必勝と必敗⑤
サラサがバスクチの砦に入って数日が過ぎた。サラサの手元にはすでにベンニルがエストブルクを出て、カランブルの軍と合流するという情報が届けられていた。
『ベンニルが来たか!』
サラサは手を打って喜んだ。ベンニルの存在こそ、サラサの作戦を成功させるための主要因であった。
両軍の戦力差は、今更指摘するまでもなく圧倒的である。一戦二戦勝利したとしても、いずれは圧倒的な戦力を持って押しつぶされるのは目に見えていた。その間、何かしらの調停が入るのを期待するつもりでいるが、それにしても上手くいくか分からなかった。
『私達が決定的な勝利を得るには、戦場でベンニルを倒すしかない』
サラサは誰にも言わなかったが、それこそが究極の目標であった。幾度かの戦闘に勝利し、ベンニルを戦場に引きずり出すことを想定していたのだが、わざわざ向こうから早々に出てきてくれたのだ。まさに僥倖と言うべきであった。
サラサはすぐさま作戦を練る一方で、ジロンとジンに兵士の調練を行わせた。
『ベンニルがカランブルの軍と合流。その数四千あまり』
という最新の情報に接したのは、ベンニルに関する最初の情報を得てから五日後のことであった。素早い行動であった。
『それに千人あまりの兵をカランブルに残してきたか……』
サラサはその情報に関心を持った。おそらくベンニルは、全軍を繰り出しているうちにカランブルを奪還されることを恐れたのだろう。
『なかなか慎重な男だ』
大軍を擁している場合、時として気が大きくなり、細かなところが疎かになるものである。どうやらベンニルにはそういうところがなさそうである。しかし、奇をてらった行動を取られるよりは組みやすい相手であった。
サラサも行動に移した。まず拠点を移動させることであった。病身で動くことに不自由なアズナブールを残し、前線拠点を南に移した。平地部分に突き出した山地があり、そこの中腹に簡易ながら砦を築いた。
続いてジンを指揮官とする七百名の部隊を編成。それを出撃させたのである。
「平野部に出て敵をこのバスクチに誘引するんだ。戦う必要はない。いかにも臆病風に吹かれた態を装い逃げ続け、敵を誘い込むんだ」
本来、サラサはこのジンの部隊に帯同するつもりでいたのだが、全員に止められてしまった。
『サラサ様自ら出られて何かあったらどうするんですか!』
特にミラは強硬に反対し、その態度はまるで娘をしかりつける母親のようであったと言われた。
「さて、打てる手は全て打った。まずはジンが上手くやってくれるかだ」
こればかりはサラサの裁量を離れることなので、ジンの手腕に期待するしかなかった。
ジンは、サラサが想像していたよりも実に見事な働きをしてくれた。味方の損害をほとんど出すことなく、敵を見事にバスクチ近辺にまで誘引してくれた。しかも、一度は狭隘な地形を利用して敵に痛打を与えるという芸当をやってみせた。
「ジンはやってくれる。しかし、これからだ」
すでに敵はバスクチの盆地帯に侵入してきていた。それに対しサラサは全軍を山の上に上げ、篭城を行う構えを見せた。
サラサは新たに設けた砦の高楼に登り、敵情を視察した。無数の敵兵が大海の波のように動いているのが一望できた。その配置や動きはすべてサラサの想定どおりであった。
「緊張しませんかな、サラサ様」
脇に控えるジロンが気遣うような、それでいてやや冷やかすように言った。
「不思議と緊張しないな。父上の前に出るときの方がよほど緊張した」
それは事実であった。サラサは緊張しない性格らしく、敵の大群が雲霞の如く押し寄せてきても、これから戦争が始まらんとしていても、平常心を保つことができた。
「しかし、大軍ですな。私もいくつかの戦場を渡り歩いてきましたが、これほどの戦力差で挑むのは初めてです」
「『雷神』がしおらしいことを言うな。らいくもない」
サラサは首からぶら下げている望遠鏡で敵情をつぶさに観察しながら、画板に貼り付けた地図に事細かに書き込んでいく。
「年を取ると気弱になるものですな。こういう戦は二度とやりたくありませんな」
「私もだ。どうして獅子王ことレオンナルド帝が最終的に覇者になれたと思う?それは敵よりも常に多くの兵を集め、常に有利な地形を確保し、常に最新の装備を整えたからだ。一般的にレオンナルド帝はすぐれた戦術家とされているが、戦術を駆使して寡兵を持って大軍を破ったのは、決起してすぐの数度だけだ」
「優れた戦略家こそ天下を制するというわけですな」
「まぁ、そういうことだ」
「ならば、いつかはサラサ様が天下を制するかもしれませんな」
「もしそうなったらジロンを軍務大臣にしてやるよ」
光栄ですな、とジロンは笑った。
「あり得ない将来への妄想もここまでにしよう。今は目の前の戦に勝たないとな。作戦会議をする。幹部を集めてくれ」
サラサは後方に控えていた伝令にそう告げた。
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