愛煙の地底都市人
巨橋 宝
プレリュード
煙人間。
連中はおれみたいのをそんな風に呼ぶ。
なんともひどい話だ。
なにも、人を化け物みたいに呼ばなくたっていいと思わないか?
「おい、煙人間。そいつをしまえ。いますぐだ」
おれが咥えたもんを見て奴はすぐさま噛みついてきた。
中年の皺の寄った顔の周りは
全身貧相な身なりだが、銀の小手を誇らしげにひっつけているあたり、こんななりでも一応
仕様がない。
おれはいう。
悪かったよ、あと十歩ばかり歩いてから楽しむことにするさ。
いきずりの人々はぎょっとしておれを振り返った。
ちょいと茶化しただけだぜ。
大袈裟な。
胡散臭そうにこちらの風体をねめまわして、とっとと行けとばかりに顎で門を指し示す。
おれは、大股できっちり十歩歩いて門を潜るとあらためて懐からそれを取り出した。
火打袋から
いそいそと着火作業に入りながらちらと見ると、さっきの
あれじゃあまるでなんでもかんでもとりあえず一言咎める玩具のからくり人形だ。
人形くんは門番という仕事を“そういう奴”をいびる権利だと履き違えている下っ端の従卒に違いない。
面と向かって煙人間と言われるのも気分のいいもんじゃない。
おれたちが口から煙を吐くのにはちゃんとした顛末がある。
“
おれたちは刻んだ藤黄を葉巻にしたものの端に火をつける。
燻し出された煙を一時体内に取り込んで体外へ吐き戻す。
ただそれだけのことだ。
なにも胃が燃え上がってもくもくと煙を吐くわけじゃあないのである。
喫煙は立派な嗜好のひとつだ。
が、それを僧会の連中が「邪教の儀式の延長線上にあたる行為」だなんだと騒ぎ立てはじめたのがけちのつきはじめだった。
今じゃどこも禁煙、禁煙、禁煙。
まったく嘆かわしいね。
体内に藤黄の煙が満たされていくのを感じながら、物悲しげに揺れる
市門からこっちはごつい練色を晒す
それらの窓からは残らず人々が生活の臭いを醸していて、通りに巻き上がる砂煙以上に空気を籠らせていた。
雑然とした一景からぐるりと首を巡らせると、石堀の創造神の厳めしい表情が見える。
彼らは今しがた潜った門の両脇に直立し、その間をゆれる人の頭を見下ろす。
門のあちら側には荘厳な大鐘楼がその頭を天に向かって伸ばしていて、まるで祝福されるかのごとく雲間の光のようなものがそこへ差し込んでいた。
あれは僧会の寺院で、その神々しさに多くの人々が祈りを捧げに広場へ集い、大鐘楼にひれ伏す。
その様は純粋な神への信仰というよりもまるで天上への羨望みたいに見える。
皮肉なもんだ。
“天上”って言葉は、ここでは神秘的な響きも、霊的で清浄な意味合いも含まれない。
下の世界の者が真っ当な世界のことを言い表しているだけのことだ。
なぜ、あの鐘楼がありがたがられるか、という話をしよう。
そりゃあ人格神やら暴風神やらが祭られていれば頭のひとつでも下げておけって話にもなるかもしれない。
しかし話はそれだけではない。
あそこに射し込む光は、この街で唯一拝むことができる日の光なのである。
わかってもらえただろうか。
おれが煙を燻らすこの街は青空に見放された地底深くにあるのだ。
人はここを、シバ市の
祈りを捧げている広場は天界とはほど遠い地中の大空洞の街に存在するし、あの光は天を覆う重苦しい岩肌を穿って地表まで伸びた大井戸から漏れてくる太陽光だ。
おれたちの頭上は漏れなくどっかと横たわる強硬な地層に覆われている。
地中にぽっかりと空いた虚空。
大空洞には、驚くほど多くの人間が住んでいる。
いやいや住んでいるのは人間だけに留まらない。
南の大陸から流入してくる異形の蛮族、
人間と
それがシバ市の
余所見をしながらぼんやりと思いを巡らせて歩いていると足元をふらつく四つ足の生き物を踏み潰しそうになった。
おれの不注意に憤慨して、そいつは低い唸り声で威嚇してくる。
邪魔なのはこいつの方だ。
が、まあいい。
こいつについてはおいおい話す。
この奇妙な四つ足のことは触れるのさえ面倒だ。
それよりもたったいま歩いているこの道について話そうじゃないか。
ここは非常に魅力的な通りなのである。
目の前に続いている道がやけに圧迫感があるのは、大空洞の中にあっていい女の腰みたくきゅっと締まった部分にこの通りが位置しているからだ。
岩壁が左右から迫ってきていてそこに四、五階建ての色褪せた
地底にまで街を造り上げる大都市ウヴォにおいて“喫煙処”と揶揄される通り道。
噂のハヌディヤー通りときた。
なぜおれがそんな最果てを目指しているのかって、理由は簡単だ。
その理由のひとつはおれ自身もいわゆる外れ者であるということ。
もうひとつは、そんなならず者の楽園にならば腹を膨らませるなにかがあるはずだという根拠のない夢をおれが持っている、ということだ。
「酒代に一切合切を注ぎ込んで、食い扶持をなくすとは。まったく、情けなくってため息が出るな」
空腹で判然としない頭に足元からせり上がってくるようなだみ声が響いた。
おれは黙って足元を見降ろした。
四つ足のそいつは呆れ返ったような顔でおれを見上げている。
おれは四つ足から視線を逸らすと再び前を向いた。
だみ声が不機嫌そうに尖る。
「おい、無視をするな!」
ウヴォと呼ばれるこの街は神秘に満ちている。
例えば上空をふわふわ浮かんでゆく小舟だとか、臆面もなく通りを歩いていく青い肌の男がそれだ。
時代は変わった。
そりゃ昔は良かったさ。
でも
宙に浮かぶことができればいつだって地上に顔を出せる。
そう思い込んだ人々がいやになるほど地底に押し込められることになった。
その実どれだけの地底の民が地上と行き来してるかって話はさておき、地上じゃ巨大な船が空を飛び、さらに天空に向かって馬鹿高い塔をぶちあげてるって話も聞く。
ここまでくれば、なんでもありじゃあないか?
ぐうっ、と腹が鳴る。
ああ、腹が減った。
そう、おれはいささか腹が減りすぎている。
そうしてまともな活力を頭に送ってやれない状況のおれが四つ足に話しかけられているのだという錯覚を起こしていたとしても、それは致し方ないことだ。
そうだろ?
手元の
畜生。
折角の暇潰しもこれでお終いだ。
どこかへ追いやっていたはずの欲望の面影が顔を出す。
それすなわちとろっと甘い密にくぐらせた団子の舌触りや、きつい芋の匂いのする蒸留酒の心像である。
ためしに左手に握っていた瓢箪を持ち上げてくる。
からのような手応えのその容器にはおれの思い違いで一口分くらいの酒が残っているかもしれない。
舌を出して、その上で瓢箪をひっくり返してみた。
ぴちゃ、と物悲しげな音を立てて、水滴が顎のあたりに落ちた。
誤魔化しも限界だった。
おれの頭はようやく食い扶持を探すために本腰を入れて働きだす。
でも、ハヌディヤー通りはそんな風に腰をいれて歩くものじゃあない。
いいかげんじゃなきゃならない。
そうでないと数奇な縁を引き寄せちまうのさ。
そう。
おれは知ってる。
なぜなら、この時のおれがこんな気持ちで歩いていたせいで、奇妙な芝居に巻き込まれてしまう羽目になるからだ。
そいつは夢に狂った一人の男の話だった。
それはありふれていて凡庸で、どこか物悲しい
いや、奴に言わせればこれはあくまでどこまでいっても“喜劇”なのだろう。
奴は物語の最後に言ったさ。
「英雄が命を懸けてやり通したことがあるみたいに、例え死ぬことになったとしてもやりたいことが、おいらにはある」
まったく馬鹿げてる。
そうは思わないか?
自分が死ぬための法を自分でこしらえるなんて、どれだけ暇で仕様がなきゃそんなことをおっぱじめられるのか聞いてみたくなる。
そう。
おれはまだ奴を許せていない。
だから奴の話をするんならおれの口から語れることはそう多くない。
このハヌディヤー通りの住人はよくしゃべる。
事のあらましを聞きたければそっちに聞いてみればいい。
ただし奴らが勝手に哲学やら美学やらを語りだして、それをあんたが聞くような憂き目を見たってそれはおれの知ったことじゃあない。
それでもいいっていうんなら、そうだな。
まずはおれに無視されて不服そうな、足元のこの四つ足にでも聞いてみたらどうだい。
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