暗転

暗転①

 「負けた……。負けたというのか……」


 カランブルから届けられた悲報を前に、ネクレアは茫然自失となった。全身の力が抜け、そのまま奈落に落ちるのではないかと錯覚に捕らわれた。


 「それでベンニル殿は?ベンニル殿はどうなったか?」


 「戦死なさいました……」


 続けざまに伝令の兵士は何か言ったらしいが、ネクレアの耳には達しなかった。そのまま螺子の切れたからくり人形のように膝から崩れ落ち気を失ってしまった。




 どうやら失神していたらしい。私服のままベッドに寝かされていたネクレアは、自分の精神の脆さに腹立ちを覚えた。今は失神して悠長に寝ている場合ではないのだ。


 マグルーンを推していた首魁であるベンニルが死したとなれば、アズナブール派がここぞとばかりに攻勢に出るに違いなく、ネクレアとしてはその対策を打たねばならない。一刻無駄にするだけで、敵に遅れを取る事態になりかねないのだ。


 しかし、ネクレアの思考はそこで停止した。これまでネクレアはことあるごとにベンニルと相談して事態にあたってきた。そのベンニルを失った今、対策を相談する相手がまるでいないことにネクレアは再び呆然となった。


 ベンニル以外にもマグルーンを推す連中はいる。だが、ベンニルと比べると権力に阿諛追従する小物ばかりで、とてもこの火急の事態を収束できるほどの人物は見当たらなかった。


 『無能だ!どいつもこいつも無能者ばかりだ!』


 ネクレアは枕を掴み、窓に向って投げつけた。失意の次に湧いてきた感情はどうにもならない怒りであった。大した才幹もないくせに、マグルーンという貴種に擦り寄って甘い蜜を吸おうとした無能者ばかりである。


 『ベンニルも無能者よ!』


 四千あまりの兵を繰り出しておいて、千人にも満たない敵に負けたのである。これを無能と言わずして何と言うのであろうか。


 「私が何とかしなければ、たとえどんな手を使っても……」


 もうマグルーンを守り、無事に領主の地位につけてやれるのは自分しかない。しかし、どうすればいいのか、ネクレアは皆目見当もつかなかった。


 「困っているようだな、ネクレア」


 困り果てるネクレアをあざ笑うような声が窓の外から聞こえてきた。


 「アレクセーエフ様……」


 それは天使のアレクセーエフであった。大きな二つの翼を畳むと、断りもなしに部屋に入ってきた。


 「ベンニルが敗れて死ぬとはな……。いやはや、世の中というものは何が起こるか分からんな」


 「なんと悠長な!マグルーンの立場が危うくなるのですよ!」


 「そういえばマグルーンを次期領主にする件、ようやく皇帝の耳に届いたようだな」


 それは思わぬ情報である。もしマグルーンが次期領主という皇帝の勅状が届けば、もはやアズナブール派は何もできなくなる。


 「誠でございますか!それで皇帝陛下はなんと?」


 「あの皇帝は明言を避けた」


 「そんな馬鹿な!」


 「次期領主になる資格があるものが二人いて相争っている以上、どちらかを次期領主にすると皇帝が裁定を下すわけにはいかん、ということらしい」


 「なんと馬鹿馬鹿しい!これまでかの皇帝は、身勝手に領主の後継問題に首を突っ込み、裁可をしてきたではないですか!」


 「まさに。皇帝の魂胆はみえみえだ。マグルーン派とアズナブール派の争いに介入し、戦争をしたいだけだ」


 あの戦馬鹿の皇帝なら考えそうなことだ。それだけは、それだけは絶対にさせてはならない。


 「アレクセーエフ様。私はどうすればよいのでしょうか?もはや頼れるのはあなたしかおりません。ぜひ、良き智恵をお授けください」


 「ネクレア。先の言葉に偽りはないか?」


 「先の言葉……どんな手を使っても?」


 「そうだ。どんな手を使ってもだ。その覚悟があれば、良き智恵と良き力を授けよう」


 「ぜひ智恵とお力を」


 ネクレアは即答した。今の彼女には迷っている時間も惜しかった。


 「よかろう」


 ネクレアの答えに満足したのか、アレクセーエフは薄気味悪い笑みを浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る