Il nostro rosso mediterraneo もしも世界初の社会主義国家がイタリアだったら?

Yuusaさんの産業廃棄物最終処理場

プロローグ

1914年6月28日、サラエボで放たれた凶弾は全世界を巻き込む大戦争となった。クリスマスまでには帰れる。そういった願望も叶わなかった。この戦争の転換点は1917年3月8日、ロシア二月革命だ。これにより、ロシアが戦争から離脱。東部戦線の消滅により、ドイツ軍は他の戦線に部隊を回せるようになった。これに焦りを感じたフランスは1918年の春に大攻勢を行うもがただ死者を積み重ねていっただけであった。その後、ドイツ軍が1919年にカイザーシュラハトを行い、フランス軍の戦線は崩壊。パリ近郊で立て直せたものの、双方はこれ以上攻勢をする余力を持っていなかった。

一方、バルカン戦線はドイツ軍が協商国の防衛戦を突破。後方に浸透し、ギリシャを降伏させた。

さらに、イタリア方面では、1919年7月に二重帝国が戦線を突破し、そのままローマを占領。また、フランス方面もマルセイユを占領した。だが、ローヌ川に到達したところで戦線が止まり、終戦まで全く動かなかった。

戦線が全く変わらない状況が2年間も続いた。 そして、1921年11月11日に双方は講和。中央同盟側の辛勝であった。イタリアは親墺的なイタリア連邦に再編されることになった。しかし、この決定に不満を持ったイタリア人がローマで蜂起を起こし、イタリア臨時政府が樹立。サヴォイア家をサルデーニャに追放し、オーストリアへの抵抗を始めた。これに対して、二重帝国は武力で鎮圧。反乱軍を南イタリアに追い詰めた。だが、ナポリで反乱軍が激しく抵抗。戦線は停滞し、1924年に停戦条約が結ばれた。その後、1925年にイタリア臨時政府はサンディカリスムの台頭が起き、イタリア社会主義共和国に国名を変更。また、赤化イタリアは大規模な軍拡を開始。これに危機感を覚えたイタリア連邦も軍拡を進めた。その後、イタリアは世界各地に社会主義やサンディカリスムなどを広め、同志を作っていった。

そして、時は1930年代。世界は混沌で満ちていた。スペイン内戦、中国共産党の急速な拡大。サンディカリスムなどの左翼勢力が世界各地で拡大を続けていた。それでも何とか平和は保てていたが、1939年9月1日にイタリア社会主義共和国がイタリア連邦に宣戦布告。これに対して、イタリア連邦に独立保障をしていたオーストリア帝国がイタリア社会主義共和国に宣戦布告。また、オーストリアと協力体制にあったドイツ帝国も参戦し、戦火が広まった。これにより、第二次世界大戦が始まった。

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