再会


 教師として戻って来るつもりの澪に対し、


「もう譲らなあかんやろ」


 と、澪が教育実習で来ると聞いた最初から清正は、禅譲するつもりでいたようである。


「立場に恋々としとったらあかんねんて…」


 時代は変わる。


 その変わり目は、いつか誰にも分からない。


 ただ分からないのであれば、おのずから動いて分かれ目にしてしまって、変わり目を先に作ってしまえば良いのではないかとすら、清正は見ていたようであった。


「人は立場に就いた瞬間から、引き際を考えておくもの」


 出処進退、おのずから決す──およそアイドル部らしからぬ発想ながら、しかしスクールアイドルという世界に、漢学やスポーツの着想を持ち込んで、誰にも思い付かなかったであろう特色を作り出したのは、紛れもない清正のオリジナリティではなかったかとすら思われるのである。


 彼女たちメンバーの中にある廉潔さや、真摯に向き合う愚直さを、清正は信じていたのかも知れない。


 むしろ信じていたからこそ、隻眼になっても揺らがなかったといえよう。



 澪が久々に見るアイドル部は、メンバーが変わっただけで練習風景は変わらない。


「やっぱり懐かしいな」


 美波の隣に座ると、澪は何やら思い出したことがあったらしく、


「あのとき、美波がいなかったら、美波がかばってくれなかったら、同好会の段階で存在はなくなってたかも知れないね」


 あのときの美波にすれば、それは感情に任せたただの青臭い正義感でしかなかったらしいのだが、


「でも、グッチーの役に立てたのは嬉しかったし、何より私も居場所が出来たから」


 澪のおかげだと謝意を述べた。


「今のメンバーたちも、同じようにここが居場所になるのかな」


「それには何としてでもグッチーが先生になって、戻ったり出来るように残さなきゃ」


「うん」


 澪はリュックとヘルメットを手に取ると、


「そろそろレポート書かなきゃ」


「澪はバイク通学なんだから、事故らないでよ」


「ありがと」


 卒業してすぐ、配達のアルバイトのために二輪の免許を澪は取っている。





 毎日、澪は鮮やかな黄色のリトルカブに乗って坂を登る。


 生活のために乗り始めたバイクであったが、今では気に入って乗っており、たまに銭函の海岸や石狩、あるいは近場の温泉まで行ったりもする。


 そんな澪を見て最初に関心を寄せたのはメカに強いひかるで、


「私も二輪取ろうかな」


 ライラック女学院はアルバイト限定であれば二輪は免許取得が許されている。


「免許もバイト代も手に入るから」


 というので、日曜日に原付免許を取ってから朝刊配達のアルバイトを始めた。



 そうしてある程度貯まったタイミングで小型二輪を取り、親戚の家の倉庫に眠っていたスーパーカブを譲り受け、暇を見て手直ししてから、ひかるは乗るようになった。


 そんな平日の放課後、部室の前でアイドル部の看板を眺めている生徒を、ひかると優子は見かけた。


「うちが話しかけてみるけん、待っちょってや」


 優子は話しかけてみた。


「…あの、もし?」


 彼女は無言で挨拶したあと、優子と少しだけ話をしてみた。


 しばらくして彼女は去った。


「…何か、見学してみたいって言うてたんやけど、声が小そうてあんまり聞き取られんかった」


 優子は残念そうに言った。


 土日の練習で、ひかるはカスタマイズしたスーパーカブで部室まで通うようになり、


「ひかる、ライダー目指してるの?」


 さくらや薫には冷やかされたが、ひまりだけは嬉しそうに、


「今度タンデムさせて?」


 と言った。


「ひまりちゃんは何ともないの?」


「うん」


 ひまりはイタズラっぽく笑顔を返すと、


「彼と乗ったことあるから大丈夫」


 と明かした。



 ひまりの彼氏は諸岡一郎いちろうと言った。


「年も離れてるし、並んでたらよく親戚のお兄ちゃんと間違われるんだけど」


 もともとアイドル部に入る前から知り合いで、


「最初は狸小路で、しつこいナンパに絡まれてたのを助けてくれて、それからは同じアーティストが好きだったから仲良くなって、たまに一緒にご飯食べたりして」


 付き合うようになったのは最近らしい。


「だから、私がアイドル部にいるのも知ってるし、邪魔しないように彼も気を遣ってくれてて。大人に気を遣わせるのは心苦しいんだけど」


 理一郎は苦痛とも思わず、むしろ目立たないようにひっそりひまりの家へ来て、自宅でデートをして帰ってゆく。


「たまに買い物とかあると、後ろに乗せてくれるんだ」


 写真を見ると、優しそうな雰囲気である。


「だからね、私…代替わりしたらアイドル部を辞めて、彼と一緒になろうって思ってて」


 だから今は集中して練習してる、とひまりは言った。



 しかしアイドル部は恋愛は基本的に厳禁で、発覚したら即日退部で戻ることは許されない。


「もし…バレたら?」


「もちろん知ってる。けど、私は彼を選ぶ」


 そこまでいさぎよく言われては、ひかるは何も言い返せない。


「欲張ったら良くないのも分かってるし、いろんな迷惑がかかるのも分かってる。でも本気なんだ」


 覚悟の据わった人間ほど、強いものはない。


「だからひかる、言うなら言っていいよ。私はそんなことじゃひかるを恨まないし、最悪バレたら、全て私が辞めれば済む話だし」


 ひまりが心底から彼を想っていることだけは、ひかるには痛いほど伝わってきた。


「…分かった。ひまりちゃんに出来る限り協力する」


「それはひかるにまで累が及ぶから」


「ここまで打ち明けられて、ひまりちゃんを裏切るようなことをしたら、それは人間としてどうかと思う」


 ひかるはメカが強いぶん、大切なものが何かも分かっているようで、


「だって仲間は信じるもの、だもんね」


 アイドル部の基本理念を、ひかるは口に出した。


「ひかる…ありがと」


 ひまりは静かに微笑んだ。


 ひまりの秘密を知ってしまったひかるだが、


(でも、ひまりちゃんが抜けたらリードボーカルが一人になるし…)


 しかしそれ以上に、ひまりが全てを犠牲にしてでも大事にしたいと考えているものの存在を知っただけに、


(そこまで想われてるなんて、しあわせだよね)


 自宅のパソコンと向き合いながら、ふと幸福だの本質だの考えることがひかるは増えた。


「…想われたり想ったり、か」


 あまりにも毅然とした態度のひまりに、アイドル部とは何だろうと、ふと考え込んでしまう。


 もっとも、普段からシステムだのバナーデザインだの考えることの多かったひかるは、


「ひかるはいつもパソコン前で悩んでるよね」


 などと薫やさくらに言われたりもしていたので、誰も何も訊いてこないところが救いでもあった。



 ひまりは日曜日の夜、理一郎とタンデムでツーリングを楽しむ。


 毎週ではなかったが、夜風に身を預け、少し武張った男らしい理一郎の腰を抱いて、髪をなびかせ疾駆する感覚は、普段では到底味わい難いものであったらしく、


「ね、こうやってくっついてていい?」


「ひまりが良いなら良いよ」


 理一郎はヘルメットの中で口笛を吹きながらスロットルを繰ってゆく。


 ひまりは誰の何の曲かは分からなかったが、いつも理一郎が吹く口笛を伴に、海岸や星の美しい展望台への瞬間を楽しんでいた。


 誰にも明かせない秘事であり、しかし時には止められない衝動に駆られそうにもなり、この不安定でアンバランスな気持ちが、アイドル部として活動するには障壁であることを、ひまりは自覚していたはずなのだが、


「でも…好きなものは好き」


 つぶやきは風にかき消された。


 自身でも、持て余していたのかも分からない。



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