フィッシャン・ティアーズ

「そういえばミーチャさん。出かける前に預かったお魚は、どうされたんですか?」

「前に話を聞いた、跳躍鰱トビタナゴだ。水路に引っ掛かって暴れてたから俺が仕留めたら、くれた」


 キッチンで一時保管区画ストレージから出してもらうと、業務用のデカいまな板から完全にはみ出る。

 そらそうだ。丸々と太って体重は七、八十キロ、体長も百五十センチはあるもんな。


「食えるけど、それほど美味くはないらしい。あと、小骨が多いとか言ってたな」

「試しに調理してみましょう。この雨で、しばらく銀鱒ギンマスの入荷はないでしょうから」


 大きな料理用ナイフを出して、ヘイゼルはサクサクと解体を始める。目の粗い櫛といった形の鱗落としスケイルリムーバーでザクザク鱗を剥ぐと、頭と尾と鰭を――ドラゴンの翼みたいなデカい胸鰭も――落として三枚下ろしにする。えらく手際が良い。


「たしかに骨離れは悪いですが……小骨というには大きいです。処理は、そう難しくないですよ」


 身の内側を手をなぞりながら、ヘイゼルはヒョイヒョイと骨を取り除いてゆく。


「身の張りは良いですね。水っぽさはないですし、肉質も香りも悪くないです。運動量が多いのか脂の乗りは薄めですが、そこは調理次第でしょう」


 この魚が不味いのではなく、調理法が悪かったのではないかという判断か。俺も食べたことはないので、なんともいえない。身は美味そうな色をしていて、見た感じはスズキシーバスに近い。


「少しだけ味を見てみましょう」

「寄生虫は大丈夫か?」

「DSDは生物を収納できませんから、預かったときに弾かれています」


 あら意外な便利機能。

 キッチンでフライパンを温め、薄い切り身を簡単に塩だけで焼いてみる。立ち昇る香りは、たしかに悪くない。

 切り分けて口に入れると、わずかに癖はあるが不味くはなかった。


「食性によるものか、苔のような風味がありますね。かなり淡白ですが、これは良いです」

「ヘイゼルちゃん、なんでウキウキしてるのニャ?」

「この魚は、わたしの国でフィッシュ&チップスの定番だった真鱈コッドに似ています。藪猪脂ラードで揚げると、きっと美味しいですよ」


 それを聞いてエルミも嬉しそうに手伝い始める。巨大な跳躍鰱は半身でも二、三十人前はありそうなので、俺たちの夕食分くらいを切り分けて残りはヘイゼルのストレージに戻す。


「今夜は“ふぃしゃんちっぷ”にするニャ?」

「そうですね。今回は大きめにしましょう。お皿に盛って、ナイフとフォークでいただくのが正統派オーソドクスです」


 下味付けと衣はエルミに任せて、ヘイゼルは付け合わせ用の豆と野菜と卵を用意し、スープを温め始める。


「タルタルソースを作りますね」

「それじゃ、芋剥きは俺がしよう」


 キッチンには英国製の皮剥き器ピーラーもあったけど、大きくて凹凸が少なく芽も取り易いゲミュートリッヒの丸芋はナイフを使ってリンゴのように剥いた方が楽だ。

 素材が揃って揚げ始めたところで、階段からマチルダが降りてくる音がした。


「おーい、こっちだ」


 まだ本調子には程遠いらしく、明らかにヨレヨレしている。

 腹は減ってるんだろうし、見たところ血も足りない感じがした。


「……スマん、美味ソウな匂いがシてたカラ、ツイ……」

「おう、もうすぐ出来る。そこに座っててくれ」

「身体が弱ってるようですから、まずはスープを飲んでいてください」


 店舗ではなく居住スペースのテーブルに座らせて、ヘイゼルが用意していたスープを出す。

 ハンマービークのガラで出汁を取ったコンソメ風のものだ。


「……ウマいナ。身体ニ……魔力が、満ちルようダ」

「それは良かった」


 その間にもシュワシュワと揚げ油が小気味良い音を立てる。音と色で揚げ上がりを確認して、エルミとヘイゼルが油切りに入る。


「いまさらですがマチルダさん、食べられないものはありますか?」

「……虫は、嫌いダ。他は、なんデも、食べられル」


 俺も虫は抵抗ある……というか、そもそも食べたことがない。けっこう世界中に昆虫食の伝統はあるようだけどな。


「それじゃ、いただきましょうか」


 それぞれの大皿に巨大な跳躍鰱トビタナゴフライと、山ほどのフライドポテトチップスが盛られる。ヘイゼルによれば英国での標準提供サイズと言ってるが、魚だけでもハードカバーの本くらいある。

 添えられているのはレモンに似た柑橘類と、雉子鶉キジウズラの卵と地物野菜で作ったタルタルソース。

 そして見慣れない緑のソースもだ。


「ヘイゼル、これは?」

「マッシーピーという、グリーンピースをペーストにしたソースです」


 日本人には馴染みがないけど、試してみると味はイケる。魚のフライにもポテトフライにも良く合う。

 ヘイゼルの作ったタルタルソースは日本で出回っていたものよりドレッシング感のあるものだけど、これもサッパリした味わいで美味い。

 俺たちが食べるのを見ながら、マチルダもフライを器用にナイフとフォークで切り分けながら口に運ぶ。

 どうやら美味かったようで、わずかに目が見開かれた。


「コレは、何なのダ?」

「“ふぃしゃんちっぷ”っていう、お魚とお芋の料理なのニャ」

「ふム。コノ、濃い香りハ?」

「藪猪っていう、この辺で獲れる動物の脂だ」


 魚に小麦の粉を付けて、脂で加熱するという説明をしたが、マチルダのいたところで似た料理はないようだ。

 肉を植物の油に漬ける料理はあるそうだが、一般的ではない。そもそも油脂類が高価なのだとか。


「コレは美味いナ。うン、実ニ、美味い」


 魔族娘は、泣き笑いの表情で平らげてゆく。泣くほど美味いのかと思ったけれども、そういう感じではなかった。


「マチルダちゃん、どうしたニャ?」

「ああ、スマん。……故郷クニの兄弟タチにモ、喰わせテ、やりタイものダと、思ったのダがナ」

「うん」

「……そレで、思い出しタ。ワタシの……最期の、記憶ダ」


 食事中なので気を遣ってディテールは端折ったようだけれども、それが壮絶な状況だったのは十分に伝わってきた。彼女は狩りの途中で魔物の群れに襲われ、何頭かに臓腑を貪り喰われながら別の魔物が大きな口を開くのが見えて……


「そこデ、ナニもかも、真っ暗になっタ」


 そこまでスプラッターな状況であれば、召喚されたのが必ずしも悪いことでもないような気もしないではないが。幸か不幸かは俺が判断することでもないし、まして死後の行先を他の誰かが勝手に決めて良いわけもない。


「……もう、クニには。……帰レんのだナ」


 まだ、わからんが。可能性は限りなく低い。マチルダはまだ若いし、家族との仲も良かったようだ。根無草の無職でしかなかった俺のようには割り切れんだろう。

 涙と鼻水を流しながらフィッシュ&チップスを頬張るマチルダを見て、俺たちは掛ける言葉がなかった。

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