光射す道⑨

 だが、マートイヤには凡才以外にも瑕疵があった。それは多額の借金であった。


 マートイヤは賭け事が三度の飯よりも好きで、仲間の貴族達と双六、競馬などで賭け事を繰り返していた。賭け事においても彼は常に負け続け、商人たちからの借金は約一千万ギニーに達していた。勿論、個人の借金であり、公にはされていない。これが露見されれば醜聞としてマートイヤはその地位を失う可能性を秘めていた。


 このことをアリン・フォスローから聞いたテナルは、彼と諮り上手く利用できないかと考えた。ちなみにマートイヤの最大の借金先はフォスロー商会であった。アリンは、マートイヤに金を貸している他の商人らと語らい、補給業務に携わっているマートイヤの本営に書状を送り、即刻の借金返済を迫った。


 『貸した金銭の返済期日はとっくに過ぎております。即刻ご返済板だいけない場合は、これを公表し、皇帝陛下に窮状を訴えたうえで今後一切の資金融通をルグス家に対して行わないつもりである』


 文面こそ丁寧であるが、これは明らかな恫喝であった。借金の事実を公表するだけではなく、ルグス家にも資金融資を行わないとなると、マートイヤ自身破産するしかなく、社会的地位も失ってしまう。だが、テナルとアリンは同時に悪辣な逃げ道を用意していた。


 『もし、現在子爵が管理されている帝国の補給物資を我らに横流ししていただけるのなら、返済期限を一時遅らせてもよろしゅうございます』


 テナルもアリンも本気でマートイヤが横流しをするとは思っていなかった。こうしてマートイヤを揺さぶることで補給活動の停滞が生まれればそれでよしと考えていた。


 しかし、マートイヤはテナル達の予想を超える行動に出た。二進も三進も行かなくなったマートイヤは、わずかな金貨を持って逐電してしまったのである。彼の家臣達も主人がいなくなったと知ると、いずこかへと逃げ出し、補給物資だけが残ることになってしまった。マートイヤに託されていた補給物資は、ジギアスの元に届くことなく、シラン領のカーベストによって接収されることとなった。


 この一連の事件は、両陣営とも戦後になって知ることになる。サラサは、


 『テナルに謀略の才能があることは知らなかったよ』


 と恐縮するテナルをからかうようにして賞賛した。




 ジギアス陣営からすれば、補給が届かないというのは死活問題であった。勿論、マートイヤが逐電したことなど彼らが知るのも戦後のことであり、この時は食料が届くのを今か今かと待ちわびていた。


 「補給部隊が迷子になっているかもしれん。兵を出して捜させろ」


 レクスターはそう命じたが、無駄であろうと思っていた。ここまで待ってこないと言うことは、補給部隊が敵に襲われて物資を奪われたとみた方がいいだろう。すでにレクスターはいかにしてこの場を乗り切るか考えていた。


 『撤退しかあるまい……』


 不利に立たされているが、まだ決定的な敗北を喫したわけではない。まだ戦力が残された状態のまま一度退いて体勢を立て直すべきであった。


 『はたして陛下がお認めになられるか……』


 それが気がかりだったレクスターは、ジギアスの副官を務めているイーベルに相談した。


 「私もそれを考えていたのだが、誰がそれを言上するのだ?」


 イーベルも事態の重要性を理解していた。しかし、それをジギアスに奏上する勇気を持ち合わせている者がいなかった。


 『これだから駄目なのだ……』


 ジギアスの気性を恐れ、直諫する者がジギアスの傍にいなくなっていた。唯一それができるバーンズは遠い戦場にある。だからこそ、この窮状に陥ったのだった。


 「私が申し上げる。陛下はいずこに?」


 「待たれよ、ディーベル殿」


 イーベルが制止した。


 「如何がした?」


 「すでに夕刻。陛下に言上いたすのは明日でもよろしかろう」


 「何を申される!かような重大事、今すぐに申し上げ、陛下のご裁可をいただかなければ……」


 「それが……その……」


 言いよどむイーベルを追求すると、ようやく口を割った。


 「実は……陛下はすでにご休息に入られています」


 「ご休息……」


 それは言葉どおりの休みではなった。ジギアスについて『ご休息』という言葉は、即ち天幕の中で女を侍らせているということであった。


 「なんたることだ……。ここは戦場であるというのに」


 勝っている戦場であるならまだしも、負けている戦場で女を侍らせて酒宴しているなど信じられないことだった。


 『大将軍はいつもこんな気苦労をしていたのか……』


 レクスターは深くため息をつきながらも諦めざるを得なかった。酒が入った席で何を申し上げても無駄であろうことはレクスターも承知していた。


 「明日の朝、皆で言上いたしましょう」


 「左様ですな」


 仕方なくレクスターが提案すると、イーベルも承知した。少なくとも明日の朝までは自軍ももつであろう。

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