第6話 棺おけホテル その二
LEDの青白い光にその人は照らされていた。うしろ姿だ。白いワンピースのようなものを着ている。真っ白な髪が長く背を覆っていた。
(女……?)
でも、背丈は低くない。少なくとも百七十センチくらいはありそうだ。
ちょうど、青蘭と同じくらい。
なんだろうか。
この香り。
青蘭がとなりにいるからか?
鼻腔をくすぐる花のような……。
もっとよく見たいと思い、龍郎は身をのりだした。せまいカプセルのなかに二人も入っているから、少し体の向きを変えただけで足や肘が壁にあたる。コトンと床をけった音が、女にも届いたようだ。ゆっくりとふりかえる。
その顔を見て、龍郎は息を呑んだ。
これは昼間の幻影の続きなのだろうか?
ナイアルラトホテップが見せた死人の青蘭。
そこにいるのは、青蘭だ。
そのおもては二つとないはずの美貌。
だが、どこか違う。
(目の色だ)
青蘭の瞳は黒い。光に透けると、切子ガラスのような瑠璃色に変わる。
でも、この女の瞳は片方がグリーン、もう一方は淡いブルーだ。
「アスモデウス……か?」
いや、アスモデウスにしては幼い。十五、六の少女だ。それにアスモデウスは巻き毛だったが、少女の髪はストレートだ。
戸惑っていると、アスモデウスのような少女はすべるような歩調で近づいてきた。龍郎のいるカプセルは上から二段めだ。目の前に来ると、少女の目線がピッタリ前に来る。
目と目があって、龍郎はゾッとした。
少女の目には感情がない。
まるで死人だ。
やはり、これは夢の続きだろうか?
アスモデウスの顔をした死人の少女。
龍郎が凍りついていると、今度は別の足音がした。廊下を歩いている。カプセルはここだけではなく、いくつかのフロアにわかれて設置されているようだから、そっちの泊まり客に違いない。
だが、その足音はしだいに近づいてくる。何か変だ。まだかすかだが、この匂いは……。
やがて廊下の角をまがり、男が現れた。スーツを着ている。いやに背が高い。枯れ木のように影が長く伸びる。
おどろいたことに龍郎の知っている人物だ。フロアに入ってきたのは、島崎弁護士だった。
島崎は東京在住のはず。
なぜ、この時間にこんなところを歩いているのだろう。残業でもしたのだろうか。
それに、鼻をヒクヒクさせながら近づいてくるようすは、正気とは思えない。犬のような動作で床をかぎまわっている。
「ああ……こっちだ。あの匂いがする。美しいあの……」
つぶやきながら、島崎はイヒヒと笑った。昼間に見た真面目で堅物そうな印象は、もはやどこにも残っていない。
(悪魔化しかけてる)
目つきが正常ではなかった。
島崎は四つ足で走りながら、直前まで来て、ようやくアスモデウスに酷似した美少女に気づいた。困惑ぎみの顔をする。
「あの人……? 匂いが……でも、違う?」
そのつぶやきで悟った。
島崎が探してるのは青蘭だ。
昼間、青蘭と出会ったとき、彼のなかに悪魔の種がまかれたのだ。
青蘭にひとめ惚れして、欲望を抑えきれなくなって、ここへ来た……。
今なら、まだまにあうだろうか?
島崎はもうほとんど悪魔になりつつあるが、完全に悪魔と化しているわけではない。浄化すれば正気に戻るかもしれない。
龍郎は急いで、カプセルの外へ出ようとした。が、青蘭が抱きついてきて離してくれない。
「青蘭。起きて。マズイよ。島崎弁護士が悪魔になりかけてる」
青蘭は「うーん」とうなって、寝ぼけたことをつぶやいた。ほら、飛べるよ、とかなんとか。スカイツリーの夢を見てるようだ。楽しい思い出になったようで、それは嬉しいのだが、今は困る。
「青蘭。起きて。大変なんだ」
「龍郎さん……」
カプセルのすぐ外では、少女と島崎が対峙している。
島崎は自分の探している青蘭に似た少女の出現に戸惑っている。
急にニヤリと笑った。その口が異様につりあがる。
ダメだ。あのまま裂けて、悪魔になる。
少女が何者なのかわからないが、このままでは島崎に襲われる。
龍郎は青蘭の手をふりほどき、カプセルからとびおりた。
しかし、そのときにはもう遅かった。
島崎が少女に抱きつくような格好でとびかかっていく。
感情のない無反応の少女だ。このまま島崎に食われてしまう。いや、島崎は匂いから言って、淫欲の悪魔のようだ。無防備な少女が悪魔の餌食になってしまう。
そう思ったのに——
次の瞬間、信じられないことが起こった。
獣じみた跳躍力でとびつく島崎の前に、少女はサッと片手をあげた。少女の人差し指が島崎のひたいのまんなかにあたる。
まるで電線がショートしたように、島崎の体は奇妙な光に包まれ、数瞬間、宙に浮いた。
龍郎はエネルギーの流れを感じた。
島崎の体から、少女の指先へ、生命の力が流れこんでいくのを。
やがて、島崎は消し炭のようになって床に落ちた。生命エネルギーのすべてを吸いつくされている。
(この子。人の……悪魔化しかけていたとは言え、人間の命を食った)
それは青蘭が快楽の玉のなかに、退治した悪魔の魔力を吸収するのに似ている。
「……君は、何者なんだ?」
龍郎の問いに答えはなかった。
そのとき、どこかから口笛が聞こえた。少女はその音に反応して、とつぜんすばやい動きで駆けさっていったから。
(悪魔を分解して、吸収する力。まるで……)
龍郎は無人の廊下に立ちつくした。
自分の知らないところで何かが始まろうとしているような、不穏な心地が重くのしかかってきた。
了
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