第16話 聖人

 鐘の音が厳かに響く大聖堂。

 ステンドグラスから色とりどりの光を浴びた「聖女像」は柔らかな微笑みをたたえ祈りを捧げている。


 その「聖女」に見守られながら左手に錫杖を持ち、右手を翳した大司教がゆっくりとその手を少年の頭上へと下ろした。


 ジョージは祈りの姿勢のまま静かに目を開く。

ステンドグラスからの光が眩しいほどに降り注ぐ中、彼の瞳も鮮やかな色彩を放った。

 やがて大司教は静かに口を開くと、厳かな声でこう告げた。


「尊きジョージ。ここに新たなる「聖人」の誕生を祝す」


 その言葉と共に、大聖堂の中は割れんばかりの拍手に包まれた。

 祝福の声を浴びながらジョージは立ち上がり振り向いた。

 ダンはその姿に涙を溜めながら剣を捧げた。


 この瞬間。ジョージは「聖人」と認められたのだった。



 セイントツリー。この村は春には野花が夏には木陰が秋には動物達が冬にはかまくらに灯された火が導く。


 村の小さな門をくぐると澄んだ小川と青々と葉が茂る田畑が広がり、村の中心にそびえる大きな木は来村を歓迎するかのようにその枝葉を揺らす。


「おめでとうジョージ!」


 村の広場に声が響いた。

 世界樹の実のケーキ、山の恵み、川の恵み。そしてマリアの愛情たっぷりの薬湯茶。

 村の名物であるそれらを前に村人達は口々に祝福の言葉をジョージに贈った。


「へへっ、みんなありがとう。なんだか恥ずかしいよ」

 

 「聖人」の認定を受けたジョージはこれから「聖人」としての期待と責任を背負わなくてはならない。それなのに何をすべきなのか、どんな生き方をすれば良いのか。まだ何も知らないのにとジョージは少し不安気に笑う。

 マルケス達を助ける為に西の山へ行き、クロと出会い、初めて世界樹を植えた。

 それから、あれよあれよと言う間に「聖人」認定まで来てしまったのだから気持ちが追いつかないのだ。

 けれど、村の人達もマリアとアレン、クリストファー達はそんな事は分かってくれているようで、ジョージが「聖人」となってもこれから先も変わらず接してくれるだろうと安心感もある。

 それはとても心強い事だ。

 そして何より…………。

 ジョージは隣でお座りをして村を見回すクロを見た。

 クロは相変わらず何を考えているのか分からない表情で、それでもどこか誇らしげだ。

 こうしてクロと一緒にいる事が当たり前になって行くのだろうとジョージの胸の奥がじんわりと温かくなった。


「ジョージ君! ど、どどどどうしようっ!」

 

 左腕にシロを抱え、右腕をゲルガーに捕られたダンが真っ赤になりながらジョージに助けを求め縋り付いて来た。


「ダン、シロを渡せ⋯⋯や、違うっジョージからもダンを説得してくれ」

「うああぁっ! まさか、そんな⋯⋯僕がっ」

「まって、まって。二人とも落ち着いてよ」


 詰め寄る二人にジョージは思わず吹き出した。


「だって、ゲルガー騎士団長が⋯⋯騎士候補生にならないかって! そんな僕が騎士⋯⋯に」

「ダンには騎士になる素質が備わっている。腕もさることながら相手を思いやる気持ちは騎士にとって一番大切なものなんだぞ」

「でも、僕は⋯⋯」


「騎士たるもの強く、優しくあれ──ゲルガーの信念だったな。ダンは最も適性があると思うが?」

「──っ! ぴゃああぁぁ! く、クリストファー、へ、陛下っ」


 ポンと肩に置かれた手の主を振り返り見たダンは妙チクリンな悲鳴を上げて片膝を付く。それを面白がったシロとクロがダンの両脇にお座りすると、その姿は一体誰が「聖人」なのかとあちこちから笑いが上がった。


「ダンはジョージの騎士となるのだろう? ならば悩む事はないのではないか?」

「僕⋯⋯は、ジョージ君の騎士です⋯⋯でも、あの、僕は「聖人の騎士」になれるのでしょうか」


 不安そうに見上げるダンにクリストファーは声を上げて笑う。


「なれるか、ではないだろう? ならなくてはならない。違うか?」

「──っは、はいっ!」


 大きく返事をしたダンの頭を撫でると、クリストファーはジョージへと視線を向ける。

 その表情はどこか楽しげだ。


「ジョージ、ダンと君は迷う事がこれからもあるだろう。しかし、君達にはマリアとアレンが付いている⋯⋯私達、もな。だから君達の信じる道を進めば良い」

「はい」


 クリストファーの言葉に力強く答えたジョージに満足したように一つ大きく息を吐いたクリストファーはゲルガー、フィール、ハイデンと頷き合った。

 自分達の若い頃。正しさを共に目指し、正義を信じ共に進んで来た道。これまでの道は一人では歩んで来れなかった。

 仲間がいたからこそ、今ここに立っている。そして、これからも信じた道を歩いて行く。

 そう語るクリストファーはとても優しかった。


「あ、来た来た。無事にゲートを通れたみたいね」


 アレンに促されながら世界樹の樹洞から姿を現したマルケスとダドリー。そしてアンジェルとパーシーの姿にジョージは驚いた。

 村と王都を繋ぐマリアの「聖女のゲート」は世界樹とシロが認めた人しか通れないはず。


「ジョージ、彼らがお前に謝りたいそうだ」

「父さん⋯⋯うん。でも、マルケス達と僕は──」


 マルケス達はジョージが「聖人」だから。「聖女」マリアと「聖女の騎士」アレンの子供だから。有力者であるフィール、ハイデン、ゲルガーの寵愛を受け、後見人がクリストファーだから謝るのか。

 マルケス達は貴族だから平民を蔑むのは当然、しかしジョージは有力者達に守られているから謝る。その考えが彼らの正義なのだからジョージとは相容れない正義なのだ。それならば謝罪はいらない。


「⋯⋯だから、無理にマルケス達が気持ちを捻じ曲げているなら、謝られたくないんだ」

「違う! 俺は⋯⋯俺が馬鹿だったんだ」


 ジョージの言葉にくしゃりと泣きそうな顔を上げたマルケスが叫んだ。


「俺達は⋯⋯利用されて⋯⋯いや、これは言い訳だな。

俺達は、俺達の意思で動いた。そこにお前を巻き込んだ。本当にすまなかった!」

「俺達は勘違いしていたんだ。俺達は偉いんだって思い込んでいた。ごめんな、ジョージ」

「私が悪かったの。マルケスを止めなければならなかったのに、ごめんなさい」

「ごめんね、ジョージ君」


「ごめんなさい」


 四人は揃って頭を下げた。

 そんな彼らを見て、ジョージは困ったように笑う。

 ジョージにとって彼らは身分と世界が違う貴族。

 それでも、彼らが自分の言葉を聞いてくれたこと、謝ってくれたことは嬉しかった。

 ジョージは彼らのことを嫌いではないのだ。


「分かった。マルケス達の気持ちを信じるよ」


 村と王都を繋ぐ「聖女のゲート」は世界樹とシロが認めた人しか通れない。マルケス達はゲートをくぐれた。それは彼らの気持ちが本物だと世界樹とシロが認めたと言う事だから。

 だからこそ、ジョージは彼らの言葉を素直に受け取った。


「ふふ、謝ってくれてありがとう。あのね、私から歓迎の薬湯茶を振る舞いたいのだけれど。さあ、どうぞ」


 嬉しそうにマリアが盆に乗せた薬湯茶をずいっと差し出して微笑んだ。

 「聖女」が自ら淹れる薬湯茶。それは、身体に凄く良く、健康と長寿の象徴。どんなにお金を積もうがどんな物を貢ごうが「聖女」の気が向かなければ飲む事が出来ない「特別」な薬湯茶なのだと王都で噂になっている。

 「聖女」マリアの「特別」な薬湯茶。いつしか彼女には「薬湯茶の聖女」と二つ名が付いていた。


 実際にはマリアは会った人殆どに薬湯茶を勧める。相手が躊躇しようが愛想笑いをしていようが。「変な噂が流れてるのね」とマリアはケラケラ笑う。


 マルケス達は目を輝かせて「ありがとうございます!」と元気に応え、勢いよく薬湯茶を煽った。


「あ⋯⋯!」

「これは彼らの試練だ」


 彼女は「聖女」として彼らを受け入れたが、「母親」としてのちょっとした仕返しのつもりなのだ。そんなマリアにアレンは苦笑しながら並ぶ菓子からクッキーを取る。


「うああぁぁ⋯⋯にがぁあー!」

「うっぐ⋯⋯うぇ」


 薬湯茶の苦味と青臭さに悶えるマルケス達の口へぽいぽいとクッキーを放り入れ、アレンはクッキーの真実を語った。


「マリアのクッキーは凄く甘いだろう? 薬湯茶の苦味を和らげる為にそうしているんだ」


 そうだったのか。今更ながら薬湯茶を苦手とするクリストファーは納得がいったと吹き出した。

 昔も今もマリアは「他者優先」。それは変わらないのだなと。


 薬湯茶で悶えていたマルケス達はやっと落ち着いたのか、息を整えてから涙目でジョージを見つめる。

 ジョージは優しく笑って言った。


「母さんの薬湯茶、いつでも飲みに来てあげて」


 その笑顔に、四人はホッとしたように表情を緩める。

そして、彼らが再び謝ろうとするのをジョージは止めて「へへっ」と笑い、大人達はそんな彼らを優しく見守った。



 世界樹の下、賑やかな輪から抜け出し火照った気持ちを冷ますジョージはどこかふわふわとした夢心地だとクロと二人、肩を並べて西の空を見ていた。


 村人とお客様達はまだ宴を楽しんでいる。

 大きくなったり小さくなったりするシロに抱きついているのはハイデンとフィール、ゲルガーだろう。

 「うわぁっあ!」と響いている叫び声はシロに戯れられたクリストファーだ。

 そんな大人達を唖然とした表情で目を瞬かせているのはマルケス達。それもそうだろうとジョージは笑う。

 クリストファー達は彼らにとって畏敬の存在。その彼らが子供のように戯れ声を上げて笑っているのだから。


⋯⋯ジョージの世界樹も喜んでる⋯⋯

「うん。僕も感じるよ」


 不思議な感覚だった。

 まるで世界樹と一体になったかのような錯覚さえ覚える。ジョージは胸に手を当てて目を閉じた。

 すると心の中で世界樹の声が聞こえるのだ。それは言葉ではなく感情そのもの。優しく温かい想いが流れ込んでくる。

 ジョージの心に染み入る世界樹の温もり。世界樹の根が大地に張り巡らされ自分へと繋がっているのだと感じるのだ。


「ジョージ君、のぼせちゃった?」

「ダン君。うん、ちょっと冷やしてるんだ」


 ぽすん。とクロの隣に座ったダンが「僕もだ」と照れたように笑う。

 二人はしばらく何も言わずにただ並んでいた。

 沈黙を破ったのはジョージだ。


「僕、学園を卒業したら、旅に出る」


 その言葉にダンは驚いたように顔を上げる。その表情は何故か寂しそうだった。


──ああ、そうだ。


 ダンは貴族。ジョージのように思い付きで行動出来ないのだ。

 それでもジョージは続ける。もう決めた事だ。そして何より、この気持ちを誰かに伝えたかった。


「僕、村しか知らなかったんだ。王都に行って学園に通って知らない事が沢山あるんだなって。知りたいんだ。僕」


 世界を知りたい。今まで自分の周りだけしか知らなかったから。

 ジョージの言葉にダンは眩しいものを見るかのように目を細めた。そしてジョージの手を取り強く握ると真剣な表情で見つめてくる。


「ジョージ君は凄いね。ちゃんと自分で考えて決断出来る⋯⋯。うん、僕も覚悟を決めた。だから⋯⋯一緒に旅へは行けない。僕は騎士団に入る。僕は騎士になる。「聖人の騎士」としてジョージ君の隣に並べるように」


 「聖人」と「聖人の騎士」はマリアとアレンのように本来なら共に在るべきなのだろう。

 けれど、自分達には自分達の在り方があるのだ。


 それぞれの道を行く。その道は平行を辿り、いつか交差する。それが自分達の生き方、ジョージとダンの「聖人」と「聖人の騎士」の在り方なのだ。


「でも、緊急事態の時はちゃんと助けを求めて。何処にいても何があっても駆けつける」

「本当に? アリーと一緒の時でも?」

「え! 待って、それは悩むな⋯⋯」

⋯⋯ダン、アリーとジョージ、どっちが好き?⋯⋯


  クロのとどめにダンが頭を抱えて呻く。

 ダンとの出会いもマルケス達との出会いも村を出たからこそ。

 ジョージはまだ自分の「聖人」がわからない。分からないなら知れば良いのだ。そうすればいつかきっと、自分はこの選択を誇れるようになるだろう。


「クローっ! もふらせろ!」

「フィール! 抜け駆けは許さん」


 フィールとハイデンが叫びながら迫って来た。後ろに続くのはクリストファーとゲルガーを背中に乗せたシロ。

 マリアがケラケラと大笑いしながら、アレンがマルケス達とやれやれとした体でやって来る。


⋯⋯クロ、クリストファー乗せてあげて⋯⋯

「まて! シロ! うわっあぁぁ」

⋯⋯クリストファー飛ぶ⋯⋯

「よせ! クロ! いい! 飛ばなくてっ! あぁぁー」


 シロがぽんとクロの背中にクリストファーを投げた。

 とすん。と受けたクロはクリストファーの叫びを空に響かせた。


「いいな⋯⋯次は俺」

「いいや、俺だ」

「まてまて、僕でしょう」


 いい歳をしたハイデン達がキラキラした目で乗り物の順番を待つ子供のような事を争う。


「ハイデン様達のモフ好きは変わりませんねえ」

⋯⋯クロ、飛ぶの上手になった⋯⋯

「シロもクロの事好きよね」

⋯⋯うん。ボク、クロ好き。クロはジョージ⋯⋯

「ええ、シロは私。だものね」

⋯⋯ボクはマリア。マリアはボクの聖女⋯⋯


 シロは尻尾を振り、ジョージは呆れたように、ダンは困ったように、マリア達は楽しそうに。クロがクリストファーを背に乗せ優雅にぐるりと村の世界樹を回るように飛行する姿を見上げた。



 ジョージが「聖人」と認められたこの日は皆で声を上げて笑ったのだった。

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