6. モモンガが運ぶ封筒。

 窓の外からモモンガのキュッキュッという鳴き声が聞こえてきた。

このクリニックが飼っているモモンガだ。

そのときモモンガが来たことにはみな気付いていたものの、ちょうど3人とも診察と治療に当たっていてなかなか外に出られなかった。

しかしキュー……と鳴き声が悲しそうな響きに変わってきてさすがに可哀想に感じ、ヒカルは患者に少し待っていてくださいと伝えて外へ出た。

 クーラーの効いた室内にいたせいで、6月の日差しが真夏の日差しのように感じる。

 外にご主人様を探してきょろきょろするモモンガがいた。

すっかり飛ぶ体勢ではなく、その姿はリスとあまり変わらないように見える。

 ヒカルを見ると、またキュッキュッと跳ねたような声を出し、彼に近付いた。

モモンガの尻尾には、無地だが繊細な和紙を用いた封筒が例によって赤いリボンでくくり付けられていた。


「ありがとね、モモちゃん」


 モモちゃん、と呼んでいるのはヒカルだけなのだが、そう呼ばれるとモモンガはとても嬉しそうにするので、モモンガ自身に「自分はモモちゃんなんだ」という認識が生まれているようだ。

 ヒカルは手紙の中は見ずに、モモちゃんの尻尾を撫でて籠に入れ、待たせている患者のもとへ走って戻った。

クリニックに入ったとき、様々な香料が入り混じった雑味を感じる香りが彼を一気に襲い、思わず顔をしかめた。


 この日も40人程度の患者の診察を終え、閉院時間である19時を迎えた。

また日課の看板の片付けやカルテの整理をしていると、マコトが受付に置いてあった手紙を手に取って、


「ヒカル、これ今日届いた手紙?」


 と尋ねた。

 いちばん並び順にこだわりを持つヒカルが香料整理の担当なので、彼は香料が並んでいる棚から顔を覗かせて頷いた。


「そういえば中見てない」

「見落とすわけにいかないからすぐに見るか、目に付くところに置いておけってあれほど……」


 マコトがぶつぶつと呆れたように言いながら、レターオープナーで丁寧に封を切っていった。

ぴりぴりと細い音を立て、手紙の中が次第に見えるようになる。

 封筒の中にも繊細な和紙の便箋が1枚だけ入っていた。


「これ、先生……久史ヒサシさんから」

「じいちゃんから? なんだろう、滅多に手紙なんて寄越さないのに」


 ヒサシとはヒカルの父の父、つまり祖父である。

彼もまたセラピストでありトウキョウのセラピストスクールで長く教授も務めているので、マコトも含めトウキョウのセラピストは全員が知っていると言っても過言ではない人物だ。

 ヒカルは手紙を受け取り、ヒサシの筆で書かれた達筆な文字を読む。

読み終えるとマコトに言った。


「じいちゃんが、『明日俺のクリニックに来い』だって」

「どうして急に?」

「植物園に見せたいものができたらしいよ」


 特に来られるかどうかを尋ねていない文章にヒサシらしさを感じた。

 マコトはヒサシのクリニックの隣にある、大きな植物園を思い浮かべた。

そこではほとんどの薬の原料が栽培されていて、遠方から買いに来る客もいると聞いている。

 元より多様な植物を見てきているヒサシが言う“見せたいもの”とは何なのか、マコトの想像は膨らんだ。


「明日は土曜日でクリニックはお休み、さらに今は入院患者もいないし、マコトも一緒に行ける?」

「俺も行っていいのか?」

「たぶん良いでしょ、じいちゃんはマコトのことも孫みたいに思ってるから」


 このようなやり取りを経て、マコトもヒカルとともにヒサシの植物園を訪問することにした。

マコトは明日が楽しみでわくわくしていた。


「お疲れ様でした! 明日ヒサシさんのところ行くならよろしく伝えてね」


 イノウエがそう言ってクリニックから出て家に帰って行った。

彼女の周りに花が見えるくらい嬉しそうな様子だった。


「イノウエさん、明日息子さんと遊園地行くみたい。いいなあ」


 ヒカルが言う。

 イノウエは今年10歳を迎える息子のことを溺愛していて、出掛ける予定があるときはいつもああいう様子で帰っていくのだ。

彼女はヒカルたちがまだクリニックを開いていない頃からヒサシのクリニックで働いていたので彼女もヒサシとは交流がある。

 マコトは自分の髪を指で軽くといて、


「俺の家来るか? さすがに遊園地は行けないけど、そのまま先生のところに行こう」


 と言って、ヒカルを自宅に誘った。

ヒカルがあまりにも羨ましそうだったのでこのまま彼をこのクリニックに置いていくのは気が引けた。

 このクリニックよりもマコトの家の方がヒサシのクリニックに近く、そういう面でもデメリットはなにもない。

それも考えた上での提案だった。

 ヒカルはすぐに笑顔で頷いて、二階から着替えなど、いわゆるお泊まりセットを引っ張ってきた。

彼がその距離を考えていたのかは不明だ。


「じゃあ行こうか」


 2人はマコトが運転する車に乗って、彼の自宅へと向かった。

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