外伝Ⅱ 妖花~その10~
運命が変転する時、いくつもの偶然が重なるものである。
その日、オルトスとワグナスがいつもより早めに皇宮を出たのもまさに偶然であった。部署こそ異なるが親交を続けていた二人はこの日、示し合わせて仕事を早めに切り上げ行きつけの酒場で飲むことにしていた。
ロートン二世よりも先んじて皇宮を出た二人は、他愛もないことを喋りながら、カップナプル邸の裏側の道を通った。普段なら通らない道なのだが、酒場への近道なので自然と二人の足はそちらを向いていた。
最初に異変に気がついたのはオルトスだった。何気にカップナプル邸に目を向けたオルトスは、不自然な所から光が漏れているのを見つけた。ちょうど地面の間際に通気口のような小窓があり、そこからほのかに光が発していたのだった。
「どうしたんだい?オルトス」
「いや、変な所から光が……」
ワグナスに聞かれたオルトスは、その光の方を指差した。ワグナスも立ち止まって思案顔になった。
「ここはカップナプル伯爵の邸宅か……」
ここが誰の邸宅であるかはオルトスは知らなかった。ワグナスはそういうことも知識として脳に入れているらしい。オルトスは素直に感心した。
「確か今日は皇帝陛下が伯爵邸にお成りをすることになっていたはずだ。その準備でもしているんだろう」
「いや、ワグナス。そんなことはいい。ここは皇宮から近い。まだ建築制限地区のはずだ」
ワグナスは顔色を変えた。オルトスが言わんとすることを理解したようだった。
帝国の法律では皇宮から一定距離にある建物は地下に部屋を作ることを禁止されている。これは叛乱の準備などをさせないためであった。
「そろそろ陛下が皇宮を出る頃じゃないか?」
皇帝がお成りになる邸宅に禁止されている地下室。明らかに怪しい事態にオルトスは困惑した。衛兵に訴えるべきではないかと言おうと思ったのだが、それよりも早くワグナスがカップナプル邸の柵を乗り越えようとしていた。
「ワグナス!」
オルトスは声を潜めて叫んだ。
「確認するんだ。君も来たまえ」
ワグナスは柵を乗り越え、カップナプル邸の庭に下り立っていた。わずかに逡巡したオルトスは、やむを得んとばかりに自らも柵に手をかけた。
もたもたとしながらも柵を越えたオルトスは、すでに邸宅の壁に張り付きながら例の小窓を覗いていた。
「見たまえ。どうやら我々の考えは当たりだ」
ワグナスに促されオルトスも小窓を覗いた。それほど広くない部屋の中に武装した兵士が数十人控えていた。オルトスはすぐに小窓から顔を離した。
「これは大変なことだぞ。今すぐに近衛師団の詰め所に……」
「時間があるまい。いくら近くとはいえ、衛兵も一緒のはずだ。そちらの方が早い」
決断となるとワグナスは素早かった。用心のため柵を乗り越え一度外に出たワグナスとオルトスは、カップナプル邸の正面に回った。
正面には二台の馬車が止まっていた。一台は明らかに皇帝用と思われる豪奢な馬車でそれを囲むように兵士が屯していた。
「止まれ!何者ぞ!」
その兵士のひとりがワグナスとオルトスに気がついて誰何した。
「私はワグナス・ザーレンツ。財務局の官吏だ。火急の要件がある。責任者に会いたい」
官吏という肩書きはこういう場合実に有効であった。その兵士はそれ以上ワグナスに問い質すことなく、責任者に連れてきた。
「私が隊長です。どういうことですか?」
「カップナプル伯の邸宅には地下室があります。悪いと思ったのですが、中を覗いてみると武装した兵士達がいました」
隊長の顔がさっと変わった。ワグナスが言ったことが何を意味するか、この隊長は瞬時に悟った。
「どれほどいましたか?」
「三十名ほどは?」
隊長はちらっと振り返った。外で待機している兵士の数を数えているのだろう。オルトスの見る限り十名程度だろうか。
「ザーレンツ殿。お手数だが、衛兵の詰め所に行ってもらえまいか?援軍が欲しい」
「貴殿は?」
「踏み込む。援軍を待っていて後れを取るわけにはいかない」
「踏み込むとなればひとりでも多いほうがいいだろう。陛下のお命も危ないのだ。武器はあるか?」
「馬車の中に」
ワグナスはそれを聞くと簡素な方の馬車に歩み寄り、荷台から剣を取り出した。
この時はオルトスも高揚していて冷静な判断ができなかったが、ここは明らかに援軍を呼びに行くべきであった。それが武人ではないオルトス達の役割であったし、普段のワグナスであるならば間違いなくそちらの方を選択したであろう。
しかし、それでもワグナスが衛兵と一緒に踏む込むことを選んだのは、皇帝に名前を売る絶好の機会だと判断したからではないだろうか。後々になってオルトスはそう思うようになったのだが、真意を聞き出すことは一生なかった。
「オルトス。君は剣戟はできるかい?」
「いや、からっきし」
やはりオルトスは高揚していた。冷静であれば剣を握ることなどあり得ないことであったが、この時ばかりはオルトスもどうかしていた。
「だったら、私の後で構えて声を張り上げていたまえ」
要するに気合だ、とワグナスは言った。
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