地球の自殺

モズク・ウミノ

プロローグ 群青艦町

暑い夏の日だった。

彼がいるこの場所は、山と海の見える九州地方の町・群青艦町。

いる、というよりは彼に乗っ取られたと言ったほうが正しいだろう。


数日前まではただの学生だった僕は、その町に入るゲートが僕の為に開かれた瞬間に心からの緊張と、そして半分の諦めを感じていた。

16年間の人生。良くも悪くもなかった。むしろ悪いことの方が多かったかも。

でもきっと、どんな16歳でも今感じる幸不幸の比率なんてそのぐらいなのかもしれない。そう信じたい。


「しっかりやってこいよ」


今日初めて顔を合わせた自衛隊のおじさんがそう言って僕の背中を押した。反対の手には片耳につけるタイプのBluetoothイヤホンが乗せられていた。僕はそれを受け取って耳にはめる。片耳だけ聴力が半分くらいになって不自由だ。


「極力つけていてくれ。しかし、"模倣体"が外せと言えば外して構わない。"模倣体"の機嫌は損ねるなよ。」

「わかりました。」


僕だけがゲートの中へ、町へ入っていく。ゲートの中にある群青艦町はしんとしている。彼以外いないので当たり前だが、さっきまで何十何百という人に囲まれていたので不思議だ。この町は彼以外存在していないのに、町の境界線ギリギリを沿うように大勢の人々がこの町を目玉をひん剥いて24時間凝視している。僕は今からその大勢の視線の中へ入るのだと思うと、急に絶望に近い恐怖心を感じた。僕は目立ちたがりのタイプではない。こんなに大勢に、ひいては世界中から注目されているというのは、ストレス以外の何ものでもない。

数日前まで僕はあの大勢の中にいてこれまでの「お気に入り」を観察していたが、彼らはずっと、こんなに嫌な気持ちを抱いていたのか。人間、なってみないとわからないとはよく言うが、なってみれば最悪の気分だ。数日前までの自分に戻るか、外の人間全員にこの気持ちを説明して、理解してもらって、今すぐ視線を送るのをやめてもらいたい。

土台、無理な話だとは思うが。


僕は群青艦町を歩いていく。8月真っ只中のこの町には本当にやかましくて怒りたくなるほど蝉があちこちで泣いている。ミーンミンミンという一匹の蝉の鳴き声に別の蝉がミーンミンミンと輪唱している。そうして僕は全方位から蝉の声に囲まれて、なんだか気持ちが悪くなってくる。音波で攻撃をされているみたいだ。もしかしたらもう"模倣体"から僕に対する攻撃が始まっているのかもしれない。僕は"模倣体"についてはそこまで詳しくない。ニュースで連日報道される、一般大衆向けのゴシップめいた情報をおもしろおかしく知っているだけだ。もしかしたら機密事項として隠されているから僕らが知らないだけであって、"模倣体"が蝉を操れる能力を持っているかもしれない。"模倣体"なんだからそれくらいできて当然だ。


だって、"地球の模倣体"なんだから。


あらかじめ用意しておいた熱中症予防の効果がある、ジュースのような飲料水の蓋を開けてゴクゴクと乾いた喉が求めるままに流し込む。全体の3分の1くらい飲んだところで蓋を閉め、もう一度肩掛け鞄に戻す。家で冷やしておいたやつだったので、もうぬるくなっていた。


僕は指定場所である夜明神社を目指す。夜明神社はゲートからは歩いて30分程度の所にある。夜明け神社に入る前には、夜明け橋という真っ赤な橋がある。形からして結構古くに作られたもののように見えるが、その橋はきっと最近塗り直されたんだろうと思えるくらい真っ赤だった。しかし橋はコンクリートの地面に沿うように建てられている。コンクリートの橋なら、そんなに古くないのかもしれない。


橋を越えると、大きな鳥居が僕を出迎える。これまた塗り直したような真っ赤な鳥居だった。古いような、新しいような、正方形の紙と藁の紐で作られたよく見る飾りが着けられている。僕は別にこういった和の宗教的なことに関心がないのであれの名前は知らない。あれがどういった効果を持つのかも知らないが、今、事実として"地球の模倣体"がこの神社を乗っ取って世界に恐怖を危機をもたらしているのだと考えれば、結局、こんな偶像崇拝を作ったところで人間は誰一人として救われることはないのかもしれないと考える。無論、精神的な面で救われている人間というのは大勢いるのかもしれないので、きっとこれを誰かに話したところですぐに面倒臭い言葉の羅列で論破されるのかもしれないが。


…いや、もう、そんな論破してくる人間さえ 僕は会うことがないんだった。


もう一度、覚悟と諦めを心に刻んで鳥居を潜る。その先には神社へと続く長い石畳の道があった。道の脇には、かつては営まれていたのであろう、田舎らしい商店や小物のお店が連なっている。普通に観光程度にこの場所へ来たかった。そうすれば、田舎らしい情緒を感じながらこの石畳を軽やかに歩けただろう。

商店が連なる石畳の終わりへ来ると、遂に神社へ繋がる石の階段が現れる。そこまで長くはない、簡単な階段だ。一歩一歩、踏みしめたりすることはなく、まるで学校へ登校していくように登っていく。


入り口にあったよりは小さく、色も真っ赤ではない鳥居を潜ると、ご神木であろう大樹が双子のように並んでおり、僕はその間の石畳の道を通っていく。

双子の大樹を抜けると、目の前には手水がある。まず手を洗うのは神社参拝の基本だと、小さな頃に母親に習って、毎年初詣の時にやらされていたので身に染み付いている。

僕は別にこれから参拝にいくわけでもないが、なんとなく洗わないといけない気がしたので、その水を柄杓にとり、手を片方ずつ洗った。制服のポケットからハンカチを取り出すと、手を拭いた。このタオルは家を出る前に母親が涙ながらに持たせて来たものだった。よく見ると、僕の名前の頭文字である「S」が刺繍されていた。今ここに来て、もうすぐ死ぬということを肌で実感してきた僕にとってそれは暖かい日の思い出の残照のようであり、少し涙ぐんだ。


今ここで何を思っても始まらない。僕は涙を拭い、乱暴にポケットにそのハンカチをしまった。


左手にあった色とりどりの鯉が泳ぐ池を無視し、さらに伸びていく石の階段を登っていく。間も無く拝殿だ。石段も終盤になってきたところで拝殿が視界に入って来る。赤い壁に緑の屋根。どこにでもある普通の拝殿だが、ここもやはり最近塗り直されたように真っ赤で、夏の強い日差しに照らされた赤はあまりにも攻撃的に、その色を視界に投げ込んで来る。

目を細めながら石段を登りきると、その拝殿と、絵馬やおみくじをかけるところ、右手にはかつてお守りやおみくじを売っていたであろう売店のようなものが見える。後ろを振り返ると、拝殿の正面に広いスペースがあった。ちょうど清水寺の舞台のようにそのスペースだけがせり出している。石畳と、鳥居と同じような真っ赤な柵に囲まれて存在しているそのスペースに、"彼"はいた。


「よお アンタが新しい相棒?」


赤い柵にもたれ掛かり、陽気に左手を挙げた"彼"が何一つ曇りのない笑顔を向けて来る。パーマをかけているように両サイドに広がった、緑のような金髪のような髪に、青いレンズの丸いサングラス。アロハシャツのように総柄の入った薄いシャツの下には白いTシャツを着ていて、トレンドを追っているかのような今時の紺色のカーゴパンツとビーチサンダルを履いている。


テレビで見た、"模倣体"その人だった。

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