危機


 このときひまりやるなの他、香織と英美里、優子が修学旅行に行っていたのだが、


「私たちの世代って、地味だよね」


 割当てられていた部屋で英美里が言った。


 今の三年生には、七月の例の記者会見で名を挙げたみな穂がいる。


 その前の世代は、圧倒的な人気の雪穂と、今ではシンガーソングライターとなったすみれ。


 その上は、伝説的な存在の藤子。


 そしてその一つ上がののか。


「これだけすごい人がいると、私たち何したらいいんだろってなるよね…」


 ある意味、プレッシャーではある。


 英美里たちの一学年下は、だりあという次世代のエースがいる。


「ダーリャはあの可愛らしい顔で落語なんてリーサルウェポンがあるから、ちょっと勝てないよね」


 るなが深く息を吐いた。


 重たい空気が部屋を支配してゆくなか、


「いちばん売れそうなのは、ひまりかるなだけどさ」


 香織が言った。


「あとは優子ね」


 英美里は、秋から優子がラジオのレギュラー番組を広島で持つことを聞いている。


「私と英美里は…」


「コンビ組んでお笑いやる?」


「容易く言わないで」


 香織は一笑に付した。


 確かにファンの間では谷間の世代と呼ばれ、


「みな穂先輩に隠れてるけど、イリス先輩なんか海外公演したりしてるしさ」


 カホンからパーカッションの世界に入ったあやめは、様々なアーティストと組んでツアーに行ったりする、その道では知られたパーカッショニストとなっていた。


「でもさ、イリス先輩みたいに努力したら、私たちも上に行けるかな?」


「…夢だけは持っとこ」


 英美里は香織の頭を軽くポンと撫でた。



 だけどさ、と英美里は、


「二年生の段階でスポットライト浴びてなかったら、芽はないような気もしなくはない」


 小さくもらした。


 因みに体育祭は土日を使って開催される。


 その初日の昼休み、英美里や優子、香織の二年生メンバー三人が集まって弁当を使っていると、


「英美里!」


 声に英美里が驚いたのも無理はない。


 函館にいるはずの母親が、なぜかいるのである。


「アイドル部なんか辞めて、早く受験勉強しなさい!」


 遊ばせるために札幌の私立に通わせている訳ではない、というようなことを、したたかに放言した。


「あなた、聞いたら主力メンバーじゃないっていうじゃない」


 英美里には痛い箇所を衝いた。



 このとき。


「いわゆる、モンスターペアレントっちゅうヤツじゃねぇ…」


 優子が思いつくまま、ぬるま湯のような言い方をした。


 が。


 これがいけなかった。


 余計に英美里の母親が逆上したらしく、


「ほら、お母さんまで恥かいたじゃない!!」


 英美里の手首を掴んだ。


「離して! いいから離してってばっ!!」


 これを事情の分からない一般生徒が誘拐と勘違いしたらしく、警察へ通報した。



 体育祭の最中に警察が出張るなど前代未聞である。


 結局は誤解もほぐれたのだが、


「とにかく連れて帰ります」


 母親は一点張りで聞かない。


 担任も説得し切れずに困じ果てたとき、東京での仕事から戻って来た清正を担任が見つけると、


「嶋先生、今村くんのお母さんがどうしても彼女を函館に連れて帰るって、聞かないんです」


 泣きつくように走り寄ってきた。


 折しも清正は東京での情報番組でコメントを求められた際、


「例えば高校野球やサッカーのように、スクールアイドルにも全日本連盟のようなものを創設すれば、子どもたちの夢が広がるのではないかと思ってまして」


 と発言したばかりで、その物議も冷めやらぬ中での帰道である。


「通学が不可能なら、うちには通信制があるやないですか」


 たった一言したたかに放言し、一瞬返す単語すら見つからず唖然としたが、


「…そういうことではありません!」


 母親が言い返した。


「因みに今村さん、あなたの言動は教育の基本に抵触していますからねぇ」


 母親は顔色を失った。



 かいつまんで話しますが、と清正は、


「われわれ教諭というものは、子どものありとあらゆる権利を守るために存在するもので、これが公立私学問わず日本の教育の基本となっています」


 さらに、と続ける。


「これには子どもの主権を認め、出来る限り保護者は子どもの主張や権利を尊重しなくてはならない…と法では定められてあります」


「だから何と?」


「今村さん、あなたは英美里さんの主張や権利を尊重していますか?」


 母親は言葉に詰まった。


「うちの学校には外国からの留学生もいます。仮にその留学生の母国政府から、日本では子どもの権利を守れない親と学校があると指摘されたら、あなたはその問題の責めを負えますか?」


 理詰めで平静ながら、完膚なきまでに叩きのめすような物言いをした。



 結局、英美里は無事にアイドル部にも学校にも残れた。


「先生、ありがとうございます!」


 英美里が深々とお辞儀をした。


「まぁワイはワイなりに言うただけやけどな」


 いつもの飄々とした清正に戻っていた。


 しかしこれが英美里を変えた。


「私、弁護士になる!」


 次々と知識を楯に、英美里を守ろうとする清正の姿勢を見て、意識が変わったらしかった。


 そうなると英美里は行動が早かった。


 図書館から六法全書の解説書を借りて読み始めたのである。


「武器がなければ見つければいいんだって、先生が示してくれたような気がする」


 英美里は目覚めたようであった。



 この英美里の変化は、結論から言うとさくらや薫の意識も変えることとなった。


「武器を身につける」


 かねがね清正が是としていた方針である。


「かわいいだけではダメで、これからは強くなければアカン」


 確かにデビューしたメンバーに言える共通項は、かわいいだけではない何かがある──ということであった。 


 藤子には文学、すみれには歌唱力、雪穂は演技力がある。


 その点みな穂は「私には何もないよ」と言いつつ、実は知識に裏打ちされたリーダーシップがある。


 力がないと、アイドル部では生き残れない。


 アニメ好きな優子がコスプレを隠さなくなったのも、英美里の件の影響のあらわれかも知れない。



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