悪役令嬢に断罪された「聖女」と婚約破棄された王子様
京泉
悪役令嬢に断罪された「聖女」と婚約破棄された王子様
第1話 咎人の村
王都から北に一週間。
森を抜け、谷を渡り、いくつかの山を越えると小さな村が現れる。その村へは獣道をひたすら進まないと辿り着けない。
獣道は外界からの侵入者を拒み、村から出る事を禁じるように冬には深い雪に埋もれ、夏には生茂った藪に阻まれ、春と秋には獣道の主達が闊歩する。
人々から忘れ去られたその村は土地が痩せ細り小川の水は淀み、野菜も麦も育たず飢えていると聞いていた。
ボロボロの家と汚れた服、不衛生な環境のはずだった⋯⋯。
「あれ? お口に合いませんでした? ──んー? 美味しいのに。春と言ってもまだ寒いから薬湯茶はあったまっていいんですよ」
「苦いから甘いクッキーと一緒にどうぞ」と出された毒々しい緑色の薬湯茶は青臭い匂いがキツい。どうしてもその匂いが鼻に付いて口へと持って行くのを躊躇させた。
「マリア、ジョージと夕飯の買い物に行ってくる」
「ええー? いいわよ私が行くから休んでて」
「マリアに用があって来たんだろ? 俺とジョージが居たんじゃ話せないかもしれないだろう」
キョトンとした表情をして「大丈夫よ」とマリアはケラケラと笑う。
「あれから三年だ。君は変わらないな」
「クリストファー様は⋯⋯なんか暗くなりましたね。むしろ今の方が素のような気もしますねえ」
「そうかも、知れないな⋯⋯」
忌憚のないものの言い方も変わらない。クリストファーは過去に想いを馳せた。
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平民特待生として学園に入学したマリアは誰に対しても愛想が良く愛らしかった。それこそ男も女も関係なく。
それを、ある者は男にだけ媚びていると陰口を叩き、ある者は平民のくせに身の程知らずと蔑んだ。
いつしかマリアは令嬢達に避けられるようになり、影で嫌がらせを受けるようになった。
嫌がらせの中心に居たのはクリストファーの婚約者だったシュナイダー公爵家の令嬢ライラだった。
平民のマリアは学園への寄付は免除され、授業料も生活費も国の税金から出されていたが「税金で通っている事をお忘れなく」やら、授業で分からなかった箇所を教えて貰ったりしていると「婚約者がいる方に媚びるものではない」やら、マリアにやっとできた友人に対して「身分が低い者同士お似合いですわね」やら、マリアが節約の為に夕飯の残りで作ったお弁当を中庭で食べて居ると「残り物だなんて育ちが悪い」やら、学園で開催されたパーティでは自分で手を加え雰囲気を変えたドレスを着回せば「お金の使い方を知らない」だのとライラが難癖を付けているのをクリストファーは目にしてしまったのだから窘めるのは当然の行動だった。
窘めるその度にライラは「目をお覚ましくださいクリストファー様」やら「私はマリアさんの為を思って」と言うのだった。
税金の事は「国民の大切な税金が無駄にならないよう勉学に励め」と言う事らしい。
婚約者云々は「異性に教わるよりももっと同性と交流しなさい」の意味らしかったが、令嬢がライラに追従してマリアを避けているのだから無理を言う。
身分についても「男爵位、子爵位は下位なのだから仲良くできそう」の意味だとか。随分と乱暴な持論だ。男爵位も子爵位も貴族。「貴族である矜持」を振りかざす割に下位貴族は貴族に入らないらしい。
残り物で作ったお弁当は「生活費が充分に出されているのに残り物をお弁当にするなんて国民からもらう税金が少ないと言うのか」と言った。税金を無駄にするなと言っていたのにちょっと何を言っているか分からなかった。
ドレスの件も同じく「生活費が充分に出されているのにドレスを新調しないのは国民の税金が足りなくて作れないとでも言うのか」らしい。これも、マリアの生活費は税金だと散々言いながらドレスを買えとはちょっとどころか頭は大丈夫かと心配した。
とにかく言い方だ。ライラは言い方が凄く悪かった。意図が全くマリアにもクリストファーにも通じて来ない。
何よりライラの思考が理解し難かった。
何故そんなに回りくどく、偏り、言葉が足りなさ過ぎるのかと何度も窘めた。
善意と言うのなら相手に伝わらなければただの難癖にしかならないと。
しかし、ライラは嫌がらせをしているとは全く思っておらず「マリアの為」だと信じて譲らず、過度な思い込みと勘違いを曲げず、難聴になったのかと不安になる程にクリストファーの話を聞く事はなく、互いの意見は何度も平行線を辿った。
そして最後には「クリストファー様は私よりマリアさんを庇うのですね」だ。
しかし、そんな扱いを受けてもマリアは怖い程動じていなかった。
「貴族様達は何かと嫌味な言い方をするんですねえ。欠点探しばかりで胃腸が弱そうです。薬湯茶お勧めしようかな」とケラケラ笑っていた。
嫌がらせ(ライラにとっては善意)を受けても「卒業したら関係なくなりますから」と割り切っていた。
そんな姿が健気に見えたマリアだから友人が少しづつ増えて行った。
男爵位、子爵位の子息子女の他、騎士団長の息子ゲルガー、宰相の息子フィール、筆頭公爵の息子ハイデン。所謂上位騎士と上位貴族。彼らは最初こそ下心は有ったがマリアの健気を飛び越えた「強さ」に友情を抱いた。
それもライラには気に入らなかったらしく「異性に媚びるな」と難癖を付けたが、「私じゃなくて、皆さんに言って下さーい」とマリアはとにかく強かった。
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「もしもーし。クリストファー様? もしもーし。お願いですから人の家でトリップしないでいただけますかー」
鼻の近くに薬湯茶を突き付けられクリストファーは「うっ⋯⋯」と顔を顰めた。
温められ青臭さが強まった薬湯茶には気付の効果もあったはずだ。
我に返ったクリストファーを呆れ気味に見てマリアはジョージを膝に乗せクッキーを与えた。
側にはマリアの夫アレン
幸せそう、いや、幸せなのが伝わってくる。
「やっぱり俺とジョージは出かけてくるよ。クリストファー様が話し辛そうだ」
「いや、そんな事は⋯⋯」
「⋯⋯クリストファー様、マリアははっきり言わないと動きませんよ。察してくれ系は無視しますから。ご存知でしょう?」
「ああ、そうだったな」
マリアは「言わなくて良い事は言わない。言わなきゃならない事はちゃんと言う」がモットーだ。
そう言う所も体裁を大事にする貴族達には倦厭されたのだが。
アレンがジョージを抱き上げ、籠を持って出て行くと、仕方がないと言った体でマリアはクリストファーに合わせたお茶を淹れ直す。
同じ緑色の液体が淹れられたが薬湯茶とは違い甘みのある香りが心地良い。ここからは遥か遠く東の地方で取れる緑茶だ。
「この緑茶もこの家もマリア達も⋯⋯この村は聞いていたのとは違うのだな」
やっと村に着いて広がった景色は聞いていた景色ではなかった。
畑は青々と芽を吹き、小川は澄んでいた。
家々は清潔に保たれ人々は生き生きとした長閑な村。
「来た時は悲惨な村でしたよ。畑は荒れ放題、小川は泥水がチョロチョロ、家は荒屋、皆んな死んだ目をしていたし」
「マリアが変えたんだね」
「ええ、なんせ私は「聖女」ですから」
マリアがニッコリと微笑むと「マリアいるかい?」と玄関が開けられた。
老婆が真っ赤になった左手を押さえながら入ってくるとマリアは直ぐに老婆の手を包み「聖女」の力を惜しみなく発揮する。
マリアの両手が金色に輝くとみるみる老婆の傷が塞がっていった。
「すまないね。野菜を収穫していたら切っちまって。歳だねえ」
「あはは。流石に私でも年齢は変えられませんからねえ。何かあればいつでも来てくださいな。それが私の仕事ですから」
「いつもありがとうね。収穫したら野菜を持ってくるよ」
去り際老婆の手首に焼印が見えた。
手を振り老婆を見送るマリアの手首にも焼印が刻まれている。
──咎人の烙印──
罪を犯した者だと言う証。
それを隠しもせずマリアは笑顔を見せる。
獣が生息し、冬は雪に埋もれ、夏は山に囲まれ熱が籠る。出る事も入る事も困難な地に作られたこの村は「咎人の村」だ。
マリアの罪は上位貴族を誑かし、「聖女」だと偽り、本物の「聖女」であるライラを陥れようとした罪だ。
学園の卒業パーティーで第二王子や他国の王子に守られたライラに断罪され、マリアは「咎人の村」へ流された。
「いやーあれはあっぱれでした。ライラ様ったら私に異性に媚びるなと言いつつ王子様にしっかり守られていました」
「⋯⋯私が婚約者だったがな」
「あはは。申し訳ありません。私を庇ったせいでクリストファー様は婚約解消されたんですよねー」
「それは⋯⋯正直、願ってもない事だった」
会話が成り立たない相手だったのだから。
自分の事は良い方向に転んだが、マリアは断罪され焼印を押されてしまったのだ。
「マリア、その焼印は消さないのか」
「これですか? いつでも消せますからね。消したい人のは消しましたよ」
マリアの罪は冤罪だ。誰も誑かしてはいないし「偽聖女」ではない。
傷を癒し、病を癒し、空気を浄化し、土地を蘇らせ、水を浄められる。
「聖女」の力は壊れた物質を蘇らせる事も出来る。
そう「咎人の村」は空気が澄み、小川が澄み、畑が芽吹いている。
「クリストファー様、この村の人達は皆、冤罪でここに流されたんですよ」
「ああ⋯⋯」
「アレンは騎士だった。アレンて美形でしょ? アレンを好きになった貴族の令嬢がアレンを手に入れようとして襲われたって嘘をついたのね。責任とって結婚しなさいって。でも、アレンはやってもいない貴族を襲った罪で流された」
「良く考えれば嘘と分かるのに貴族って馬鹿ね」とマリアは笑った。
先程の老婆も上位貴族の家で働いていたがそこの令息に気に入らないからと盗みの冤罪を着せられた。
他の村人もアレンと同じように嵌められたり老婆と同じようにただ気に入らないからと罪を作られて「咎人の村」に流された。
全てが一方的な貴族の裁きで罪になった。
「貴族を恨んで、いるか?」
「憎くないといえば嘘ですね。私達に金輪際関わらないでくれと思ってますよ。うーん? 馬鹿が治める国は勝手に崩壊してくれって感じですかね」
明るく言われるとクリストファーは苦笑するしかなかった。
マリアは、「聖女」はこの国の貴族を許さない。
手首の烙印を消さないのがその覚悟の証なのだろう。
「あっそろそろ鳴きますよ」
マリアが言うが早いか咆哮が轟いた。
重く低い咆哮は狼だろうか。
クリストファーが急いで窓を開け外を見ると清らかな風が吹き、小川の水が輝いていた。
「ほら、あの子です」
マリアに言われた方向に白い獣が空を駆け、村の中心にある大木へと消えていった。
「あれは⋯⋯聖獣か? それにあれは世界樹⋯⋯」
「シロです。あ、安易な名前とか思いませんでした? あの木は世界樹なんですかね? この村に着いた時にシロが出迎えてくれたんです。そのシロが咥えてきた幼木を植えてみたらあんなに大きくなったんですよ」
クリストファーは笑いたくなった。
真っ白な聖獣とたった三年でこの村を守るまでに大きくなった世界樹。この、二つの存在はどう見ても「聖女」の眷属だ。
マリアは紛う事なく正真正銘の「聖女」。
「我々は本当に、馬鹿だな⋯⋯」
「今更ですねー。で? クリストファー様。無駄話の為にこんな所まで来たわけじゃ無いですよね。早く本題に入ってくれません? アレンが帰ってきてしまいますよ?」
「そうだ、な⋯⋯先日、王都が魔物の襲撃を受けた。多くの犠牲者と重傷者を出して街は壊滅状態に──貴族街を残してだが」
背中を向けられている為にマリアの表情は見えないが、微かに肩が揺れた。
「⋯⋯ライラ、は「聖女」として救護に当たっているのだが⋯⋯その、街の人々まで手が回らなく⋯⋯」
貴族達「皆」は「聖女」ライラを守った。
ライラも「聖女」として「皆」を守った。
彼らは「皆」を守ったと信じて疑っていない。
「⋯⋯はぁ⋯⋯。あはは。お変わりない様ですねえ」
「ああ、すまない⋯⋯それで、その⋯⋯」
「⋯⋯良いですよ。行きましょう王都へ」
聞き間違いかとクリストファーの目が見開かれた。はっきりと言われるまでは絶対に動かないマリアが「察した」のだ。
「ありがとう⋯⋯」
クリストファーは漸く光が見えたと安堵した。
日付を超えた深夜、聖獣シロの背に乗り、マリアとクリストファーは王都シャルケへと飛び立った。
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