第25話 一度の失敗は人生においてどれほどの重みを持つにいたるのか その5
放課後になり病院に向かう。昨日と違う点は、俺一人で病院に向かっていることだ。
深く息を吸い込み深呼吸。一泊置いて、由佳の病室をノックする。
「はーい」
中から大樹の間の抜けた声が聞こえる。
病室のドアを幾分開いて中の様子を覗き見る。
ベッドの様子は良く見えないが大樹と目が合う。昨日よりもかなりマシな顔色をしている。彼の中でもある程度の決心はついたのか。
「こんにちは。具合はどうかな?」
そのままドアを開け、室内に声を掛ける。
「ども。待ってたよ。」
大樹は笑顔までもいかなくとも明るく装って返事を返す。
そのまま病室に足を踏み入れる。すると、ベッドの上の少女がこちらを不思議そうに見ている姿が確認できた。
昨日までの焦点の合わない虚ろな目ではなく、はっきりと俺の姿を捉えたそれは彼女の体調が少しでも快方に向かっていることを示しているようだった。
「え。なんで。え。」
状況を掴みかねた彼女が戸惑いの声を挙げる。
「由佳、この人が昨日由佳の事病院に連れて来てくれたんだよ。」
大樹は優しく由佳に説明する。
「なんで学校の人が。どうして。」
未だ状況を飲み込めない彼女をよそに大樹が俺に耳打ちをする。
「ちょっといいですか。」
そのまま俺を引っ張り人気のない面会室に連れ込む。
「昨日、大変だったんですよ。あの後、夕食も少しずつ食べてくれたのは良いんですけど、なんか、意識が戻るというか…急にパニックになっちゃって。自分が何でここにいるのかわかってなかったみたいなんですよ。」
大樹は身振りを交えて状況を話す。俺はそれには適当な相槌を打ちながら本題に入る。
「で、どうするのかはもう決めたの?」
なるべく威圧的にならないよう、笑顔を心掛ける。
「ええ、あの後、結城君が帰ってから色々考えたんです。それで、その、堕ろそうかと思ってます。」
大樹はにこやかにそう言い捨てる。その微妙な笑顔が俺を俄かに苛つかせる。
「そのことはもう由佳には言ったの?」
大樹はこれまた気まずそうにしながらもヘラりと笑う。
「いやー、まだ言えないっスよ。由佳、昨日でもあんなだったのに、もう少し落ち着いて…」
大樹のその浮ついた声が、地に足の付かないその表情が、俺の理性を消し飛ばす。
ドン!
大樹の襟元を掴み壁に押し込める。大樹は声にならない吐息を漏らし苦しそうにするが、構わずその腕に力を籠める。
「ヘラヘラしながら何言ってんのか、わかってんのか?」
大樹は俺の腕を振りほどこうと藻掻くが大樹の力ではどうにもならない。俺はそのまま大樹を床に向け突き飛ばす。大樹はそのままの体制でボソボソと呟き始める。
「…そんなこと言ったって、そんなら、俺、どうすれば良いって言うんスか!葬式みたいな顔して言ったら満足なんスか!?だって、事実どうしようもないじゃないですか。
由佳も俺も学校辞めちゃって、中卒スよ。こんなんで碌な仕事にも付けない。由佳は体調も心も不安定で、おまけに由佳の母親も産むことには反対してる。
八方塞がりじゃないですか。どうしようもないですよ。」
大樹は堰を切ったように愚痴を漏らす。先ほどの浮ついた笑顔は彼なりに明るく振舞おうと必死だったのかもしれない。自分の軽率さを少し恥じる。
「いきなり乱暴して悪かった。一応色々考えたんだな。」
大樹を抱え起こし、椅子に腰かけさせる。
「いいっすよ。元々俺のまいた種ですから。由佳、父親いないんでそれに殴られること思えば軽いもんス。」
そうか、由佳の母親しか見ないと思ってはいたが片親だったのか。
「由佳はどうしたいって言ってるんだ。」
「あいつは、産むって言ってますよ…。でも任せてください。ちゃんと説得して見せますから。今も仲間に中絶するためのカンパお願いしてるんス。」
またヘラりと笑う大樹に、真面目な顔で彼の目を見据える。
「昨日さ、由佳のいった事の意味、分かってる?」
俺の言葉に合点のいかない大樹は顔を傾げる。
「昨日、由佳が言ってただろ。お腹の中の子供に命が宿ってるって。その意味が分かってるのかって、聞いてるんだ。」
「あれは、あれでしょ?妊娠してるから命があるみたいな。」
大樹は言葉の意味を本気で理解していないようで要領の得ない回答をする。
「違う。由佳はもう妊娠中期だ。もうお腹の中の子供は人なんだよ。もう目も耳も出来て来てる。お前は堕ろす堕ろすって簡単に言うけど、それはもう死産なんだよ。そこまでわかって言ってるか?ちゃんと理解できてるのか?」
そこまで言うと大樹はようやく言葉の意味を理解したのか昨日と同様に顔を青くさせる。
「なぁ。説得する相手が違うんじゃないか。由佳のこと説得するより、由佳やお前の家族のこと説得して協力してもらう方が大事なんじゃないか。中絶の金集めるんじゃなくて今からでも子供が生まれた時のおむつ代稼いでやることの方が大事なんじゃないか。」
俺の言葉に大樹は静かに頷く。
「でも、俺、もう碌な仕事にも付けないし、いきなり父親とか、実感ないし、どうしたら良いか分かんないスよ。」
大樹はそう言い、涙を流す。その姿を見て俺はまた大きく深呼吸をする。
「安心しろ。俺が手伝ってやる。中卒だから人生終わるわけじゃない。そこから何もしないから、どんどん腐っていくんだ。行動する奴を笑う奴なんかどこにも居ない。」
大樹の肩を叩きながら努めて明るい声で諭す。
「それにな、父親の自覚なんか、赤ちゃんが生まれたって、なかなか持てないもんだよ。」
「はは、なんスかそれ?」
大樹はこの時初めて笑顔を見せた。それは今までの浮ついた中身のない笑みでなく、ようやく自身の事を応援してもらえた安心感からくる、心からの笑みのように思えた。
大樹と病室に戻る。病室では由佳が不安そうな顔をしながら俺達の事を待っていた。
「こんにちは。俺の事、わかるかな?」
改めて由佳に挨拶する。
「えっと、学校の人?」
由佳はもちろん誰かわからず不思議そうに首を傾げる。
「ほら、これ。もうだいぶ治ったよ。」
明るくそういいながら脇腹の傷痕を見せる。すると見る見る由佳の顔が恐怖に染まる。
「え。ど、どうして。」
由佳はパニックになりかけるが、大樹が慌てて宥める。
「ちょっと、何やってんスか。」
大樹がしどろもどろしながら俺を諫める。俺は満面の笑みを浮かべたまま由佳に話しかける。
「赤ちゃん、無事で良かったね。」
その言葉に由佳は不安そうに大樹を見る。
「大樹君、由佳ちゃんとお腹の赤ちゃんの為に頑張って働くって。だから、もうお腹の赤ちゃんのご飯取り上げちゃダメだよ。」
由佳と目線を合わせ、優しく言う。彼女は未だに不安そうに大樹を見上げている。
「由佳、今までごめん。俺、怖くてさ。でもちゃんとするから。赤ちゃんの為にも、由佳の為にも。だから、その、う、産んでくれたら嬉しい。」
大樹が顔を真っ赤にしながら言うと由佳はようやく微笑んだ。
「明日から大樹君、忙しくなるから由佳ちゃんに付きっきりになれないけど、大丈夫かな?」
俺がそう言うと由佳は微笑んだまま力強く頷いた。
「うん。私も頑張る。赤ちゃん、お腹ペコペコにさせちゃったから、頑張っていっぱい食べるんだ。」
大樹と病室を出る。
「女の人って強いんすね。昨日までとは大違いって言うかなんというか…」
大樹は大層感心した様子でそう呟く。
「何言ってんの?お前も大変だよ。」
俺の言葉に大樹は目を丸くさせる。
「明日朝五時にここにきて。絶対遅れちゃダメだよ。」
俺はある公園の名前を書いた殴り書きを大樹に渡す。
大樹は不思議そうな顔をしているが構わず話を続ける。
「財布の中は小銭で千円ほど入れて来てね。大事なものは持ってこないでね。」
「ちょっと、なんかあるんスか?」
「なにって、働くんだよ。明日から。」
俺の言葉に大樹はウエーと苦虫を噛みつぶした顔をする。
そう、彼には本当に苦労してもらいたい。でもその経験が、きっとこれから先、彼らが大きな壁にぶつかった時、きっと大きな支えとなっていくはずだから。
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