[8-4]王女、合流する

 お互いに理解し合える仲とまではいかなくても、晴れて普通の人の身体に戻ることをリシャさんに了承してもらえた。

 もちろんシロちゃんは大喜び。

 呪いに侵食されている森の狼たちやロディ兄さまも、やっと助け出すことができる。


 明るい未来を想像して浮足立っていたけど、当の本人はなぜか不満げだった。

 細い眉を寄せ、リシャさんはわたしたちを睨みつけながらリビングルームに置いてあるソファの上でふんぞり返っていた。


「まさかこの私が人族の家に滞在する羽目になるとは。あのまま私の住まいで、魂を分ける儀式をすれば良かったんじゃないのかい」

「死んじゃうから! ていうか、リシャさんやシロはよくても、俺たち普通の人族だから! 凍え死んじゃうよ!?」


 すかさず反論にして、ガルくんは激しいツッコミを入れる。


 たしかに冥王竜の結界が解けた途端、すごく寒かったものね。

 わたしもキリアが肩を抱いてくれなかったら、きっと一時間も氷の洞窟にいられなかったに違いないわ。


 そうなのよね。キリアはたぶん、冥王竜の結界が解けちゃうことを想定して抱き寄せてくれたんだわ。

 彼の行動に特別な理由なんてないと解ってはいるんだけど、わたしはつい期待をしてしまう。

 だってキリアってば、出会った時から距離が近かったし!

 もっと彼のことを知ることができれば、心の距離も近づくことができるのかしら。


 近くに立つキリアをそっと見れば、彼はつった瑠璃紺の目を細めていた。

 呆れたように半眼になっている。


「リシャール、あのまま氷の洞窟で儀式をしてしまったら、貴方だって凍えてしまうだろう? だから貴方とシロには一度俺達の拠点に来て欲しかったんだ。人嫌いのリシャールには気に入らないかもしれないけど、今回は我慢してもらえないかな」


 そう、わたしたちはファーレの森からライさんの名義で借りているこの家に戻ってきたの。

 行きと同じように冥王竜のテレポートで帰ってきたから、ほとんど時間はかからなかった。


 リシャさんがわたしたちみたいな普通の人に戻るということは、寒さや熱さを感じる身体になるということ。

 一応ローブは着ているけど薄着だし、足なんて靴も履いていないんだもの。せっかくリシャさんを助けるために儀式を行うのに、あのまま氷の洞窟にいたら死んでしまうわ。


「いいね、その表現気に入った。シロ、今日から私は人嫌いの精霊使いになるよ」

「そうなの?」


 半透明なからだのまま、シロちゃんはリシャさんの膝にちょこんと座っている。


 細い腕をリシャさんの首に回して密着している二人は、見ているわたしまで恥ずかしくなっちゃう。

 だけど同時に、リシャさんとシロちゃんの距離がとても近いような気がして、うらやましくなってきた。


「つーか、洞窟から連れてきちまったのかよ。ハウラは自分の研究があるからってララを連れて帰ったんだけど、帰って逆に正解だったなー」


 壁にもたれかかって、ライさんがため息をつきながら苦笑する。

 彼の言葉を聞くと、ガルくんは「ええっ!」と大きな声をあげた。


「ハウラさん帰っちゃったの!? 報告したいこといっぱいあったのに」


 目に見えて肩を落として落胆する様子は、とても可哀想だった。

 ガルくんはハウラさんの代わりに、ファーレの森に行くのを立候補してくれたんだものね。きっと、直接自分の口から経験したことを話したかったに違いないわ。


 なんとかならないのかしら。それにわたしも、ハウラさんと別れたままなんて寂しい。


「住んでる家は分かってんだろ? なら後で会いに行けばいいじゃねえか。ハウラもノアも俺たちの作戦に協力するって約束してくれたし、連絡を取り合うことになってるんだぜ? これっきり会えないわけじゃねえさ」

「えっ、ノア先生も帰っちゃったの?」

「あ、言ってなかったな。実はそうなんだ。さすがに長い間診療所を両親だけに任せきりってのもマズいらしくてさ。仕事が落ち着いたらまたこっちに来てくれるってさ」

「そっか」


 ノア先生も王都に構える診療所のお医者さまだものね。そもそも最初はキリアの往診ってだけだったのに、今まで付き合ってくれていたのよね。

 でも、また会いに来てくれるんだ。

 彼女の明るくて元気な声を思い出すと、今でも心があたたかくなる。


 あれ、ちょっと待って。

 ノア先生もハウラさんも帰ってしまったのなら、もしかしなくてもケイトさんはライさんと二人きりだったのかしら。


 ケイトさんはグリフォンのライさんがとても苦手なのに。なんだか悪いことをしてしまったわ。


「そういえば、ライさん。作戦って何のことなの?」

「王都の城を取り戻すために、俺とライが考えていた作戦だよ」


 ふと浮かんだ疑問に答えてくれたのはキリアだった。


 振り返って向けられた彼のつった両目とわたしの目がぱっちり合う。

 途端に恥ずかしくなったけど、ここで目を逸らしたらダメ。素っ気ない態度を取ってしまうとわたしの気持ちに気付いてもらえなくなっちゃう。


 高鳴る胸を必死に押さえるわたしを知らないでいるのか、キリアはいつも通りにっこり笑った。


「姫様のおかげでメンバーもいい感じで増えてきたし、一度みんなで作戦会議をしておきたいところだね。でもとりあえず、いったん休もうか」


 ええっ、教えてくれないの!?


「私もキリアの意見に賛成だ。アナタたちは雪の中をずっと歩き通しだったのだろう? 温かいものを食べてゆっくり休んだ方がいい」

「まあ、それはそうなのだけど……」


 雪の中というよりも、氷の中という表現の方がこの場合正しいのかしら。

 どちらにしても、きっとケイトさんの意見は変わらないわね。

 今も腰に手を当てて、心配そうに顔を覗き込んでくるもの。


「じゃあ、俺はリシャールとシロと一緒に奥の部屋にこもっているから。何かあったら呼んでくれ」


 冥王竜はそう言うとわたしたちの返事を聞かずに、リシャさんとシロちゃんを連れて行ってしまった。

 たぶん、リシャさんとシロちゃんが元のからだに戻るための儀式をするんだと思う。冥王竜は「儀式なんて、そんな仰々しいことをするわけじゃないんだぜ」って笑ってたけど、一体どんなことをするのかしら。


「冥王竜、大丈夫かな」


 氷の洞窟では本人に悪気はなくても、冥王竜はリシャさんの逆鱗に触れてしまったのは、まだ記憶に新しいわ。

 ケンカにならないといいのだけど。


「大丈夫だよ、姫様。冥王竜は完全には理解できてないけど、俺達人族に心から歩み寄りたいと願っているから。ここは彼に任せておけばいいさ」

「うん。そうよね、キリア」


 シロちゃんも一緒だし、きっと大丈夫よね。

 リシャさんだって、文句は言いつつも納得はしてくれてるみたいだったし。


「さて。私は姫達が持ち帰った情報と自分の情報を照合して、少し整理しておきたい。ガルディオ、付き合ってもらえるか?」

「もちろんだよ! 良かったあ。ハウラさんがいないから俺が書いたメモ、無駄になっちゃうかと思った」

「そんなわけないだろう。またハウラに会った時にそのメモを渡してやるといい」

「うん、そうする!」


 太陽のように晴れやかな笑みを浮かべて、ガルくんはケイトさんについて行ってしまった。

 隅に置いてあるソファに二人並んで手帳を開いて、話し合いを始めている。


 ガルくんもグリフォンなのだけど、ケイトさんは彼のことは平気みたい。


 残ったのはわたしとキリア、クロ、そしてライさんの四人。

 特に今はやることないし、どうしよう?

 休むように言われてるけど、何をしようかしら。


 カーテンが開いている窓の外を見ると、空は薄暗くなり始めていた。

 もうそろそろ、夕飯時かな。


「じゃあ、手が空いてる俺がメシでも——」

「今日は俺が作る」


 ライさんが言い終える前に、キリアが言葉を遮ってしまった。とても反応が早かったわ。


 だけど、わたしもキリアには賛成かな。

 ダークマターを生成してしまうくらい料理に関しては初心者なのに、どうしてライさんはこうも自信たっぷりに食事を作るって言えるのかしら。


「何言ってんだよ。お前だって疲れてんだろ、キリア」

「たしかに俺も姫様も疲れてる。だけど、おまえの作った黒焦げダークマターを姫様に食べさせるくらいなら、多少無理をしても作った方がマシだよ。それに疲れてる時は美味しいものを食べたいしね」


 うん、そうだよね。わたしも温かくておいしいものが食べたいわ。


『皆さんお疲れなら、ボクが作りますけど?』


 軽い足取りで歩いてきて、クロが顔を上げて提案してくる。

 

 まあ、クロの作る料理なら安心かな。

 昨日の朝食もとても美味しかったし。もともと手先が器用で、彼ってば小さい頃からなんでもできちゃうのよね。


 断る理由はなかったし、快く頷こうとしたんだけど、キリアはどこか固い表情で首を横に振ってしまった。


「いや、大丈夫だ。今まで十分休ませてもらったんだし、ここは俺が作るよ」


 言葉の端々を強めながら言う彼の口調はいつもと違っていて、なんだかおかしい。

 どうしたのかしら。やっぱり犬が……、ううん、違うわね。

 キリアはクロが苦手なのかもしれない。


『そうですか。じゃあボクは怪しい人が周囲にいないか、少し探ってきます』


 首肯してあっさり返事をすると、クロは犬のままじゃなく人型になって部屋から出て行ってしまった。

 街中で目立たないためなのかな。


 それにしても、いつもとは様子が違っていたような……。


 キラキラしてる目も伏せがちだったし、ピンと張ってる三角耳も尻尾も下がっていた。

 今思えば、氷の洞窟で一緒にいた時もほとんど無口だったわ。

 珍しく落ち込んでいたのかしら。それか、キリアとなにかあったのかな。


 でもキリアは顔色ひとつ変えていなかった。

 肘のあたりまでシャツの袖をまくって、手を洗っている。


 彼に食事の支度を任せておいても、きっとなにも問題ないと思うの。


 わたしはコックではないし、何もできないけれど。ただ見ているだけでは意味がない。

 シロちゃんのように、自分でも行動しなくちゃ。


「キリア、わたしも手伝う」


 彼がどう反応するか気にしつつ、わたしはキッチンに入ってみた。


 見たことのない器具、たくさんの引き出しや戸棚がいっぱい。

 よく考えてみれば、キッチンに入ったのって生まれて初めてだわ。お城の厨房にさえ行ったことがなかったもの。


「姫様は休んでいてもいいんだよ?」


 遠回しに断られることも、予想の範囲内だった。

 彼がこのように言うのは単に優しく気遣ってくれているからというわけじゃなく、一戦を踏み越えてわたしと親しくなりすぎないようにするためだって。

 だんだん分かってきた気がするの。

 だって、最初から今も、彼は自分が騎士だとこだわっているんだもの。


「料理を今までしたことがないからやってみたいの。足手まといかもしれないけど、教えてくれる?」

「別に、足手まといとは思わないけど……」


 やっぱりこんな言い方、ずるかったかしら。

 キリアは優しいもの。足手まといって言うと、まず肯定はしないと思ってた。


 でも本当のところ料理なんて初めてだし、わたしが助っ人に加わっても単に足手まといでしかないと思う。


 ライさんのことなんて言えないわ。わたしだってダークマターを作ってしまうかも。


「やっぱり手伝おうか?」


 ひょっこりと顔を出して、ライさんが心配そうに言った。

 わたしたちが言い合いをしているように見えたのかも。


 いけない。ここで彼に入ってこられたら、キリアの負担が増えちゃう。


「ライさんはそこでじっとしてて!」

「ひどい……」


 思わず力んじゃった。強く言われたのがショックなのか、ライさんは背中を丸めて行ってしまったわ。


 悪いことしちゃったかな。

 でもとりあえず、ライさんのことは置いておこう。わたしが今考えるべきなのは、キリアをどう説得するかよ。


「ちゃんとした方法を学んでおきたいの。誰かになんでも任せきりのままでいたくない。一人でもちゃんとしたものを作れるようになりたいの。それに、」

「それに?」


 うう、どうしよう。いざとなると恥ずかしくなっちゃう。

 でも言わなきゃ。がんばれ、わたし。


「それにいつか、キリアに私の手料理を食べてもらいたいからっ」


 言っちゃった。ついにわたし、言っちゃったわ。

 かあっと顔が熱くなってくる。

 とてもまともに見れない気分だったけど、おそるおそるキリアを見ると、彼の顔も赤く染まっていた。


「……うん、了解。簡単な作業だけでも、姫様に手伝ってもらおうかな」


 口もとを片手で覆って、キリアは目を逸らしたままなんとか頷いてくれたのだった。

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