[7-3]王女、白い鳥に会う
「クロ、どうしたの!?」
森の奥へ行ってみると、クロは白く降り積もった木の間に立って、遠くを見つめているようだった。
周りに狼達は一匹もいない。どういうことなのかしら。
『あっ、姫さま。ご無事で何よりです』
くるりと振り返って、黒い長い尻尾がリズムよく揺れる。
うん、いつも通りのクロだわ。
「わたしは大丈夫だけど、なにがあったの? 狼たちのすごい声がこっちまで聞こえてきたのよ」
『そうですか。でも実は、ボクもよく分からなくて』
尻尾がピタリと止まり、三角耳が少し下に傾く。困ったように森の奥をもう一度見つめる彼に声をかけたのは、ガルくんだった。
「一体何があったのさ?」
『はい。狼達はたしかにいました。例に漏れずひどい呪いが入り込んでいたので駆逐しようと思ったんですけど、飛びかかろうとしたら一目散に逃げちゃったんですよね』
「逃げちゃった……?」
オウム返しのようにそのまま返すと、クロはこくりと頷く。
『はい。今まで遭遇したどの狼達も逃げたりはしなかったので、違和感を覚えたんです。だからと言って深追いしてしまうと、姫さまとはぐれてしまいますし』
「そうだね。単独行動をしてしまうと遭難してしまう危険がある。ただでさえ、この森は魔物の巣窟になってるかもしれないしな」
腕を組んで諭すように冥王竜は、そう言った。
視線をクロから外したかと思えば、かれはわたしを見て笑う。
「狼達も出てきたわけだし、固まって行動しようか」
「そうだね。その案には俺も賛成」
頷くと、隣でキリアも首肯した。
空は重たそうな雲で覆われていて、森の中は静まり返っている。
さっきまで精霊達が騒いで、狼達が活動していたはずなのに。
しんしんと降り積もる雪を踏みしめて、わたしたちは先に進むことにした。
その時だった。異変の理由が分かったのは。
『何をしに来た』
森の中に鈴の音のような声が響き渡る。
不意に髪をあおるような突風が吹き荒び、冷たい雪が顔や服を叩き始めた。
「きゃっ、何!?」
小さな雪のかたまりはコートにぶつかって、粉々に砕けていく。
痛みはなく、ただ冷たいだけ。それでも静かだった森の中が、その一陣の風で騒然となり始めた。
『きゃああああ、マモノォ————!!』
どこに隠れていたのか、
異変を感じたのか、様子見をしていた森のキツネやシカたちまでもが、あっという間に姿を消してしまった。
やっぱり、ただごとじゃない。
動物や精霊、呪いに侵された狼達が怯える存在って、もしかして——。
「ついに〝世界の嘆き〟が出てきた、かな」
わたしたちを庇うように、冥王竜は前に立ってくれた。
紺青の尻尾は宙に浮いていて、骨だけの翼も大きく広がっている。
かれも緊張しているのかしら。
『答えろ。何しに来たと聞いている』
二度目の突風に混じって聞こえたのは、透明なソプラノボイス。女の人みたいなきれいな声だった。
キリアが前に出て、今度は吹雪から守ってくれた。
「姫様、大丈夫?」
「う、うん。ありがとう、キリア」
一番前に立つ冥王竜が問いかける。
「あんたがいにしえより存在する氷の魔物……〝世界の嘆き〟なのか?」
おそるおそるキリアの後ろから顔を出す。
ずっと昔にグラスリードを滅ぼしたと言われる、古代の魔物。
どんな姿をしているのか、すごく気になって仕方なかった。
雪をかぶった樹々の間、真白い地面に立ち、精霊達や森の獣達を怯えさせる、その正体は——、
「とり……?」
まるで市場に売っている雪まんじゅうのような、純白の鳥だった。
『トリじゃなーい! シロだよ!!』
バサバサと羽根をバタつかせて、鳥が抗議している。
威厳のあった言葉遣いが一瞬のうちで崩れちゃってるんだけど、もしかしてこっちの方が素なのかな?
尾羽が長くて、雪の上を引きずってるのも気にせず、キッとわたしたちを睨んでいる。
アーモンド型の小さな瞳は、曇り空みたいな薄いグレーだった。
「ご、ごめんね。あなたには名前があるのね」
『そうだよ! とーっても大事なシロだけの名前なんだからっ』
トリ呼ばわりしちゃったのが気に入らなかったみたいで、シロと名乗る鳥さんはからだを膨らませて怒ってる。
たぶんみんな、予想外にも魔物が可愛らしい姿をしていたものだから、びっくりしちゃったんだと思う。
最初に現実に返ってきたのは、ガルくんだった。
「冥王竜、あのまんじゅうみたいな鳥が本当に国一つを凍らせた古代の魔物なの? 全然強そうじゃないんだけど」
うん、言いたいことは分かる。
いにしえの時代、国をひとつ滅ぼした呪いを身に宿す魔物が、こんな愛らしい姿をしているだなんて。
わたしも信じられない気持ちだもの。
「うん、たしかにあの子は〝世界の嘆き〟だね。ただ、本体ではなく、どうやら眷属——いや、分身かな。あの子からはそんなに大きな力を感じないし」
振り返った冥王竜は苦笑していた。
今は翼を折りたたんでいるし、浮いていた尻尾も地面についている。
安心していいってことなのかな?
『分身、ですか。そんなことできるんですね』
首を傾げて、クロが不思議そうな顔をしている。
普通は無理だものね。
「大抵の魔物は無理だけどね。あの子は特別だろう。たぶん、今本体は王子と融合していて身動きが取れないから、あの姿なんじゃないのかな?」
『なるほど』
雪の上に腰を下ろして、クロは素直に頷いている。
危険はもうないってことなのかしら。
『んもうっ、シロを無視しないでってば!』
白い地面の上で、ぽよんぽよんと跳ねてシロちゃんは猛抗議している。
まるでボールみたいな動きだわ。かわいい。
「姫様、気をつけて。害がなさそうに見えても、どう動くか分からないからね」
「う、うん」
手を差し出してきたキリアの顔は真剣そのものだった。
彼のてのひらに自分のてのひらを重ねながら、こくりと頷く。
いつだってキリアは当たり前のように、手を握ってくれる。
手袋越しでも、わたしはいつだって触れることすら恥ずかしいのに、彼は顔色ひとつ変えないんだもの。
騎士として誓ってはくれたけど、やっぱりわたしのことは何とも思ってないってことなのかしら。
わたしはこんなにもキリアのこと、意識してるっていうのに。
「えーと、シロでいいのかな? 無視はしてないよ。その先に用事があるから、どいてくれないかな」
冥王竜の言葉でハッとする。
シロちゃんを見ると、つぶらな瞳でわたしたちを睨みつけていた。
『何しに来たって、さっきから聞いているでしょう?』
「あんたが呑み込んだヒトの子に用があってきたんだ」
再び、雪が混じった突風がわたしたちを襲った。
頬にぺしぺしと雪が当たって冷たい。
思わず手袋であたためようとしたら、かゆくなってきちゃった。
『リシャを殺しにきたの?』
真白い鳥は羽根を広げてわたしたちを威嚇する。
吹雪は止まらない。
冷たい風がわたしの髪をあおる。
さむい。今にも凍えてしまいそう。
ふと、風が止まった。
不思議に思って顔を上げたら、またキリアが壁のようにわたしの前に立ってくれていた。
「リシャ? それって、あんたを取り込んだヒトの子の名前かい?」
ごうごうと唸る風の音に混じって、冥王竜の声がはっきりと聞こえる。
答えは返ってこなかった。だけど、
『この先へは行かせない。もう二度と、あなたたちなんかにリシャを傷つけさせはしないんだから……!』
ただ、悲鳴のような叫び声が胸に突き刺さったのだった。
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