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セシルの家で晩ご飯をご馳走になったソラは、食事中成り行きで今日の宿が無いことを話してしまい、結果セシルの家に泊まることになっていた。
食事を終えて、せめて後片付けくらいはと食器を洗っていると、セシルが隣に寄ってきた。
「どうしたの? セシル」
「うんうん、特に意味はないの。ただちょっと隣にいたいなって思っただけ」
えへへと笑うセシルを見て、レフィナは微笑んだ。
「セシルったら、すっかりソラさんのこと気に入っちゃって」
「だって一緒にいたらなんだか落ち着くっていうか……なんだかお父さんといるみたい」
セシルの何気ない一言に、レフィナの顔が曇る。
そういえばセシルの父親はどうしているのだろうか、そんな疑問がソラの脳裏に浮かび上がる。
が、レフィナの雰囲気を見るに、あまり口に出して聴く気にはなれない。
「ねえねえ、お姉ちゃん! 一緒にお風呂入ろうよ!」
「え!? お、お風呂!? しかも一緒!?」
突然の提案に動揺し、思わず皿を落としそうになるソラ。というのもここまで自分の性別を隠していたわけで、風呂に入ってしまえば一発でバレてしまうからだ。別にバレて困るものでもないが、セシルが幻滅してしまうかもしれない。
「嫌……かな……?」
どこか心細そうにセシルが見上げる。こんな表情をされては、断ろうにも断ることが出来なかった。
「う、うん。まあわかったよ」
苦笑しながら答えると、セシルの顔が無邪気に明るくなる。
「やった! じゃあ僕準備してくる!」
上機嫌にセシルは浴室があると思われる方向に走って行った。
それを見送って、ソラは微かに笑う。本当に、小さい頃の自分を見ているようだと。
「ありがとうございます。セシルとこんなに仲良くしてくれて……」
不意にレフィナが感謝を伝える。その表情は穏やかだが、どこか陰りがある。
「いいですよ。なんだか弟が出来たみたいで楽しいですし」
ソラは笑って答える。するとレフィナは少し面食らった表情で顔を見つめた。
「あの、何か?」
その表情に小首を傾げていると、レフィナはくすりと笑って言う。
「いえ。すぐにわかりますよ」
その笑顔がより一層疑問を与える。
「ところでソラさんはどうしてギルドに入ろうと?」
ソラが不思議そうに顔を眺めていると、どこか暗い表情でレフィナが問い掛けた。
隠すつもりもないため、ソラはすぐに答える。
「誰かの笑顔を守りたいなって思って」
「誰かの笑顔を?」
「はい。もし笑顔を失ってる人がいたら、その人が心から笑えるようにしたいなって」
話しながら、ソラはあの日のことを思い出す。旅のきっかけとなる、忌まわしい日のことを。
「ある人に言われたんです。きっとあなたは沢山の人を笑顔に出来る。だから、沢山の人を笑顔にしてあげてって」
「ある人っていうのは……?」
「ボクを育ててくれた、大切な人です」
穏やかな表情と声音でソラは言った。
するとレフィナの表情がより一層暗くなり、俯いていた。
「その……大切な人っていうのは……」
レフィナがさらに問いかけようとした時だった。
「お母さーん。これどうやって使うのー?」
浴室の方に行ったセシルが、赤い魔力結晶を手に歩み寄ってきた。
それを見たレフィナは、ギョッとしてセシルに駆け寄る。
「あなた、これどこから!」
レフィナはセシルの手から放ったくるように奪うと、セシルの肩を掴んだ。
「えっ……? えっと……お風呂場の隅っこの溝に落ちてたよ?」
レフィナの表情を怖いと感じたのか、セシルは微かに声を震わせながら答える。
「お母さん……なんか……怖い……」
セシルの言葉に、レフィナはハッとする。セシルの表情は萎縮し切っていた。
罪悪感から狼狽えるレフィナ。
一方二人のやり取りを見ていたソラは少し首を傾げながらも、微笑んで二人に近づいた。
「レフィナさん。それ貸してもらえますか?」
「えっ? ええ……」
レフィナは言われるがまま、手に持っている結晶をソラに渡した。
「じゃあセシル。ボクがどうやって使うか見せてあげる」
「え!? ほんと!?」
ソラの言葉に、セシルの表情がパッと明るくなる。
それを見てソラは微笑みながら、セシルに空いた手を差し出した。
「うん。浴室に案内してくれる?」
「わかった! 行こ!」
セシルはソラの手を握り、にっこりとした表情で部屋へと歩んでいく。
「あっ……」
レフィナが止めようと右手を伸ばす。が、すぐに自分の左手でそれを制する。二人の背中を見送りながら、レフィナは微かに唇を震わせた。
浴室に行くと、ソラは部屋の中を見渡した。浴槽の下には薪木が敷かれており、どうやら火を起こすことによって湯を沸かす形式のようだ。住んでいた家やクリンベルの屋敷と様相が違うため、新鮮味を感じる。
(でもこの様式だと、熱結晶はいらないよね……?)
ソラは疑問に思いながらも、浴槽を覗き込む。湯は湧いておらず、冷たい水が中に溜まっていた。
少し汚れているようで、水面には人の皮膚片や垢が浮いている。
「ねえセシル。水は変えてないの?」
「え? あ、うん。あまり水を変えるお金が無いんだって。だから一月に一回しか変えてないんだ」
肩を落として、セシルが答える。
(あまりお金が無いのに、ボクご馳走になっちゃったんだ……)
現実を直視して、ソラも表情を曇らせる。
ソラはほんの少し目を閉じて、すぐに開くと笑った。
「じゃあ、綺麗なお風呂に入ろっか」
「え? でも綺麗なお水が無いよ?」
「大丈夫。任せて」
微笑むと、ソラは水面に手を翳して目を閉じる。手に魔力を集中させて、脳裏に起こる現象を思い浮かべる。すると手のひらが青白く発光し、光の粒子が水に降り注ぐ。
セシルは不思議そうに水を覗き込んだ。
「わぁ……!」
光に包まれた水は見る見るの内に綺麗になっていく様を見て、セシルは感嘆を漏らす。
ソラが使ったのは浄化の魔法だ。水の中に混じっている不純物を無くし、綺麗な真水に変えることが出来る。他にも果汁入りのジュースや血液から真水を生み出すことも可能だ。
「やっぱりお姉ちゃんすごい!」
無邪気にはしゃぐセシルを見て、ソラは笑う。
(そう言えば、初めてエイネの浄化魔法を見た時……ボクも同じ反応してたっけ)
当時を思い出しながら、今度は握っていた結晶をセシルに見せた。
「これはね、熱結晶って言うんだよ? これに魔力を注いで水の中に入れると、あっと言う間にお湯が沸いちゃうんだ」
「へぇー!」
説明してから、ソラは結晶に魔力を注ぐとそのまま水の中に放り込む。
しばらくすると水面から湯気が立ち上り、冷たい水は温かい湯へと早変わりした。
「すごいすごい! お父さんもこうやってお風呂の用意してたのかなあ」
「お父さん?」
思わずソラは疑問を口にしてしまう。内心しまったと思い、セシルの顔を伺った。
「うん、お父さん。今はもういないんだけど、お姉ちゃんに負けないくらいすごい人だったんだよ」
セシルの表情はとても穏やかで、どこか誇らしささえ感じられる。きっと自慢の父親だったのだろう。
「それよりお姉ちゃん、一緒に入ろうよ!」
「やっぱり入るの?」
「うん!」
「一緒に?」
「うん!」
無邪気に笑うセシル。
一方ソラは彼の父親のことが気になりつつも、どうしたものかと頭を悩ませるのであった。
◇
助けた女性が椅子に腰掛けたのを見て、トゥネリは安堵した。
「落ち着きましたか?」
息子を助けてください。そう叫んだ後、女性は酷く取り乱して説明出来るような状態ではなかった。
そこで落ち着かせるため。あとはあまり人の目に触れないようにするために、部屋へと案内したのである。
女性は落ち着いた様子で、小さく頷く。
「それで、何があったんですか?」
隣でルージュヴェリアが問う。彼女もまた出会した人間であるため、話を聞かずにはいられない。
「実は……」
女性は俯き、話始めた。
「私は息子とともにリヴェルトス商会が売却している土地を買い、そこに家を建てたんです」
「あの、お金に余裕がある方が購入する場所ですね?」
「はい……夫がそれなりの稼ぎをしていたので、せっかくだからと。支払いも早々に済ませ、それからはなんの苦もなく平穏に暮らしていました」
ですが。と女性は言葉を置く。
「つい一週間前のことです。突然ここの料金が上がったと言って、更なる料金を支払うよう要求してきたのです」
「リヴェルトス商会が……ですか?」
「はい……」
おかしい、と各組織の情勢に詳しいルージュヴェリアは内心呟く。
リヴェルトス商会は確かに大きな組織だ。その分、取引は厳しくまた公平かつ公正に行うことを鉄則としている。そうしなければ組織はすぐに瓦解すると、トップが理解しているからだ。この商会の本拠地はここから遠く離れた島国リベルタにある故に、統制が上手く取れていないのだろうか。
ルージュヴェリアが疑問視している一方、女性は話を続けた。
「その金額はとても払えるような額ではなく、夫も急にそんな大金を出せるわけがないと憤りました。するとリヴェルトス商会と契約している傭兵たちが現れて、それならばお前の身で払えと夫を連れ去ってしまったのです」
「どうして、すぐにギルドや国の自警団に相談を持ちかけなかったの?」
トゥネリの問いに、女性は答える。
「言ったら息子の命がどうなっても知らないと言われて……怖くて言い出せなかったんです」
女性の答えに、トゥネリは眉を潜める。
「そして今、あなたの息子さんの命が危険に晒されていると……?」
「はい……夕刻に男たちがやってきて、お前の夫の力だけでは支払えないと言って……」
「連れ去っていったんですね」
事情を話し終えて、女性はまた涙を流し始める。どうしていいかわからず、不安から心が押し潰されそうになっているのだ。
その心情を、トゥネリはよく理解している。どれだけ辛いことであるのかも。
「わかりました。私がリヴェルトス商会に連絡を――」
「いえ、その必要は無いわ。ルー」
ルージュヴェリアの言葉を遮ると、トゥネリは女性の側に寄った。涙を流して項垂れる女性の視線に合わせて屈むと、微かに笑う。
「わかりました。私があなたの息子さんを助けに行きます」
「ちょっと待ってください!」
トゥネリの発言に、ルージュヴェリアはすぐ様叫ぶ。
「まずは商会にこの旨を問い合わせて、もし部下の独断行動であれば正してもらうよう進言しないと!」
「そんな悠長に構えてられると思う? あいつらが何企んでいるかは知らないけど、一刻を争うかもしれないのよ?」
「そうかもしれませんけど、まずは内部情報を仕入れないと! 下手をすれば、商会全体と衝突することになるかもしれないんですよ? そうなったら私達の問題では済まされません!」
ルージュヴェリアの言い分も一理ある。相手の規模が未知数なのは確かだ。商会全体で女性の言うようなことが起こっているのか、それともブリアンテスでのみ起こっているのか定かではない。彼女の言う通り、大きな組織を敵に回す可能性がある。
だがトゥネリにとってそんなことは些細なことでしかない。今目の前で誰かが困っているのならば手を差し伸べないわけにはいかない。ましてや目の前で懇願されたのだ。
(もしあいつだったら、きっと……)
トゥネリは一人の少年を思い浮かべる。ここにはいない、空色の髪をした少年だ。
「ルー。あなたの言いたいことはわかるわ。でも私は黙って見過ごすつもりはない」
「私だってそのつもりです。そのためにもまずは情報を集めようって言ってるんじゃないですか」
話は平行線のまま進まない。二人は睨み合い、お互いの立場と思いを譲る気はなかった。
女性はおろおろしながら二人の様子を眺めている。かと言って止め入るだけの勇気も無く、行く末を見守るのみ。
しばらくして、トゥネリは大きなため息を吐いた。
「わかった。じゃあ情報を少しだけ集めてから、商会に直談判しにいくわ。それなら文句ないでしょ?」
「出来るだけ有用な情報を集めてから、です」
「はいはい、わかったわよ」
再び嘆息すると、トゥネリは女性に向き直った。
「そういうわけですので、ごめんなさい。少しだけ時間貰えますか?」
トゥネリの言葉に、女性は小さく頷く。
「夫と息子が無事に帰ってくるのなら……」
「なら決まりね。ルー? 一応ギルド経営の宿屋にこの人の部屋を手配してもらえるかしら? あそこなら商会の人間でも下手に手出し出来ないでしょ」
「そうですね。急いで手続きしておきます」
ルージュヴェリアが部屋を出ていこうとした時だった。女性が少し心配した面持ちで二人を見つめる。
「あの……依頼料は……?」
女性の言葉を聞き、トゥネリとルージュヴェリアは顔を見合わせる。そして同時に笑うと言った。
「とりあえず、今回は無しということで」
本来ならば依頼としてギルドを通してから、女性の話を聞くべきだったのだ。それがギルドに所属する人間の義務である。が、今回のこれは場合によっては商会の人間に情報が漏洩してしまう可能性もある。
ともなれば、ギルドを介さずに助けるのが適切だと二人は判断していた。
「そうしましたらすいませんけど、私と一緒に来てもらえますか?」
「あ、はい……」
方針が定まると、ルージュヴェリアは女性を連れて部屋を出て行った。
二人を見送り、トゥネリはふぅと一息。少し伸びをして、気合を入れるように軽く頬を叩いた。
「さてと。じゃあまずは、捕らえた奴らから情報を聞き出しますか」
内心遠回りすることを歯痒く思いながら、トゥネリは自分の部屋を後にした。
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