エイリー川の戦い

エイリー川の戦い①

 「皇帝が来ましたな……」


 対岸に陣取る皇帝軍の中に、龍の紋章が入った真紅の軍旗が翻っていた。そこに皇帝本人がいるという証であった。ジロンとサラサは、高楼の上からそれを眺めながら呟いた。


 「皇帝陛下、だろう。不敬罪で捕まるぞ、爺さん」


 「これだけのことをしておいて、今更不敬罪もありますまい」


 「それもそうだが、お前は爵位を賜っているんだろう?少しは敬ってもいいんじゃないかな?」


 「もはや有名無実の爵位などに興味はありませんな。それよりも無位無官の今の状態の方が楽しいですな」


 「やれやれ。とんだ爺さんだ。長生きするぞ」


 「そうですな。サラサ様が天下を取られて、軍務大臣を拝命するまでは、死ぬに死ねませんな」


 「またその話か……。別に私は帝位なんぞ欲しくないぞ。今の地位で手一杯だ」


 そもそもサラサは領主の座すら望んでいなかった。至尊の地位など、片鱗も考えていなかった。


 「帝位にいるのはジギアスでいい。あの男の御代で世の中が多少ましなればそれでいい」


 今回の戦いでサラサが徹底されたのは、皇帝を殺すな、ということであった。あんな男でもジギアスは皇帝である。謂わば扇の要であり、皇帝という存在がいるから世の中はそれなりにまとまりがあるのである。もし、ジギアスがこの世から去れば、世の中はばらばらになり、瞬く間に戦国時代に突入してしまう。サラサはそう考えていた。


 「やれやれ。皇帝と一戦交えようとしているお方の言葉とも思えませんな。見ようによっては、覇権を決する決戦のようですぞ」


 「どうしてそうなる?」


 「お忘れですかな?ビーロス家は、かのレオンナルド帝の血を引いておられるのですぞ」


 そのことを忘れていたわけではない。いずれサラサが過分な地位を手にするに連れて、その事実を取り出して、よからぬことを策動する者もいるだろうとは考えていた。だからこそ、サラサは社会的地位については慎重であったのだ。


 「皇統ということでいえば、アルベルト殿のシュベール家もそうだろう?他にも一杯いる。私に限ったことではないだろう」


 「それはそうですがね。帝位には相応しい器というものが……」


 「私は器量が狭いぞ。うん?」


 ジロンと下らぬ話をしているうちに、敵陣に動きがあった。敵陣から金色の鎧武者が騎馬に乗りながら陣頭に現われた。


 「俺はジギアス・カーゼロン・ガイラス。貴様らの皇帝だ。反乱軍の首謀者、出て来い!」


 それは紛れもなく皇帝本人であった。新年を帝都で迎えた時にそのご尊顔を拝見しているので、見間違えることはなかった。


 「おいおい、皇帝陛下ご本人の登場かよ」


 サラサは呆れてしまった。どういう意図を持っているのか知らないが、皇帝自ら敵前に姿をさらすなんて無防備にもほどがある。もしこちらが矢を無数に放てば、ジギアスは無事では済まないだろう。


 「開戦前の名乗りでも行いたいのでしょう。古風なことです」


 「そうか?首謀者の小娘がどんな面をしているのか見たいだけだろう」


 「どうしますかな?」


 「無視しよう。相手さんも本気で私のお出ましを望んでいないさ。単なる興味本位だ」


 サラサは無視を決め込み、ジギアスの観察を続けた。こちらの反応がないのに苛々している様子で、それが馬にも伝わっているようで、同じ場所をぐるぐると小さな円を描いて回っていた。


 「おのれ皇帝を愚弄するか!陣中にはジロン・リンドブルムもいると聞く。姿を見せろ!」


 焦れたジギアスが声を上げた。サラサとジロンがお互いを見て苦笑した。


 「おい、爺さん。知られているらしいぞ」


 「そのようですな。目立たないようにしておいたのですが……」


 「解放した敵の捕虜とか敗残兵が喋ったんだろう。どうする?皇帝陛下がお呼びだぞ」


 「さて、どうしたものかな……」


 と言いながらも、ジロンは高楼を下りていった。まさかジギアスと本当に対面する気かと思っていたら、柵を出て川の向こう岸にいるジギアスと対峙した。


 「これはこれは皇帝陛下、お久しゅうございます」


 「おのれ、リンドブルム!俺から爵位を賜りながらも、反乱軍に加担するか!」


 「そうでございましたな。では、ここで謹んで爵位を返上いたしましょう」


 傍目から見てもジギアスの顔が真っ赤になるのが分かった。サラサはジロンが意図するところを理解した。ジロンはジギアスを挑発しているのだ。


 「馬鹿にしやがって!恩を仇にして返すか!」


 「恩?爵位については神託戦争の功績によっていただいたものと理解しております。爵位を恩だと仰るのなら、とっくにお返ししております」


 「くたばりそこないの爺が!詭弁ばかりならべおって!」


 尋常に勝負しろ、とジギアスが剣を抜いて騎馬を進めた。


 『存外馬鹿野郎だな』


 水しぶきをあげてこちらへ単騎向ってくるジギアスの姿を遠望して、サラサはやや失望した。皇帝たろうものが軽々しき単騎突撃するものではない。下手すれば討ち死にとなってしまう。


 現に皇帝軍の将兵は、あまりにも突然の出来事に唖然呆然としていて動き気配がなかった。もしサラサにその気になって矢の一斉射を食らわせば、ジギアスは瞬く間に針鼠となり、絶命していただろう。だが、ジギアスを殺すつもりのないサラサは、ここはジロンに任せることにした。


 「やれやれ……」


 ジロンはゆっくりと剣を抜いて歩いて川の中に入っていった。


 「いい度胸だ!雷神の手並み、見せてもらおう!」


 突進するジロンは、馬上から件を振り下ろした。


 「ふん!」


 ジロンは頭上で剣を横に構え、軽々とジギアスの一太刀を受け止めた。


 「たぁ!」


 そのままジギアスの方へと剣を刷り上げ、剣を持つ手の小手をぱしっと叩いた。


 「ぐうう!」


 ジギアスは短く苦痛の声を上げると、剣を落とした。


 「単騎突入してくるにはまだまだですな。出直して参られよ!」


 そう言うとジロンは、ジギアスの落とした剣を拾い上げ、味方陣地に向って高々と掲げて見せた。味方陣の将兵からどっと歓声が上がった。


 「おのれ!戦場では覚えておれよ!」


 ジギアスは捨て台詞を吐くと、馬を巡らせて自陣へと帰っていった。それを見届けると、ジロンは悠々と引き返してきた。


 『ジロン、見事だ』


 サラサは、ジロンの手並みを手放しで賞賛した。

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