一番近くて、一番遠い場所
ゆーり。
一番近くて、一番遠い場所①
「あーあ、雨とか最悪・・・。 今日の予報、晴れだったんじゃないの?」
予告もなしに、突然降ってきた雨。 小雨だったらまだいいが、結構な量の雨が降っている。 このままずぶ濡れになって走って帰るのも恥ずかしかったため、女は近くにあった公衆トイレへと駆け込んだ。
中は、公衆トイレだとは思えない程の清潔感が保たれている。 立ったままでいるのも疲れると思い、洋式トイレへ移動し蓋の上に座った。 スクールバッグからタオルを取り出し、濡れた身体を拭く。
―――暇になったなぁ。
―――携帯は学校で禁止だから持ってきていないし、することがない。
―――こんなところで課題をやる気分にもなれないし・・・。
そのようなことをぼんやりと考えながら暇を持て余していると、隣の男子トイレに誰かが入っていく足音が聞こえてきた。 だが、しばらく経っても外へ出る足音は聞こえてこない。
―――もしかして、私と同じで雨宿りをしに来たのかな?
そう思うと、持ち前の好奇心が疼いた。
―――どんな人だろう?
―――雨が止むまで暇だから、声をかけちゃおうかな。
足音が聞こえるということは、おそらく壁は薄いのだろう。 互いの姿は見えなくても、声だけで会話ができると思った。
「もしもーし」
「・・・」
「あのー、聞こえていますかー?」
「・・・」
「おーい! そこの、男子トイレのお兄さーん」
「・・・俺に言ってんのか?」
返ってきた声は、思ったよりも若い声だった。 自分と年齢があまり離れていないかもしれないと思うと、少しだが嬉しくなる。
「そうそう! いるなら返事くらいしてくださいよぉ」
「こんな時に話しかけてくるとか、信じらんねぇ」
どうやら相手は女とは違い、今会話をすることを嫌がっているようだった。
「まぁまぁ、固いことは言わずに。 お兄さん暇でしょ?」
「いや、俺は今スマホゲーをやっているから忙しい」
「世間ではそれを、暇と言うんです」
「言わないから」
「何のゲームをやっているんですかー?」
「・・・」
返事はなかった。
―――興味がありそうなゲームの話を投げかけてみたけど、何か嫌そうだし止めておくかな。
無視されても、めげないのがこの女だ。
「お兄さん、私とお話しません? 雨宿りをする男と女が、一つ屋根の下! もしかしたらこれが、運命的な出会いだったら面白いと思いませんか?」
「公衆トイレで運命的な出会いだって? ムードもへったくれもないな」
「まぁまぁまぁ。 それはそれ、これはこれ」
「は?」
男は完全に無視はしていないようで、反応はしてくれる。 すぐに言葉を返してくれるため、話のリズムがとてもよかった。
「お兄さんは、彼女さんとかいるんですか?」
「いないけど。 アンタは?」
「いたらこんなこと、していません!」
それを聞いた男は、フッと鼻で笑う。
「それもそうか。 じゃあ、恋人を求めるためにいつもこんなことをしてんの? 飢えているんだな」
「馬鹿を言っちゃいけませんよ。 お兄さんに運命を感じたから、話しかけてみたんです」
「話しかける前の段階だと、俺の声すらも分からないだろ。 今だって、互いの顔は見えないんだぜ」
「あ、それは大丈夫大丈夫。 私、顔よりも中身重視なんで。 お兄さんがひょっとこみたいな顔をしていても、中身さえよければ私は愛せるので!」
キッパリと笑顔で言い切ると、男がすぐさま突っ込みを入れてきた。
「いや、それ、ひょっとこに失礼だろ」
「え? ま、まさか、本当にひょっとこみたいな顔を・・・」
「んなわけねぇだろ」
冗談だとは分かっていたが、否定されたことに安心する。
「ですよねー。 場所が悪いから声がくぐもっちゃってますけど、割とイケてるんじゃないかなと思っています!」
「どうだかな」
「あれれ? 否定しないということは、なかなか自分に自信あり? ちなみに、私の声からの印象はどんな感じですか?」
「普通」
それを聞いて、女は思わずムキになった。
「ふ、つ、う!? いや、もっと何かあるでしょう! さえずる美しいスズメみたいだとか、西欧の綺麗なハープのようだとか!」
「それ、自分で言ってどう思う?」
「どう思う、って・・・」
―――・・・。
自分でよく考えてみる。 改めて思うと、途端に恥ずかしくなった。
「・・・すみませんでした。 私が全面的に悪かったです」
「・・・声がどうかは知らないけど、俺はアンタのこと嫌いじゃないよ」
「え・・・」
「“雨が止まないでほしい”って思うくらいには、今の時間を有意義に感じてる」
思いもよらなかったその言葉に、女は分かりやすくたじろいでしまう。
「え、え、ちょッ・・・! い、いきなりそんなこと言われたら、ドキドキしちゃうじゃないですか!」
「吊り橋効果じゃね?」
「ロマンないですねぇ」
「公衆トイレなんかで、ロマンを求めんなよ」
「乙女はいつでも、夢を見る生き物なのです」
「ふーん・・・」
この後、少し沈黙が訪れた。 だがあまりの恥ずかしさに耐えられず、誤魔化すため他の話題へ変える。
「・・・雨、止みませんね」
「だから、止まない方がいいって言っただろ」
「なッ、またそういうことを言う!」
「・・・傘、持っていないのか?」
そう言われ、大袈裟に溜め息をついた。
「持っていたら、こんなところで雨宿りなんてしていませんよ。 もしかして、お兄さんは持っているんですか?」
「・・・持っていないけど」
「ですよねー!」
「嘘。 本当は持っているんだ」
あまりの否定の速さに、一瞬言葉を失ってしまう。
「・・・え? マジですか!?」
「マジだよ」
「・・・その、帰らないんですか?」
「・・・」
疑問を沈黙で返した男。 そんな彼の心情を、女なりに考えてみた。
「・・・あ、もしかして、私に気を遣ってくれてます?」
「そういうわけじゃない」
「私も、お兄さんと話してるの凄く楽しいですよ」
「なッ・・・!」
「ふふ。 今、顔が赤くなりましたね!」
「なってねぇから!」
「とか言いながら、私が本当に見ていないのか確認しているお兄さん、かわゆ」
そう言って、クスリと笑う。
「・・・え、マジで見えてんの?」
「そんなわけないでしょう? 見えててほしかったんですか?」
「あまりからかうなよ」
「見えないから楽しいんです」
溜息交じりの言葉に、女は変わらず笑顔で返す。
「・・・それは、否定しないけど。 俺も容姿より中身派なんだ。 鼻ちょうちんみたいな顔だったら、流石に嫌だけど」
「えぇ!? 人ですらない!?」
「冗談だ」
これも冗談だと分かっていた。 だから即座に否定されると、多少気分が上がってしまう。
「素直でよろしい。 許して差し上げます」
「随分と上から目線だなぁ・・・。 歳はいくつ?」
「乙女に年齢を聞くんですかぁ? 減点です!」
「年齢を気にするような歳じゃないだろ? 流石にその辺りはわきまえているから」
「おぉ、それは素晴らしい!」
意外と大人な対応に、思わず拍手を送った。
「・・・俺は18」
「おっと。 先制攻撃ときましたか」
「寧ろ全面降伏だろ」
「じゃあ、それよりも“下”とだけ言っておきましょう」
「そう。 俺、年下が好きだぞ」
あまりのストレートな発言を聞いて、少しだけドキッとしてしまう。
「・・・え、いきなりですね? 私は年上が好きですよ」
「利害の一致だな」
「うーん。 何か違うような気もしますが」
考え込むようにしてそう返すと、大きく息を吐く音が聞こえてきた。
「ふぅー・・・」
「・・・え、もしかして深呼吸!? 公衆トイレで深呼吸って、正気ですか!?」
「馬鹿を言うな。 傘を貸してやるから、もう帰りなよ。 これ以上話をしていると、俺の調子が狂う・・・」
「え、何本持っているんですか?」
話をしているのは楽しいが、止む当てもないのにずっとここにいるわけにもいかないのは、自然だった。
「一本だけど」
「そしたらお兄さんの分がないじゃないですか」
「いいんだよ。 俺は走って帰るから」
「そんなの悪いです! というか、お兄さんは雨宿りをしに来たんじゃなかったんですね」
そう尋ねると、男は悩むことなくすぐさま答える。
「あぁ。 傘を差しながらじゃ、スマホゲーができないからな」
「うわ。 歩きスマホは駄目ですよぉ、危ないから」
注意すると、数秒後に素直な返事がきた。
「・・・善処しておく。 ほら、早く帰れ」
「でも・・・」
「年下は黙って、年上の言うことを聞いておけばいいんだよ」
揺らがない男の意思に、女は溜め息をついて折れたフリをする。
「・・・分かりました」
「よし」
「とでも言うと思ったか!」
「は、はぁ!?」
「一緒に帰りましょうよ! そしたら、二人共濡れなくて済みますし!」
「いや、でも・・・」
「家は、どっちの方面ですか?」
「・・・坂城町、だけど」
まさかの回答に、女は目を丸くした。
「えッ、本当ですか!? 私も坂城町住みです!」
「マジか」
「本当に運命を感じちゃいますね!」
「あ、あぁ・・・」
「じゃあ、行きますか」
「・・・そうだな」
二人は同時に公衆トイレから出る。 その瞬間――――互いの姿を見て、またもや同時に固まった。
「って、お兄ちゃんかーい!」
-END-
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