オレの意識を心地よいまどろみの中に誘う。
抵抗するのも面倒なので、もう、このまま眠ってもいいかな。そう思った。
ああ、でもな――。
一瞬、考えてしまった。
ここではない遠いどこかへ消えた『何か』のことを。もう、名前すら判然としない曖昧な存在のことを。
この世界でせめてオレぐらいは、そいつのために頑張ってみてもいいんじゃないかって。そんなふうに考えたんだ。
だから、オレはひとまず立ち上がることにした。
★★★
頭の中がぼんやりとしていた。まるで、霧がかかっているみたいに。
「ここは……どこだ?」
あたりを見まわす。服のショップや雑貨屋、それにスタバがあった。
そうだ。ここはショッピングモールだ。しかし、何だってオレはこんなところに倒れていたんだろう?
記憶が混乱している。それに、あたりが焦げ臭い。
ひょっとして、火事でも起きているのだろうか?
落ち着いて周囲を観察する。床に人が倒れていた。十人以上はいる。ピクリとも動かない人もいれば、うめき声をあげながら尺取虫みたいに蠢いている人もいる。安全な場所に避難しようとしているのだろうか。
こいつはヤバい。
オレもさっさと逃げた方がよさそうだ。でも、倒れている人を放っておくのも気がひける。
そう思ったとき――。
突然、大きな爆発音が響き渡った。
ビリビリとした空気の震えが伝わってくる。
続けて聞こえてきたのは、恐らく、今の爆発に巻き込まれた人々の悲鳴と怒声。
おいおい。一体、何が起きているんだ。日本はヨハネスブルグじゃねーんだぞ!
「よし、落ち着こう」
オレは自分に言い聞かせるようそうつぶやいた。
「二、三、五、七、十一、十三、十五、十七……」
とりあえず、素数を数えて平静を保ってみる。
「十三の次は十七だろ。お前の首から上の物体は飾りか?」
どこからともなく、容赦のないツッコミが聞こえてきた。
「おかしいな……。どうして、まだ死んでない?」
抑揚のない冷たい声が続けた。
声のする方に目を向けると、そこには、オレと同い年ぐらいの男子学生が立っていた。
そいつは、濃紺の学ランを身にまとっていた。ありふれたデザインだ。オレの着ているものとほとんど変わらない。
背は高くもなければ低くもないし、痩せても太ってもいない。髪の長さも普通だ。シルバーフレームの眼鏡をかけているが、それも量販店でよく見かけるモデルだ。あまりにも没個性的な容姿。目を離した瞬間、忘れてしまいそうな感じだった。
ただ。
眼鏡のレンズ越しにオレを見る目がまるで人殺しみたいに凄惨で。
こいつの顔を忘れても、その目つきだけは忘れない。そんなふうに思った。
「あ、あの……」
とりあえず、声をかけてみる。刺激しないよう細心の注意を払ってだが。
「早く逃げた方がいいと思うんですけど……。また爆発が起きたらヤバいし」
オレの言葉に、男子学生が訝しげな表情を浮かべた。
「お前、頭でも打ったのか?」
「いや、ケガはないと思うんですけど、記憶があやふやで。どうして自分がここにいるのか思い出せないんですよ」
「……そうか」
オレの言葉に男子学生が眉を寄せる。どこか思案げな顔だ。
「そんなことより、早く逃げないと」
「爆発のことなら、心配ない」
「な、何で分かるんですか……?」
「分かる。アレは俺のやったことだからな」
おいおい、いきなり何を言い出すんだこの人は。
「……マ、
「
言葉が続かない。オレは酸欠の金魚よろしく口をパクパクさせた。
★★★
「移動するぞ」
半泣き状態のオレを一瞥して、男子学生もといショッピングモール爆破犯が言った。
「う、うす……。」
オレの目の前のヤバイやつを怒らせないよう、おとなしく命令に従う。
火の手がまわり出したモールを進んでいく。ズボンのポケットからハンカチを取り出して口に当てる。気休めかもしれないが、ないよりはマシだろう。
先導する襲撃犯の少年は安全なルートを把握しているようだ。ほとんど、炎や煙に巻かれることなくモールから脱出できた。正直、拍子抜けだった。中に残された人たちが気がかりだったけど、自分の身の安全を優先した。何よりも、目の前の男を刺激したくなかった。キレたら何をされるか分かったもんじゃない。
しばらく歩くと、高台のような場所に出た。そこから、燃え上がるショッピングモールを望めた。暮れなずむ空に向かって黒煙が伸びていく。
地上の赤と夕空のオレンジがグラデーションを作り、それがびっくりするぐらい奇麗だった。
オレは男子学生とふたりで、無言のまま炎にのまれる資本主義の象徴を眺めていた。
遠くから、サイレンの音が聞こえてきた。消防車か救急車、もしかするとパトカーのものかもしれない。あるいはその全部。
あの爆発で何人ぐらいの死傷者が出たのだろう。ぼんやりとした頭で考える。自分もあそこで死んでいたかもしれないのに、まるで他人事みたいだった。
子連れの家族や学校帰りの学生、ショップの従業員、男の人も女の人も、若者も年寄りも小さな子供も、大勢の人が命を落としたのだろう。
楽しかった時間が一瞬で地獄絵図に変わった。あまりにも不条理な出来事。
不憫だなとは思ったけど、それ以上の感慨は湧かなかった。
湧かなかったんだから仕方がない。
オレは学ランのポケットからスマホを取り出し、動作を確認する。よかった壊れてない。
ちなみにOSは泥だ。オレの目が黒いうちは林檎製品に家の敷居をまたがせるつもりはない。
ツイッターを確認してみたけど、ショッピングモールの惨事を伝えるツイートは見当たらなかった。
「お前、いつまで泥なんか使ってるんだよ。死ぬのか?」
「大きなお世話だよ! アンタも林檎とか使ってんじゃねーよ! おぞ毛が立つわ!!」
男子学生が手にしたスマホ。そのケースの裏側には、人々を堕落に誘う悪しき知恵の実のマークが刻まれていた。一口かじってあるのが絶妙にイラつく。
「……アンタじゃない。
変わった名前だったけど、目の前の少年には、不思議となじんでいるように思えた。
「オレは
「紹介がくどい。あと、『甲斐の虎』と『甲斐の若虎』で『虎』がかぶってるぞ。お前は本当にアホだな」
「うるさいわ! いちいち真田幸村を『甲斐の若虎』とか呼ぶんじゃねー! BASARAのやりすぎのオタクかよ!」
星宮と名乗った少年は、芝居がかった仕草で肩をすくめると、頭を軽くふった。何だか、馬鹿にされた気分だった。
「それで、どうして、お前は生きてる?」
「オレが生きてちゃ悪いのか!?」
「……悪い。あそこにいる人間は全員殺すつもりだった」
剣呑すぎる発言だ。そして、目つきがヤバイ。全身に震えが走る。
「どうして、そんなことを……」
星宮がオレの顔をまじまじと見つめる。まずい、本気で怒らせたかも。ひょっとして、処されちゃう?
「理由は特にない。強いてあげるなら、何か大きなモノをメチャクチャにしたかった」
星宮はそう言うと自分のスマホを差し出してきた。うわ、アインヒョンだ。脳がちょっと認識を拒んでるし、バキバキに粉砕してやりてぇ。
「そのために、これを作った」
「……ただのスマホだろ?」
「さっきの爆破はドローン爆弾を使った。そして、このスマホはそのコントローラーを兼ねている」
星宮が淡々とした調子で説明する。
「この動画を観てみろ」
星宮がアイヒョンで動画を再生する。
それは、過去に起きた大型商業施設爆発事件の動画だった。ニュースで見覚えのある有名な事件だった。確か、時限式の爆破装置が使われたらしいとかで、犯人はまだ捕まっていないはずだった。
「これは俺と仲間達が実行したテロ活動のひとつだ」
「……マ?」
「マ」
星宮が嗤う。口を剃刀のような薄い三日月の形にして。
「これも観てみろ」
続けて再生された動画を観て、オレは思わず目を丸くする。こ、これは……林檎ストアの爆破動画じゃねーか!?
爆発で木っ端微塵に吹き飛ぶ店内。衝撃で外に勢いよく射出される人々。ガラスに突き刺さったまま微動だにしないのは従業員か客なのか。
このストアは道路の前にあった。運悪く通りかかった自動車が爆風に煽られ転倒する。それを避けようとした他の自動車が歩道に突っ込み、通行人を跳ね飛ばす。悲鳴と怒声と助けを呼ぶ声が一帯に響き渡る。
「お前はこれを観てどう思った? 何を感じた?」
「……お前じゃなくて、甲斐田徹幸だ」
オレは表向き冷静を装いながら星宮に言葉を返したが、心の中では動画アプリが再生するスペクタクル映像に興奮していた。それはもうハチャメチャに。
「……他にもお前が悦びそうな動画があるぞ。観るか?」
こいつの誘いに乗ったら駄目だと本能がアラート鳴らす。それはもうけたたましく鳴っているのだが……。
「……観る」
オレは悪魔の誘惑に屈した。弱い男だと笑ってくれ。
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