暗転③

 ネクレアと会談する。そのことについてミラは一抹の不安を持っていた。


 確かに先の戦いではサラサに指揮されたアズナブール派は大勝し、マグルーン派はその中心人物を失った。しかし、純粋な兵力という観点ではいまだマグルーン派の方が有利である。ネクレアがその気になれば、ベンニルの弔い合戦とばかりに大多数の兵力を繰り出し、アズナブール派を瞬時に飲み込んでしまうことも可能なのである。それにも関わらず、ネクレアは会談を申し込んできた。


 『罠であるまいか……』


 ミラは瞬時にそのことを疑った。会談の場にアズナブールを引きずり出し、亡き者にしようとしているのではないか。あのネクレアならやりかねない。ミラはそう思ったので、会談に出向くアズナブールに同行を申し出たのだった。




 「そうか。ミラも行くか。だったらアズナブール殿も心強いだろう」


 出発前、サラサはそう言葉をかけてくれた。サラサもジロンも、エストハウス家からすれば部外者であるし、二人ともアズナブール陣営にいると知られるとまずい人物なので、会談には同行せず、バスクチで留守をすることになった。


 その点で言えば、サラサに付き従い、エストブルクから逃走したミラも同じであった。だから、会談に同行するにあたっては、変装するように言われ、肩の下まで伸びていた髪をばっさりと切ってしまったのだ。


 「はい。ところでサラサ様。今回の会談、罠ということは考えられませんか?」


 「可能性はあるだろうな」


 サラサは即答した。


 「でしたら、アズナブール様をお止めいただいてもよかったのでは……」


 「それではご自身の意思で会談に挑もうとされるアズナブール殿を侮辱することになる。きっとアズナブール殿もその可能性を考えておいでであろうが、それでもあえて行かれるのだろう」


 まさにサラサの言うとおりであった。自分より年下なのにサラサの一言一言は的確で、説得力があった。到底この人には及ばないとミラは密かに思った。


 「だが、相手も会談の場でアズナブール殿をだまし討ちをするような真似はするまい。そんなことをすればマグルーン派に不名誉が付きまとい、たとえ領主に座につけても諸侯の笑いものになるだけだ。あの坊やと母親がそんな醜聞に晒されてまともでいられるとは思えんからな」


 「そうでしょうか?」


 「奴らの陣営に正常な思考がを出来る奴がいれば止めるだろう。しかし、いなければやりかねん。そういうことだ」


 要するにサラサも判断しかねているということだろう。ならばミラがあれこれ考えたところで最良の結論が導き出されるはずもなかった。ミラができることは命に替えてもアズナブールを守ることであった。


 「そうだ、ミラ。こいつを貸してやろう」


 そう言ってサラサが自らの首に掛けていた首飾りを外した。何の変哲も無い小さな水晶の首飾りだ。装飾などなく、首に掛ける部分も金や銀の鎖ではなく革の紐であった。


 「みすぼらしいだろう?これでもビーロス家の家宝らしい」


 「家宝だなんて……そんな大切なものを」


 「安心しろ。らしい、だ。母上が亡くなる前にそう言って渡してくれたんだが、正直私には眉唾ものだ。でも、こいつのおかげでなんとか生きてこれたから、多少のご利益はあるかもしれんな」


 サラサが改めて水晶の首飾りをミラに突き出した。


 「それにあくまでも貸すだけだ。ちゃんと無事に帰ってきて返してくれればそれでいい」


 要するにミラが無事に帰ってくるためのまじないであるらしい。サラサの気遣いに緊張していた気分が少し解れた。


 「ありがたくお借りします。必ず返しに参ります」


 ミラは迷うことなく水晶の首飾りを受け取った。必ず返しに戻ってくる。ミラにとっては当然のことであった。ミラはアズナブールの家臣であると同時に、サラサの世話役でもあるのだから。




 バスクチをでたアズナブール達は会談の地へ向って南下した。総勢五十名。この人員の数は事前に双方が取り決めたことであった。


 会談の場も事前に取り決められた。ネクレアはカランブルでの会談を要求したが、アズナブール派はそれを跳ね除けた。


 『兎も角、先の戦いでは我々が勝ったのですから、強気に行くべきです。焦る必要はありません。じっくりと事前協議すべきです』


 というサラサの助言を受け入れ、アズナブールは根気よくネクレア側と事前協議をし、会談の場所も、カランブルとバスクチのちょうど中間辺りにある平原で行うことになった。


 事前協議では会談の内容も詰められていた。主な条項をあげると、


 ・アズナブールにかけられた謀反の罪状を取り消すこと


 ・次期領主はマグルーンとする


 ・アズナブールはマグルーンの補佐役を勤めること


 ・ネクレアはエストブルクを離れ生活すること


 二番目の条項に関してはアズナブール派のほとんどの者が反対した。誰しもがアズナブールが領主になることを願って戦ってきたのだから当然であろう。しかし、この点についてはアズナブールは頑固であった。


 『領主は若いマグルーンでいい。私はいつ病で倒れるか分からないのだから』


 という理由であったが、アズナブールの本心なのかどうかは分からない。マグルーンを次期領主と認めることでネクレアに譲歩したとも考えられた。


 ともあれ、この会談がまとまれば平和が訪れる。そうすればアズナブールの身に危険が及ぶこともなくなり、サラサも平穏な生活に戻れる。ミラにとってはそれが最上の未来であった。




 会談の地にはすでに先行している両陣営の兵士達によって天幕が設えてあった。天幕の中に入れるのはお互い十名。それ以外の人員は外で待つことになる。


 最初はお互いにらみ合い緊張状態にあったが、もともと同じエストハウス家の人間である。次第に打ち解け始め、会談の準備が整った頃には双方の兵士が談笑している光景も見られた。


 『これはうまくいくかもしれない……』


 ミラは会談の行く末に安堵し、そして油断していた。


 会談の時が時が来た。それぞれの人員が別の入口から入ることになる。ミラもアズナブール側の人員として天幕の中に入ることができた。


 「腰のものをお預かりします」


 ミラが天幕に入ろうとすると、マグルーン派の兵士が寄ってきて言った。天幕の中には一切の武器を持ち込まないという取り決めがあった。


 「ああ、そうだったな」


 ミラは腰の長剣と懐中の短剣の両方をその兵士に預け、天幕の中に入った。


 天幕の中にはすでに双方の人員が揃っていた。アズナブールとネクレアが椅子に座り向かい合っている。アズナブールのすぐ後にはレジューナがぴたりと寄り添っている。ミラとしては自分がアズナブールの傍にいたかったが、仕方がないので最も遠くはなれたところで待機することにした。


 ミラはネクレアの様子を伺った。目の周りは黒く深くくぼんでいた。頬も痩せこけ、肌の荒れも目立った。美貌をもってベストパールを誑し込んだ面影を見つけることはできなかった。


 『この人も相当まいっている……』


 同情するつもりはないが、きっとこの女性の人生はここで終わるのだろう、とミラは漠然と思った。


 会談は恙無く進んだ。双方とも代表者が直接話すことはなく、代理とする人物、アズナブール側でいえばレジューナが話を進めていった。


 事前に協議内容を詰めていたせいか、揉めるようなことはなかった。二三点、細かい条項で応酬があったものの、会談全体に影響することはなく、事前協議のとおりに妥結することになった。


 すぐさま会談内容の条文の作成が行われた。教会の誓紙で二通作られ、双方の代表が署名する。そこまでは順調であった。


 「どうですかな、最後に握手でもしませんかな」


 ということをどちらの側の人員が言ったかは定かではない。しかし、会談が無事に終わりかけている安堵感からか、その発言に対して異議を唱えるものはいなかった。


 それはミラも同様であった。いち早くバスクチに帰り、サラサに首飾りを返すことばかりを考えていた。だから、握手するためにアズナブールに近づくネクレアが懐中から短刀を取り出したのにやや遅れて気がついた。


 「アズナブール様!」


 ミラが叫んだ頃にはもうすでに遅かった。左手でアズナブールの手を握り動けなくしたネクレアが、右手で持った短刀をアズナブールの首に深々と突き刺していた。


 「大人しく病で死んでおれば!」


 ネクレアが叫んだ。場は完全に凍りつき、すぐに声を上げる者も動く者もいなかった。


 「アズナブール様ぁぁ!」


 最初に動いたのはミラであった。ネクレアを殴り殺してでもアズナブールの首から短刀を引き抜くつもりであったが、すでにネクレアはマグルーンの首から短刀を抜いていた。アズナブールの首からおびただしい量の血液が吹き上がり、アズナブールの体はそのまま力なく崩れ落ちた。


 「小娘!」


 ミラの接近に気がついたネクレアが短刀で応戦した。ミラが右腕を切られたが、怯まずネクレアの顔面に拳をぶつけた。


 「おのれ!何と言うことを!」


 「会談の場で殺害とは卑劣な!」


 「ネクレア様に危害を加えるとは!」


 ミラの一撃が乱戦の開始であった。天幕の中にいた双方の人員による殴り合いが始まり、その騒ぎに外で待機した兵士達が気づき武器を持って駆けつけてきた。いつしか平和を目指す会談が両軍入り乱れての戦闘となっていた。


 その間、ミラは傷つきながらも完全に事切れたアズナブールの体を抱え上げ、逃げ出すことだけを考えていた。たとえ亡骸になってもアズナブールの身を敵に渡すわけにはいかなかった。

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