少年は旅をし世界を知る⑤

 カップフェルトの町はレンストン領の中で領都に続く第二位の規模を誇る町であった。経済規模でいえば領都を凌ぐとも言われている。


 農耕を主たる産業としているレンストン領において商業都市といえばカップフェルトしかなく、必然的に人と金が集まってくる。と同時に欲望と享楽も吸い寄せられるように集まってくるのだった。


 「へえ、よさそうな町じゃないか」


 これまで牧歌的な農村しか見てこなかったエルマにしてみれば、雑多な感じのするカップフェルトの方が肌に合っていた。


 「そうですか?何だか狭苦しいし、忙しないし……」


 エルマの隣を歩くシードが空を見上げた。宿屋を探して町を彷徨っているうちに狭い路地に入っていた。路地の両側には高層の建物が並ぶ。確かに夕暮れの空は細くしか見えず圧迫感はあった。


 「まぁ、そうだな」


 エルマは苦笑した。


 サーベラとの戦いを境に、シードのエルマに対する態度がやや柔軟になってきた。助けてもらったということで気を許し始めたのだろうか。マ・ジュドーはシードの豹変を虫のいい話だと憤ったが、エルマにしてみればどうでもよかった。このまま無視されて旅を進めるほうが嫌であった。


 「でも、普通は憧れるだろう?カーブ村に比べれば明らかに都会だ。都会には色々あるぜ」


 都会には人の諸欲を満たすものがすり寄るように集まってくる。人であれば誰しもが憧れると当然のようにエルマは思っていた。


 「確かに憧れはありましたけど……これはちょっと……」


 今、エルマ達が歩いているのは酒場街だ。発光虫の鱗粉を使ったネオンが至る所で点灯している。夕暮れにも関わらずどの酒場も盛況で、すでに出来上がった男達もいて往来を千鳥足で行き来している。田舎で純朴な生活を送っていた者にとって、この光景は退廃的に映るのだろう。


 「おいおい。こっちが方が普通なんだぜ。お前達の生活の方がおかしんだよ」


 「じゃあ、悪魔の生活はどうなんです?」


 シードは未だにエルマが悪魔であると信じていない。だが、冗談めかしく、あるいは皮肉の意味を込めて悪魔という言葉を口に出すようになっていた。


 「悪魔は夕暮れ時から酒盛りはしないよ。一日中やってるからな」


 ケケケと笑うエルマ。呆れたとばかりに鼻を鳴らしたシードは歩く速度を速めた。


 不意にシードが路地を右に曲がった。いい宿で見つかったのかとエルマもその路地を曲がると、そこは娼窟であった。


 かなり露出度の高い服を着た娼婦達が所狭しと立ち並び、男ども誘惑していた。シードも一人の娼婦に話しかけられ、明らかにおどおどと困惑していた。


 「あの馬鹿!」


 娼婦どころか女も知らないくせに。ずかずかと娼窟に踏み入ったエルマは、シードの手を取り娼窟から引きずり出してやった。客を取るなよ、と娼婦が声を荒げたが、エルマが睨んでやると舌打ちをして去っていった。


 「エルマさん……。あれは……」


 困惑と羞恥でシードは動揺していた。本当に世間知らずだ。


 「娼婦だよ。お前、そんなことも知らないのか」


 「あれが娼婦」


 どうやらその言葉は知っているらしく、シードは顔面を真っ赤にした。エルマは呆れるとともに、そんなシードを可愛くも思った。


 「世間知らずにもほどがあるぞ、シード。金をやるから、娼婦に一発世話になってくるか?」


 エルマはからかいのつもりで言った。しかし、シードは馬鹿にされたと真に受けたのだろう。ぼろぼろと大粒の涙を流して泣き出した。


 「ば、馬鹿野郎!泣くやつがあるか!」


 今度はエルマが動揺する番だった。




 シードを落ち着かせるために、エルマはとりあえず宿を探した。幸い近くに小さな宿があったのでそこで部屋を取った。


 部屋に入りベッドに座ったシードは泣き止んだものの、肩を落として意気消沈としていた。


 「落ち着いたのかよ」


 「すいません。何から何まで……」


 「お前は世間を知らな過ぎる。世の中には魔獣もいれば、酒に溺れる奴もいる。自分の体を売って生計を立てている奴もいるんだ。あの村の奴らみたいにただ地を耕して清く正しく生きている連中ばかりじゃないんだぞ」


 「分ってはいました。でも、僕には記憶がないから、カーブ村が世界のすべてだったんです。だから実際に見て驚いて、自分の無知を恥じて……」


 記憶がない。シードはよくそのことを口にする。他人が見れば不幸としか思えないその事実を何事かあった時の免罪符とでも思っているのだろうか。


 「シード。記憶がないと言えば、廻りの連中が口を噤むと思っているのか?」


 「えっ?僕はそんな……」


 「自分では大したことないって言っておいて、他人の同情を引きたいのか?自分の価値観と違う世界と出会っても、それを理由に目を背けるのか?記憶がないことを盾にしているのなら、お前は相当の悪党だぜ」


 「そんなことありませんよ!」


 「だったら、どうして自分を知ろうとしない。世界を知ろうとしない。結局、記憶喪失を理由に自分の殻に閉じこもっているだけじゃねえか」


 エルマはそう説教しながらも、自分に言い聞かせているようでもあった。


 「私も自分の殻に閉じこもっていたさ。でも、それじゃいけないと思って、魔界を飛び出してきたんだ。それで人間界を旅して見聞を広めようと思ったんだ」


 突如として始まったエルマの過去話に、シードはぽかんとしながらも聞こうという姿勢を見せていた。急に恥ずかしさがこみ上げてきたエルマであったが、今更やめることはできなかった。


 「まだ旅を初めてそんなにたっていないが、色々わかったよ。人間ってのは悪い奴もいれば、良い奴もいる。それらの平均が取れてこの世界は保たれているんだな、と思ったよ。魔界では人間界を悪しざまに言う奴もいるが、なかなかどうして楽しい世界じゃないか」


 「エルマさん……」


 「村に帰りたければ帰れよ。でも、もうちょっと旅をしていけ。付き合ってやるよ」


 シードの表情がみるみるうちに和らいでいった。エルマの説教に何事か感じることがあったらしい。


 「エルマさん……。やっぱり悪魔だなんて嘘ですね。こうやって僕を励ましてくれて」


 「ば、馬鹿野郎!私は極悪な悪魔だぜ」


 極悪に決まっている。何しろシードの記憶喪失にとって一番重要なことを教えなかったのだ。お前は魔法によって記憶を失っている。そのことだけはどうしても言えなかった。




 「ええええ!お、同じ部屋なんですか!!」


 立ち直ったシードに、エルマはもうひとつ重要なことを伝えた。部屋を一つしか取っていないということを。


 「す、すぐにもうひとつ取ってもらわないと」


 「よせよ。もう満室かもしれないぜ。それに路銀を浮かすにはこれしかないだろう」


 部屋を出ようとするシードがぴたりと立ち止まった。ファグスの司祭から幾ばくかの金を貰っているとはいえ、これから先どのような出費があるか分かったものではない。路銀の心許なさ今のシードの最大の弱点であった。


 「それとも何か?私と一緒だと不都合なことでもあるのか?」


 「そ、それは……」


 「不都合どころか好都合じゃねえか。いいぜ、今からおっぱじめても」


 余計なことを言うマ・ジュドーを窓から投げ捨てたエルマは、窓を閉じて封印を施した。これでマ・ジュドーは部屋に入ってこれまい。エルマは服を脱ぎ始めた。


 「エ、エルマさん!」


 「今さら動揺するなよ。さっきサーベラを倒した時に見ただろう。単に着替えるだけだ。お前も着替えろ。さっき買ったんだろう」


 「え……でも……」


 「臭い服のままでいるのか?これからしばらく一緒に旅をするんだ。勘弁してくれよ」


 「え、ああ。まぁ」


 曖昧な言葉を並べながらシードはエルマに背を向けた。着替える気になったらしい。


 「シード。お前、女には興味のないのか?」


 「な、何を言うんですか!」


 「だってそうだろう。娼窟ではあんな体たらくだし、今もサーベラを倒した時も私に背を向けてさ。シードの年頃の男子なら経験なくても襲っているぞ」


 「お、襲う!」


 とんでもない、とシードは猛然と否定した。


 「昔、教会の司祭でこう主張した奴がいたらしいな。女体こそ世界であり、男女の交合こそ宇宙だと」


 書物で得た知識でしかないが、エルマは非常に感心した記憶がある。禁欲を旨とし、子供を作ること以外での性交を強く戒めている教会でそのような主張するなんて天晴な奴だと思った。


 シードも、そのような司祭がいたことを知っているのだろう。無言のまま口だけをあわあわとさせていた。


 「別にいやらしい話ではないだろう。男女がいれば性交するのは当然の摂理。それが子供をなすためのものなのか、快楽のためなのかだけの差だ。どちらも人間の本能に基づいた素晴らしい行為だ」


 「で、でも僕にはまだ……」


 早いです、と言ってシードはベッドの中に潜り込んでしまった。


 「何をやっているんだよ。飯を食いに行くぞ、飯」


 エルマは布団を引きはがした。亀のようになっていたシードは不思議そうに顔をあげた。


 「からかい甲斐のある奴だな。お前」


 そう言うと、シードは膨れっ面になった。

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